Knock at the Cabin(2023 アメリカ)

監督:M・ナイト・シャマラン

脚本:M・ナイト・シャマラン、スティーヴ・デズモンド、マイケル・シャーマン

原作:ポール・G・トレンブレイ

製作:M・ナイト・シャマラン、マーク・ビエンストック、アシュウィン・ラジャン

撮影:ジェアリン・ブラシュケ

編集:ノエミ・カタリーナ・プライスヴェルク

音楽:ハーディス・ステファンスドッティル

出演:デイヴ・バウティスタ、ジョナサン・グロフ、ベン・オルドリッジ、クリステン・クイ、ニキ・アムカ=バード、アビー・クイン、ルパート・グリント

①シャマランらしさは満載!

森の中のキャビンで休暇を過ごしていたアンドリュー(ジョナサン・グロフ)エリック(ベン・オルドリッジ)、養女のウェイ(クリステン・クイ)の一家は、屈強な大男レナード(デイヴ・バウティスタ)と3人の仲間たちの訪問を受けます。レナードは、アンドリューたち一家のうち誰か一人を生贄にしなければならないこと、それを拒絶したら世界は滅びることを告げ、選択を迫ります…。

 

「オールド」M・ナイト・シャマラン監督最新作。

例によってハッタリの効いた、楽しいトリッキーな作品になっています。

非常に興味を惹かれる前提状況。

いったいどうなるのか読めない。先が見えず、先を知りたいという思いで次々と引っ張られていきます。

観ながらあれこれと想像するので、真相への期待値は俄然上がっていく。

それだけに…ネタばらしが想像の更に上を行くのは、難しくなるんですけどね。肩透かしにも、なりがち。

 

本作も…まあ、導入がもっとも魅力的である、というところは否めないかな。

真相は、やや身も蓋もないというか…想像を超える驚きはない。

その辺りがまあ、いつものシャマランらしさではあるのだけど。

 

でも、そこに至るシチュエーションはなかなか嫌な感じで魅力的だし、「終末」のビジュアルもよかったので。

総じて、十分楽しめるスリラー映画だったと思います!

 

②狂信者が家に訪ねてくる怖さ

限定状況のシチュエーション・スリラー。

舞台は森の中の別荘で、視点はラスト近くになるまでそこから出ない。

登場人物は住人である​3人。アンドリュー、エリックのゲイ・カップルと、養女である中国系の少女ウェン。

そして、訪問者である4人。バウティスタ演じる不自然なまでにガタイのでっかいレナードと、サブリナ、エイドリアン、レドモンド。

 

隣人に助けを求めることができない山奥の別荘にいて、武器を持った人々が押し入ってくる。

しかし、当たり前の強盗ではなくて。押し入ってきた彼らも、不本意だけど仕方がない…という顔をしている。

そして、世界の終わりについての突拍子もない話を聞かされる…

 

…という、本作はまずはカルトの訪問者の恐怖を描く物語として始まります。

変なことを信じ込んでいる連中に絡まれるの、怖いですよね。怖いし不快。

相手は「信じている」ので、言葉で説得しようとしても通じない。

「狂信の域」に達してるので、通常の対処法が通じない。「なんでこんなことを…」という当たり前の感覚が噛み合わなくて、狂った事態に巻き込まれてしまう。

 

こちらの言語が通じない相手が、有無を言わさず日常に侵食してくる恐怖

4人が並んでいるビジュアルも含めて、「アス」を思わせるところもありました。

 

そして、限定状況なので、世界で実際に何が起こっているのか、わからない

彼らが言ってることが本当か嘘か、真実か妄想か、登場人物だけでなく、観客にもわからない。

本作は超常現象ホラーなのか、それとも何らかのトリックがあって、現実的な真相のあるミステリーなのか…というところですね。

微妙に怪しいミスリードを挟み込んで、上手く謎を牽引力にしていました。

③主人公がゲイ・カップルである理由

主人公二人がゲイ・カップルに設定してあり、娘が養女という設定なのは、世界からありのままに受容してもらえない家族が、あえて世界のために犠牲になることを選ぶ…というドラマにつながっているのですが。

ただ…やはりどうしても、設定上の必要性の方を強く感じてしまいます。

 

「パパ・ママ・子供の三人家族の中から誰か一人が犠牲にならねばならない」という設定だったら、やっぱりどうしても、「犠牲になるべきはパパ」ということが自然と導かれちゃうじゃないですか。

