Sing a Bit of Harmony(2021 日本)
監督:吉浦康裕
脚本:吉浦康裕、大河内一楼
原作:吉浦康裕
キャラクター原案:紀伊カンナ
キャラクターデザイン・総作画監督:島村秀一
音楽:高橋諒
出演:土屋太鳳、福原遥、工藤阿須加、興津和幸、小松未可子、日野聡、大原さやか、浜田賢二、津田健次郎
①好評を受けてロングラン!
タイミングを逃してしまっていたのですが、12月の終わりになってようやく観ることができました。
公開は10月29日。なかなかのロングランですね。
吉浦康裕監督は「サカサマのパテマ」が面白かったので、本作もちょっと惹かれたのですが、予告編を観た限り、絵があまり好みのタイプではなくて。
アニメの場合、絵の好き嫌いはやはり大きいのですよね…。
でも、ここまで続いてるということは、評判がいいということで。
先入観を反省して、遅ればせながら観てきました。面白かった!です。
脚本がいいですね。ちゃんとSFで、ちゃんと捻りがあって。
笑えて、泣けて、ハラハラできる。上質なエンタメ映画になっていました。
絵柄があまり好みでない…のは、まあやっぱり好みではないんですけどね。
物語にのめり込むうちに気にならなくなって、じきにどっぷり感情移入して、気持ちよく登場人物たちを応援していました。
②「未来の田舎」の面白さ
最新鋭のハイテクをモニタリングする実験都市である景部市。女子高生のサトミ(福原遥)は、星間エレクトロニクスに勤める研究者の母と2人で暮らしていました。転校生としてやってきたシオン(土屋太鳳)は、サトミを幸せにすると宣言し、いきなり歌い出します。実はシオンはサトミの母が開発したAIで、転入してきたのはその実地実験のためでした。母の仕事の成功を願うサトミは、シオンの正体がバレないよう奔走しますが、シオンは次々と突拍子もない行動をとっていきます…。
まず、舞台背景が非常に面白かったですね。田舎の夏の牧歌的な風景の中に、最先端技術が同居している景部市。
田んぼの中の、昔ながらの日本家屋だけれど、カーテンの開け閉めからドアのロックまで大抵のことは音声でできる。
個人のスマホとインフラがネットで結ばれていて、バスは自動運転。
よく言われる、「数年後には多くの仕事がAIに取って代わられる」という状況が既に実現している世界。
都市ではなく、日本の田舎の生活が、高度にハイテク化された描写が新鮮です。
海辺にはソーラーシステムが建ち並び、田んぼではロボットが田植えをしてる。
こういうの、ネガティブに捉えることも可能だし、そういう描かれ方をされがちだけど、本作にはそういう引け目は一切ない。
ごく当たり前の技術として生活に溶け込んでいて、高校生たちが何も構えることなく、普通に使いこなしているのがいいですね。
そりゃ、どんな技術だって違和感あるのは最初だけで、じきに今のスマホと同じになるでしょうね。
物語の展開の中で、ハイテク企業が敵役になる局面もあるのだけれど、それにしても悪という扱いではなくて。
技術自体に善も悪もなくて、それを使う人次第という姿勢。
そして、若い人ほど技術にもAIにも抵抗がなくて、ごく自然に新しい世界を作っていくという世界観。
そこがSFらしさとして、本作の根底となっていました。
③空気に風穴を開ける自由なミュージカル展開
中盤の展開では、AIであるシオンが突飛な行動をとって、サトミが戸惑っていく。
でも、それによってサトミと周囲の人々が結び付けられていき、友達になっていく。
高校生の生活の中にSF的な異物が入り込んで、強固な日常が揺り動かされていくという。これ自体は、割とオーソドックスな少年漫画的展開と言えます。
シオンはAIなので、空気を読まない。疑問に思ったことは何でもそのまま口に出す。
そして、サトミはじめ現代の高校生たちの抱える問題は、基本的に言いたいことを言わない、やりたいことをやらないということ。
優しさとか思いやりが強すぎて、いろんなことを先回りして忖度して、心の中に押しとどめていることから来ていることが多いわけです。
みんな、空気の読み過ぎで手も足も出なくなってしまってる。
そんな状態の若者たちに、シオンが風穴を開けていく。そんな構成になっています。
また、シオンが突然歌い出すという、ミュージカル展開をここに使っているのが上手いですね。
ミュージカルの不自然さを上手いことAIの突飛さの表現にしているし、また「人前でいきなり堂々と歌い出す」ほど「空気読まない」行動はないですからね。
AIであるゆえに天真爛漫で、ミュージカルキャラであるシオンを通して、現代の若者の「空気を読み、目立つことを恐れ、恥をかくことを嫌う」気質が際立たされていく仕掛けになっています。
そして、シオンとの関わりによって、みんなが少しずつ自由になっていく。
