Flugt(2021 デンマーク、フランス、ノルウェー、スウェーデン)

監督:ヨナス・ポヘール・ラスムセン

脚本:ヨナス・ポヘール・ラスムセン、アミン・ナワビ

製作:モニカ・ヘルストレム、シーネ・ビュレ・ソーレンセン、シャルロット・ドゥ・ラ・グルネリ

製作総指揮:リズ・アーメッド、ニコライ・コスター=ワルドー、ナタリー・ファーリー、ダニー・ガバイ、ジャンナット・ガルジ、マット・イッポーリト、フィリッパ・コワルスキー、ヘイレイ・パパス

編集:ヤヌス・ビレスコフ=ヤンセン

音楽:ウノ・ヘルマルソン

出演:ダニエル・カリミヤル、ファルディン・ミジュザデ、ベラル・ファイズ、ミラド・エスカンダリ、ザーラ・メールワルツ、イーラハ・ファイズ、サディア・ファイズ

①生活が一変する恐怖

デンマークに亡命したアフガニスタン人の青年アミンが、ずっと秘密にしてきた1980年代からの自分の半生を、友人の映画監督に語るという形式で描かれるアニメ作品。

基本的にドキュメンタリーで、アニメという表現になったのは登場人物の身元が特定されないため…とのこと。

2022年の第94回アカデミー賞では、長編アニメーション映画賞、長編ドキュメンタリー賞、国際長編映画賞の3部門にノミネートされました。(受賞はならず。)

 

描かれるのは、難民として翻弄されるアミンの過酷な半生です。

1980年代、アフガニスタンのカブールでアミン少年はaーhaのtake on meを聴いて明るく暮らしていたわけですが、社会主義革命でパイロットだった父親が連行され、消息不明に。ムジャーヒディーンのイスラム勢力が蜂起して、アミンの一家は難民として国を脱出します…。

 

カブールでの平和な生活がまず描かれ、その当たり前の明るさに驚きます。

当時のアフガニスタンでは、少年が女物の服を着て、aーhaを聴きながら街を走り回ることもできたんですね。

その自由でいいはずなのに。例えば日本でなら、そんな生活がその先もずっと、特に疑問もなく続いていくだろうに。

しかし政変が起こって価値観がひっくり返り、それまでに自由を謳歌していた人ほど、辛い目に遭わされることになっていく。

そんな国ではもう生きていけないから、脱出を図り、そのようにして多くの人が難民になっていく。

 

革命やクーデターが起こった時に、それまで楽な暮らしをしていた人たちが迫害される逆転が起こるのは、つまりそれまで低い地位に追いやられて迫害されていた人たちがいたからで。要は「報復」なのだと思いますが。

今迫害する側に回ってる人も、いずれまた逆転されたら迫害されてしまうわけで。そんなことを延々と続けるよりは、どこかで報復をやめて負の連鎖を断ち切ればいいのに…と、日本人の立場で見ると思ってしまうのですが。

 

現実には、そう簡単にはいかない…のでしょうけどね。

みんなで仲良くわけっこできればいいけれど、それでは資源が足りないから、奪い合いが起こる。

なんで足りないのかといえば、それはやっぱり誰かが多く取っているからで。

そこで、我々も決して部外者ではない…ということになるはずなのですが。

 

②ロシアの暗さと金の問題

アミン一家は観光ビザで入国できるロシアへ脱出。しかし、ビザが切れると一家は不法滞在者となり、ロシアの警官はそれと知って賄賂を要求してきます…。

 

ウクライナ侵略で一気にイメージを下げたロシアですが、こういう現場の肉声を見ると、やっぱりろくなもんじゃねえなと思っちゃいますね。

警官や役人が腐敗していて、弱いものいじめを平気でするのは、やはりいろんなことに共通するものがあるように感じてしまいます。

 

ただ、これもやっぱり「お金の問題」であって。

描かれるロシアはソ連崩壊直後ですが、経済的に厳しい状況でなかったら、これほど難民が警官にいじめられることもなかったかもしれない。

そう思うと、日本だって将来今よりずっと経済状態が悪くなったら、こんなふうに人の心が荒んでしまうかもしれない。

 