そんなの古臭いマッチョイズムだ!といくら言おうとも、そういう構図だったら、どうしても誰もがそう思ってしまう。

パパが「僕が犠牲になるよ」と言い出さなかったら、すごく卑怯な気がしてしまうし。

かと言って、素直にパパが犠牲になったとしても、何この古臭いマッチョイズム…と思っちゃうでしょうね。むしろ、女性差別だ!と言われそう。

 

だから、この設定が生きて、程よい葛藤を描くためには、主人公はゲイ・カップルでなくちゃならないんですよね。

あえて男女のカップルにして、極限状況で揺らぐジェンダー意識を問う!みたいな方法論もあったかもだけど、そういうテーマを言いたいわけではないし。

 

…と、ふと思い出したのはヨルゴス・ランティモス監督の「聖なる鹿殺し」でした。

ここでは、パパ、ママ、子供たちの家族で、「誰か一人を殺さなくてはみんな死ぬ」という不条理状況が突きつけられるのだけど、パパは犠牲の対象外で、選択する側というルールになってました。

ここでもやはり、「自己犠牲を引き受けるべきは男」という先入観に邪魔されないよう、あらかじめ排除されているんですよね。

というか、マッチョな先入観はそれほどまでに強いということか。

④真相に感じてしまう残念さ…

ここから先は、終盤のネタバレになります。ご注意ください。

途中、レドモンドの正体などで、「実は陰謀かも…」というミスリードを挟むのだけど。

結果的には、真相はそのまま

ビジョンは本物で、レナードたちの主張の通りで、3人のうち誰かを生贄にしない限り黙示録通りの方法で世界は滅びる…ということになっていきます。

 

特に何の理由もなく、ある日突然に、巨大津波が起こり、致命的な感染症が流行し、飛行機が次々と落ちが起きて、世界は滅亡する。

ランダムに選ばれた4人だけが、そのビジョンをあらかじめ見せられている。

そして、ランダムに選ばれた3人家族が一人を生贄として差し出すことで、この終末は回避することができる。

 

…ということが映画のこれまでのところでレナードらによって語られていたことで、それを聞かされたアンドリューとエリックは「そんなアホな」「ありがちな妄想だ」「安っぽいカルト宗教のたわごとだ」という感想を抱くわけです。

ストーリー上必要なミスリードなのだけど、問題は、観ているこちらも同じ感想になってしまうこと。

そういう気持ちになったまま、それがまるごとそのまんま本当だった…となっちゃうので。

「そんなアホな」「ありがち」「安っぽい」という感想は変わらないんですよね。なので、なんか残念…という気持ちの方が勝ってしまう。

 

ここはまあ、観る人の好みにもよるだろうと思うのだけれど。

少なくとも僕は、途中、レドモンドの復讐なのでは…とか推理してた時の方が、楽しかったなあ…と感じてしまいました。

世界の異変もすべてはテレビの画面でのみ伝わることになるので、フェイクニュースなのでは…?というような含みも出てくるんですよね。そっちの方向性の方がいろいろ深みも出てきそうで。

 

「神様のしわざでした」で、もうそれ以上何もなくなっちゃうのでね。

「なんでこんなことするの?」の答えも、何もなし。「意図はわかりません、神様なので!」としか言いようがない。

「こんなアホな神様に支配された世界なら、もう無理して救わなくてもいいのでは?」なんてことまで、思っちゃいました。

⑤終末を感じさせる映像はなかなか

と、まあ、ネタバレ以降、残念なムードになるのは否めないところなのですが。

一方で悪くないと感じたのは、世界に訪れる様々な破局のイメージです。

 

洪水と疫病に関しては、正直「本物の方が恐ろしい」という感想を覚えてしまうのですが。

秀逸だと思ったのは、飛んでる飛行機が次々落っこちてくる映像。

人々がなすすべなく見守る中で、都市上空から巨大な旅客機が次々と、カトンボみたいに落ちていく。

いくらなんでもそんなに密集して飛んでるもんか…?とはちょっと思ったけど。

でも、この「とんでもない悲劇的なことが目の前でリアルタイムで起きているけど、どうすることもできず、ただ見ているしかない」感覚は、3.11でテレビを通して感じた感覚にとても近い。

「終末の怖さ」を体感させる映像になっていたと思います。

 

ラスト、彼らが世界を救ったことを、世界の誰一人として知らない…というのは、とても良かったと思います。グッとくるものがありました。

それだけにね。ラストもう一捻りあったらなあ…。

言われてた通りにしたら、言われてた通りになった……という結末なので。やっぱり、ある時点以降、驚きは消え失せちゃうんですよね。

…というむず痒い感じも含めて、シャマラン印でした!