はい、泳げません(2022 日本)
監督/脚本:渡辺謙作
原作:高橋秀実
撮影:笠松則通
編集:日下部元孝
音楽:渡邊琢磨
主題歌:Little Glee Monster
出演:長谷川博己、綾瀬はるか、阿部純子、麻生久美子、伊佐山ひろ子、広岡由里子、占部房子、上原奈美、小林薫
①ノイズその1 そのまま!画面のノイズ
大学で哲学を教える小鳥遊(たかなし・長谷川博己)は水恐怖症でしたが、一念発起して静香(綾瀬はるか)がコーチを務める水泳教室に通い始めます。小鳥遊には別れた妻・美弥子(麻生久美子)がいて、家には今はいない息子の思い出がそのままに残されています。小鳥遊はシングルマザーの奈美恵(阿部純子)と付き合っていますが、踏み切れないでいました…。
お話の内容は、悪くなかったと思うんですよ。
示唆的なセリフも多かったし、プールで泳ぐ時の感覚を内省に結びつけるのは共感ができました。
苦しみながらも前に進もうとあがく主人公は好感が持てたし、支える水泳コーチや、周囲の人も魅力的。
演じる俳優たちも…長谷川博己と綾瀬はるかを始めとして、みんな素晴らしかったと思います。
でもね。この映画、なぜかノイズが多い!
それ、不要では?と感じるノイズがあちこちにあって、素直に感動するのを妨げられてしまいます。
まずは、物理的なノイズ。そのままの意味。
この映画、ものすごく画質が悪いです。
なぜか常にざらついた、常に雪が降ってるような画質。昔のテレビの「太陽にほえろ」とか「仮面ライダー」とか見てるような画質です。
せっかくの水着の綾瀬はるかも、常にざらつくノイズの向こう。
これ、予告編の時から気になってて、まさか本編はそうじゃないだろう…と思ってたのだけど。そのまさかでした。
文字通りのノイズで、非常に没入を妨げられます。意図が分からないので。
たぶん何らかの意図はあるのだと思うんですよ。今、普通に撮ってこうはならないので。
低予算のホラー映画などでも、こうはならない。
それこそ今どき機器も進歩していて、「シン・ウルトラマン」のiPhoneで撮ったところだってこれよりずっときれいなわけで。
古いフィルムの質感の懐かしい感じ…というわけでもない。これの前に観たのは「午前十時の映画祭」で80年代映画だったけど、ノイズなんて感じなかったよ。
意図なのか何なのか分からなかったのですが、何か意図があったにせよ、これは普通に見づらいし、綾瀬はるかも長谷川博己もプールの中の映像も、当たり前のクリアな画質であればもっと心地良く感じることができたんじゃないか…という気がします。
まあ、内容には関係ないことなんだけど。でも、せっかく映画館に来たのにテレビより悪い画質を見せられるのはなあ…と思ってしまいました。
②ノイズその2 奇をてらった演出
冒頭、小鳥遊と元妻の美弥子が話しているシーン。
小鳥遊が水が怖くなった原因として、幼い頃に海に突き落とされた経験を語ります。
美弥子がそういうので泳げるようになるんじゃないの?と言うと、小鳥遊は「苦手な納豆を無理やり口に捩じ込まれたらどう思います?」と反論します。
するといきなり納豆を持った男女が走ってきて、美弥子の口に無理やり納豆を流し込みます。
こういう演出。要は、想像の世界をシームレスに映像で見せる演出で、それ自体は特に目新しいものではないと思うのですが。
一発目がこの「納豆」なのでね。なんかびっくりするのと、絵面が汚くて嫌悪感あるので、いきなり「スベってる」感じがすごくします。
この演出、場面によっては良かったと思うんですよ。
小鳥遊がアザラシを思い浮かべて泳ぐその横を、アザラシがすーっと泳いでいく…というシーンは魅力的でした。
水族館にいる小鳥遊と事務所で電話で話してる静香が、画面の枠を超えて小鳥遊の手を掴む、というシーンも良かったと思います。
終盤になると、小鳥遊が亡くなった息子のことを思い出して、プールの中に息子が見える…というシーンが繰り返されることになります。
それに、いちばん最後にはこの息子の幻影を使った「感動シーン」が…。
ここで、なるほど納豆とかはこのシーンを病的に見せないための、この映画では想像の世界をこんなふうに見せますよ〜という「仕込み」だったのだな、と思うのですが。
でもなんか、上手くいってないんですよね…。前半のコミカルと、後半のシリアスとトーンが違いすぎて。
後半の小鳥遊はパニックになって溺れるので、普通に幻覚を見てるように見えます。そうなると、納豆シーンやアザラシシーンとは扱いが違いますよね。
せっかくの仕込みが機能してない。結果、「あの納豆、何だったんだ…」という疑問だけが残ります。
③ノイズその3 置き去りにされるトラウマ
小鳥遊は水が怖くて泳げないわけですが、水泳コーチの静香にも、交通事故にあったトラウマでまともに道を歩けない…というハンデがあります。
車が怖くて、ちょっと道を歩くだけでもビクビクと身を守りながら。
ろくに外出できないので、職場であるプールの近くに住んでいて、遠くには一切行きません。
これって…小鳥遊より遥かに、生活に支障をきたしてませんか?
