こちらあみ子(2022 日本)

監督/脚本:森井勇佑

原作:今村夏子

企画:近藤貴彦

撮影:岩永洋

編集:早野亮

音楽:青葉市子

出演:大沢一菜、井浦新、尾野真千子、奥村天晴、大関悠士、橘高亨牧、幡田美保、黒木詔子、一木良彦

①少女の視点で見る、あるがままの世界

「星の子」の今村夏子のデビュー作が原作。

「花束みたいな恋をした」で主人公たちに熱く愛されていた作品「ピクニック」を収録する本の表題作、でもありますね。

 

「周りとちょっと変わったあみ子という女の子」の生活を、説明を廃して、あみ子の主観的な視点で、厳しくも優しく描写した物語です。

あみ子は、他人の気持ちが想像できない。思ったことを思うままに、何でも言ったりやったりしてしまう。

いわゆる「気になる子」…今なら「発達障害」とか、何らかの障害と判断される子なのかもしれないなあ、と思います。

 

でも、本作ではそういったことは一切説明されない。大人の視点は廃されています。

あみ子自身の視点で、あみ子が受け取る世界をただあるがままに、淡々と描いていきます。

父親も母親も、大人たちはあみ子に振り回され、心を傷つけられ、疲れ果てていきます。

兄は不良になり、暴走族に入って家を出ていき、大好きな男の子は振り向いてくれず、それどころかあみ子をボコボコにしてしまいます。

 

周りもしんどい。あみ子もしんどい。総じて、不幸な人生としか言いようがない。

でも、観ていてうんざりしてしまうことは、ないんですよね。あみ子の視点で描かれていて、あみ子自身は決して不幸だと感じていないから。

いろんなことを不思議だなあと思い、ままならない恋をままならないなあと思い、でもチョコレートは美味しかったり、好きな子を好きでいることは絶対にやめなかったり。

ただ、日々をあるがままに受け入れて、生きている。

そんなあみ子を見ていると、不幸って、幸福って何だろう…という気もしてくるんですよね。

 

②シビアさの果てに滲み出る共感

大人の目線では…いや、子供達にとっても、ただただわがままで迷惑でしかない存在であるあみ子。

そんなあみ子の様子を描写して、観る人にうんざりさせない、共感すら感じさせるというのは、実はとてもハードルの高いことだと思います。

 

いやだってね。これ本当に、現実に近くにいたら、相当にイライラすると思いますよ。

学校のクラスメートというだけでも、臭いとかね。みんなの和を乱す存在は、学校では何かと疎外されることになります。

家族であれば、なおさらですね。実際問題として、あみ子の家族は崩壊してしまっています。

 

本作の…というか今村夏子の作品の一つの特徴は、このシビアさ

ちょっと変わった主人公が、でも実は純粋で美しい心の持ち主で…というようなきれいごとではなくて。

実際に私たちの社会の中ではどうしても異物になってしまう、人々の心をかき乱して時に実際に不幸に導いてしまう、そういう側面を隠さずにシビアに描いています。

 

その上でなお…というところですね。

そんな人物を、あるがままにシビアに描いて、現実的なしんどさも十分にわかって、その上でなお、愛しさ、共感を感じていく。

 

それはもう、映画の時間を通して、あみ子の躍動する様子を見ている、その全体の経験から、醸し出されてくるんですよね。

それが今村夏子の小説の巧さだし、映画もそのニュアンスを絶妙に汲み取って、見事に再現していたと思います。

③あみ子/大沢一菜の鮮烈な存在感

で、その絶妙なバランスを成立させているのは、映画としての演出、脚本、構成…というのももちろんあるのだけれど。

やはり大きいのは、あみ子を演じた大沢一菜の、見事なまでのナチュラルな存在感

若干11歳で見事な演技をやってのけた、彼女の圧倒的な魅力だと思います。

 

いや、本当に本作は、イキイキと躍動する彼女の動きを見ているだけでまったく飽きない。目が離せない。

すごい見事に、彼女が映画を成立させているし、それに尾野真千子井浦新らの大人も、完璧に彼女を支えていると思いました。

 

パンフレットの監督の文章を見てると、結構アドリブも多いんですね。アドリブというか、彼女の自然な行動をカメラが押さえて、それをそのまま生かしたシーンも多い。

アクシデント的な流れも結構あったみたいなんだけど、それも見事にナチュラルに、物語の流れの中に落とし込んでる。

森井勇佑監督の取捨選択の確かさも感じるし、ことごとく生きたシーンにしてしまう俳優としてのセンスも感じますね。

 

ふと思ったのは、若い頃の小林聡美のような…

大きな才能の誕生を見たのかも…という興奮がありました。

④オバケの自然、生と死の世界

ほぼ小説を忠実に再現した映画ですが、映画オリジナルのシーンもあります。

あみ子が「おばけなんてないさ」を歌うシーンは小説にもあるけど、映画ではオバケたちが実際に映像として画面に登場しています。

 

現実の「人間の」世界にすんなりとなじめないあみ子の微妙な立ち位置が、オバケたちとの楽しげな交流という形で、映像として表現されてる。

ここは、映画ならではの楽しいシーンになっていました。

また、原作でははっきりとは描かれないけれど、通奏低音としてある「生と死」の問題。

一度もあみ子の世界に登場することなく死んでしまった「妹」や、あみ子がこだわる生き物たちのお墓。そういった「見えないものの世界が、シビアな現実世界にさりげなく交錯することになります。

 

死はあちら側の世界にあって目には見えず、生は緑が溢れ落ちるような豊穣な夏の自然という形で、描写されています。

特に、おばあちゃんの家で次々入ってくる夏の夜の虫たち

これも、結構アクシデントだったみたいですけどね。でっかい蛾にびびって、あみ子が一回画面から消えてる。でも井浦新が淡々とお芝居を続けて、あみ子も戻ってきてシーンを成立させてしまっています。ここも面白い。

 

オバケと自然。生と死の対比。

現実から弾かれたあみ子が、自然の中に身を置いて、死の世界から一回「おいでおいで」される。

生と死が、常にそこにある世界。でも、そこで最終的にどうするか、あっちの世界に行くか、行かないか…は、あみ子が決める

はっきりと、断固としてね。そこが、何よりも良かったです。

⑤テアトル梅田の話

ところで…映画と関係ない話ですが、この映画は大阪のテアトル梅田で観ました。

9月で閉まっちゃうそうですね、テアトル梅田。1990年開館だから実に32年。それで、今更「契約満了により」って…。

やはりコロナとか、最近の物価高とかが響いてるのかな。

 

東京に比べると圧倒的に少ない大阪のミニシアターが、さらに減ってしまうのはまったく痛いです。

岩波ホールも閉館ですね…。そもそも厳しいのだとは思いますが…。

 

できたら、どこか違う場所で再開してくれることを祈りたいと思います!

 

 

 

原作本。「花恋」で激しく言及されてた「ピクニック」収録。

 

音楽は青葉市子。音楽、音響もとても良かったです。

 

 

今話題の、「宗教2世」の問題が描かれている作品です。