解放されていくんですね。だから映画はどんどん解放感を高めていき、観客の気分も気持ち良く高揚していくことになります。
④大人はちょっといいとこなし…
シオンがサトミをロックオンして「幸せにしようとする」ことも、いきなり歌い出すことも、少年漫画的王道パターンにかなってるのでね。それほど違和感なく、「そういうもの」として観てしまうのですが。
きちんとそこも種明かしされる。ちゃんと整合性ある理屈がつきます。
予告編で言ってる「秘密は最後に明かされる」がきちんと明かされて、冒頭からの突飛なストーリーに説明がついて、そしてそれが心情的なクライマックス、感動ポイントにもなっている。
終盤に至って、すべてが一点に集約していく。その作劇が鮮やかでした。
ただ、いろいろと辻褄を合わせる上での皺寄せは、サトミのお母さんに行ってしまってるなあ…というのは感じました。
そもそもが、AIの実地実験を高校で行う(しかも会社に無断で)というのが無茶ですね。なんか、後で会社に怒られるのも当然だろう!という気がする。
更に、シオンがAIであることがバレたら終わり…と言いながら、実験開始前に娘にバレてる。
学校でシオンが実際に何やってるかも一切気づかない。
後で、サトミがシオンのことを黙っていたことを、お母さんが激しく責めるのだけど、いや〜自分を棚に上げてそれはないんじゃないかな?という気持ちになってしまいました。
サトミとトウマが疎遠になったきっかけもお母さんだしね。いろいろと不用意で、そこがあまり突っ込まれてないのは観ていてちょっと歯痒かったです。
本作の大きなテーマとして、AIが人間と同じ意識を持てるか?というのがあって。
シオンに意識があるとしたら、それを工業製品として、企業の持ち物として扱うのはどうなんだ?という倫理的問題が立ち上がってきます。
シオンもサトミも、見た目は同じ女子高生であるだけに、そこは若干危ういムードが漂うんですよね。
製品として扱うものを、多感な若者たちに友達として認識させるのは、大いに問題があるんじゃないだろうか…。
そこも一度は突っ込んでおいた方が良かったんじゃないかな…という気はしました。
⑤世界の変化を前向きに捉えるSFマインド
明るく楽しい青春恋愛映画であると同時に、本作はAIが意識を持ち人間の脳を超える特異点、シンギュラリティを描くハードSFでもあります。
同じテーマで、今年は「ゴジラS.P」という作品もありました。
2045年問題という言葉もあるように、シンギュラリティは結構近くにある問題だったりします。
劇中の行動を見る限り、シオンは「サトミを幸せにする」という目的のために、自分で考えてどうするかを決め、行動しているように見えます。
そのために、都合の良いボディを選んだり、研究所の人々に自分の行動がバレないよう偽装工作したりしてる。
もはやチューリングテストどころじゃないレベルで、自律的に行動しているようです。
それでも、シオンに人間と同じ主観的意識があるかどうかは証明できない…というのが、ちょっと怖いところですね。意識を目に見える形で取り出すことは不可能だから。
どこまで行っても、シオンはただ正確に人間の模倣をするだけの機械でしかないという立場に立つなら、シオンは企業の持ち物であり、思いのままに機能停止させたり、記憶消去したりすることが出来ることになります。
それは理屈の上では正しいのだけど、見た目も発言も行動も人間と区別のつかない女子高生を、モノのように扱うのは直感的に気持ち悪く感じます。
逆にシオンを友達扱いして人権を認めるなら、お掃除ロボットや田植えロボットはどうなるのか?という問題も生じてきます。
AIを道具扱いするのは、新たな奴隷制度に他ならない…ように見えてくる。
そう考えていくと、人間とAIが仲良く共存するのはとても難しいし、「ターミネーター」や「マトリックス」のような破滅的な未来は避けられないと思えてしまいます。
シオンのように偶然自我に目覚めたAIが、攻殻機動隊のようにネットの海に解き放たれて、あらゆるシステムにアクセスし放題。これは人類にとってはなかなか、ハードな状況なんではなかろうか…?
…と、いろいろ書いてますが、映画は別にそんなシリアスなことは言ってない。あくまでも明るく前向きに、AIと向き合う若者たちを描いています。
技術の進歩によって世界はやがて否応無く変わっていくし、その時に大人はついつい、古い価値観にしがみついて旧来の社会を守ろうとしてしまうけれど。
子どもたちにはそんなしがらみも何もないから、AIと新しい関係を築いて、新しい世界を作っていくのも子どもたちなんでしょうね。
「マトリックス レザレクションズ」にも似た、変化を恐れない姿勢。本作からは、そんなSF的な前向きさを感じました。