本作はドキュメンタリーなので、決して目を引く派手な悲劇が起こるわけではない。でもそれで、かえって難民であることがどういうことか、実感できるようになっています。

殺されるとか拷問を受けるとか、何か決定的な残酷さが常にあるわけではない。

そうではなくて、例えば決まった居場所を持てないこと。

心から安心することができず、常にビクビクして暮らさなければならないこと。

賄賂を求める警官に対して、卑屈にならなければいけないこと。

将来の展望が持てず、無為な生活の繰り返しで毎日を生きなければならないこと。

それでいて同時に、ことが悪く運んだらひと息に死まで直結してしまうような、不安定な恐怖に晒され続けること。

 

そして何よりもキツいのは、この生活がいつ終わるか分からないということですね。

というか、どうにかして自分から脱出しない限り、こんな暮らしが死ぬまで続く。それで人生が無駄に費やされて終わる。これは本当に、とてつもない恐怖だと思います。

③見えるものの限界と想像力

長兄が滞在するスウェーデンを目指して密入国ブローカーに頼って姉たちがまず出国しますが、悪徳ブローカーに騙されコンテナに閉じ込められて死の危険に。アミンと母、次兄は船で脱出を試みますが、沿岸警備隊に通報されロシアに逆戻り。今度はより高価なエージェントを使って、アミンだけが脱出。「家族はみんな死んだ」という嘘をつき通すことによって、デンマークへ辿り着きます…。

 

本作のストーリーは、最後ここへ帰結することになります。

映画の冒頭でアミンが語っていた、家族がみんな殺されたという悲劇のストーリーは、フィクションだったということ。

実は家族は(父親を除いて)生きているけど、そのことを偽ることによって初めて、アミンは難民としてヨーロッパに定住することが出来たのだということ。

 

自分を偽り、大切な家族が死んだことにするのはとても辛いことなのだけど、でもそれを告白したかつての恋人には「嘘をついて亡命した」となじられ、それをネタに脅迫されたりもする。

アミンの体験してきたことがそれほどの悲劇でもないような、矮小化さえもしたりする。どう考えても理不尽な、不条理な半生を強いられてきたというのに。

 

この構造は映画自体の仕掛けにもなっていて、観客として観ていた僕は、家族が生きていたと知って少し拍子抜けするような感覚も覚えました。正直言って。

でも、ずっとストーリーを追っていれば実感しているように、そもそもそれ以前に不当な運命を強いられているのであって。

それは映画として無名の一人のストーリーとして観てきたから感じることであって、ただニュースとして事実を知るだけであったなら、拍子抜けの感覚の方が勝ってしまうかもしれないんですよね。そこに、怖さがある。

 

だからやっぱり、想像力が重要だと思うのです。「PLAN75」と同じような感想になってるけど。

ただ表面に見えてるものだけに反応して、その先に当然あるはずのことに想像が及ばないから、難民を揶揄するような幼稚な発想も出てきてしまうのだと思います。

④自分を偽って生きるという不幸

スウェーデンで兄や姉たちと再会したアミンは、女性に興味が持てないことを告白します。それを聞いた兄は、アミンをある場所へ連れて行きます…。

 

アミンは同性愛者です。アフガニスタンでは同性愛は許されることではなく、彼はずっと自分を「治療されるべき異常な状態」と思って生きてきました。

それでも、子供の頃には女物の服を着て表を歩くような自由があったわけだけど。共産主義でも、イスラム原理主義でも、同性愛は犯罪扱いされてしまいます。

 

難民であるために家族について偽ってきたアミンの苦悩は、やがて同性愛者であることを隠している苦悩と重ねられていきます。

難民であることと、本当の自分をひた隠しにすることは、自分を偽って生きるという点で同じであり、人生にとって大きな悲劇であるということ。

 

だからこそ、兄がアミンを連れて行った先が(観客が自然と想像するように)女性と付き合わせようとする場所ではなく、アミンを理解し認めてくれる場所だったことが、しんどいことの多いこの映画の中で大きな救いになっています。

 

報復しない。誰かの弱みにつけ込まない。

他人の痛みを想像し、自分の価値観を押し付けない。

ただそれだけで、世界はずっと平和になるだろうという気がしますが。それがいちばん難しいのかもしれないですね。

 

 

 

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