小鳥遊が泳げないのは別に生活に支障はないけど。静香はものすごく人生が制限されてしまってる。
それこそ、何もできないですよね。家と職場の往復しかできない。
どう考えても、小鳥遊が泳げるようになるより先に、静香がまともに外を歩けるようにするべきなんじゃないかと思えます。
でもこの映画、誰も静香に手を差し伸べてくれない。ただ、傘を構えてビクビク歩く様を滑稽に、コメディとして描くだけで。
特に小鳥遊は、ものすごく手厚く手を差し伸べてもらってる。水泳コーチの域を超えて、個人的な時間まで使って、トラウマの克服を支えてくれているだけに。
せめて同じように手を差し出す意思だけでも示して欲しくなるのだけど。小鳥遊は元妻との関係、新しい彼女との関係に忙しいのでね。コーチまで手が回らないようです。
ていうか、回収しないなら描かなければいいのに…と思うのですよ。別に普通に、頼りになるコーチというだけでいいのに。
たぶん「誰にも何らかのできないことがある」ということを示したいのだと思うけど。それにしては重すぎるので、非常にバランス悪く感じてしまう。
なので、これもノイズになってしまってます。
④ノイズその4 なぜに関西弁?
麻生久美子演じる小鳥遊の別れた妻・美弥子は関西弁を話します。
それも、非常に威勢の良いチャキチャキの関西弁。常にツッコミ口調だから毒舌だし、タメ口だから上からに聞こえるし。庶民的というか乱暴な感じ。
元気がいいと言うよりは、オバハンくさい。吉本新喜劇のベテラン芸人みたいな関西弁です。
麻生久美子さん、関西の人じゃないですよね。僕は大阪ですが、非常にわざとらしく感じました。
役どころ的には、あけすけに言いたいことを言う年上のサバサバした女性…にしたかったんだと思うのですが。たぶん。
いや〜それ間違ってるよ!と思いました。「カメラを止めるな!」で「どんぐり」が演じていたおばちゃんプロデューサーみたいな感じでしたね。
せっかく麻生久美子という美人女優を起用してるのに、わざわざ魅力をなくすようなキャラ付け。
小鳥遊が、なぜこの人を好きになったのか分からない。
新しい彼女ともまったく似ていないしね。
そもそも関西が舞台の設定でもないし、他の人はみんな標準語だし、小鳥遊も息子も標準語だし、なぜ彼女だけ「新喜劇」なのか分からない。
麻生久美子が上手なのでね。それでも見せ場では感動させられるし、好感を持たせてくれるのだけど。
でもそれは、「関西弁というハンデを乗り越えて」というふうに見えます。
そりゃまあ、多様性の観点からも、いろんな言葉を喋る人はいるわけだし、奥さんがたまたまそういう個性的な人であってもいいじゃないか…と言えるかもしれないけど。
でも、物語にとって意味がないのであれば、特異な設定は避けるべき…というのが、やはり作劇のセオリーなのではないのかな。
劇中ずっと、これ普通だったらもっと感動できるのにな…と思いながら観てました。
⑤ノイズその5 無理のある恋愛
あらためて、良いところもたくさんある映画だったとは思うのです。
特に静香による水泳指導シーンはとても良かった。
泳ぎのコツの具体的な伝授が説得力あって、彼女の言う通りのやり方で泳いでみたくなりました。
水泳教室のおばちゃんたちに小鳥遊はいじられまくるのだけど、その距離感も不快にならないちょうどいいところになっていて。
やり過ぎたらちゃんと謝るとかね。
少しずつ上達する喜び、出来なかったことが出来るようになる嬉しさも、しっかり描かれていたと思います。
それに、水中で無心になることによる内省も、泳ぐことの魅力の一つだと思うので。そこも伝わるものがありました。
だから、やっぱりプールに関するシーンが良くて。たぶんそこが、原作に由来している部分だと思うのですが。
おそらく映画にするために付け足してるプール以外の部分が、少なからずノイズになってしまってるように思いました。
特に、新しい恋愛という要素はなくてよかったんじゃないかなあ…。
しかも、小学生の男の子がいるシングルマザー。息子に関するトラウマが癒えてない男が、そんな相手を好きになります?
しかもこの関係があることで、小鳥遊が水泳を習う動機に、「新しい息子を(今度こそ)事故死させないため」という異様に生々しいものが浮上してしまいます。
これ、何かすごく気持ち悪いものを感じてしまうのですが、私だけでしょうか…。
新しい恋愛をなくして、小鳥遊が泳ぐことを通して過去の傷を克服して前が向けるようになる話、で良かったんじゃないかなあ。
そうすれば、静香コーチにももっと時間が割けたはず。
ようやく自分以外に目を向ける余裕ができた小鳥遊が、静香のトラウマ克服に手を差し伸べて、恋愛関係に発展することも匂わせて終わり、というくらいで良かったんじゃないかと思います。
原作は、実際に泳げない著者が水泳教室に通った経験を綴ったノンフィクション。なので、息子に関するトラウマなどの部分はすべて映画オリジナルです。