Spectre(2015 イギリス、アメリカ)

監督:サム・メンデス

脚本:ジョン・ローガン、ニール・パーヴィス、ロバート・ウェイド、ジェズ・バターワース

原作:イアン・フレミング

製作:バーバラ・ブロッコリ、マイケル・G・ウィルソン

撮影:ホイテ・ヴァン・ホイテマ

編集:リー・スミス

音楽:トーマス・ニューマン

主題歌:サム・スミス

出演:ダニエル・クレイグ、クリストフ・ヴァルツ、レア・セドゥ、ベン・ウィショー、ナオミ・ハリス、デビッド・バウティスタ、アンドリュー・スコット、ロリー・キニア、イェスパー・クリステンセン、モニカ・ベルッチ、レイフ・ファインズ

 

①スペクターとブロフェルドの歴史

「ノー・タイム・トゥ・ダイ」直前ですが、すいません「スペクター」は酷評注意です。

新作前にそんな盛り下がるのは見たくないよ!という方は、「カジノ・ロワイヤル」「スカイフォール」の記事の方へお願いします。

 

前作スカイフォールのラストで、男性のM、マネーペニー、Qが出揃い、いよいよ本来の王道007の準備が整ったダニエル版ボンドのシリーズ。

見事なタイミングでボンドの宿敵、スペクターとその首領ブロフェルドが登場することになります。

 

スペクターが最初に登場したのは第2作「ロシアより愛をこめて」(1963)で、ブロフェルドは謎の存在として顔は映らず、会議の場で部下を粛正する様が描かれました。

本格的にブロフェルドが登場したのは第5作「007は二度死ぬ」(1967)で、演じたのはドナルド・プレザンス

スキンヘッドに詰襟のスーツを着て白い猫を抱いている…という姿が強い印象で、「オースティン・パワーズ」でパロディにされてるのもこのバージョンのブロフェルドです。

 

ボンド役がショーン・コネリーからジョージ・レイゼンビーに交代した第6作「女王陛下の007」(1969)では、テリー・サバラスのブロフェルドが登場。

このブロフェルドがいちばんボンドの宿敵ぽくて、ボンドが遂に本気で愛して結婚した女性トレイシーを殺害しています。

 

せっかくボンドとの因縁を盛り上げつつも、次の「ダイヤモンドは永遠に」(1971)ではボンドもブロフェルドもまた交代。ボンドはショーン・コネリーに戻り、ブロフェルドは髪の毛ふさふさでずいぶんイメージが違うチャールズ・グレイ

ここでも決着はつかないのですが、スペクターとブロフェルドはこの後しばらく007映画から姿を消すことになります。

 

これは、スペクターとブロフェルドの権利が原作者を巻き込んだ裁判沙汰になっていたからで、007シリーズを製作するイオン・プロはこのキャラクターを映画に使うことができなくなります。

ロジャー・ムーア時代の第12作「ユア・アイズ・オンリー」(1981)のアバンタイトルに「ブロフェルドに似た男」(ブロフェルドとは言ってない)が登場しています。このキャラは本編には絡まず、アバンタイトルだけのお遊びとしてボンドにあっさり殺されてしまいます。

スペクター及びブロフェルドを使う権利を得た側が制作した番外編007映画「ネバーセイ・ネバーアゲイン」(1983)には、マックス・フォン・シドーのブロフェルドが登場しています。

 

スペクターとブロフェルドの権利がMGMによって買い戻されたのは、実に2013年。

ここに来てようやく、本家007シリーズにスペクターとブロフェルドを登場させることが可能になったわけです。

そしていよいよ、評判のいいダニエル・クレイグの007に、スペクターとクリストフ・ヴァルツのブロフェルドが登場。

だから本当に、満を持して…なんですね、今回の「スペクター」は。

だから、そりゃもう期待が盛り上がるわけです。

わけです、が…

②アバンタイトルは最高!

メキシコで死者の日にテロリストを狙撃したボンド(ダニエル・クレイグ)は、犯人からタコの紋章が入った指輪を奪います。勝手な行動をM(レイフ・ファインズ)に叱責され、謹慎を命じられたボンドは独自に手がかりを追い、ローマでタコの紋章をシンボルとする組織の秘密会議に潜り込み、その組織のボスであるフランツ・オーベルハウザー(クリストフ・ヴァルツ)に出会います…。

 

本作のアバンタイトルはイイ!ですね。

大群衆で埋め尽くされた、メキシコシティの死者の日のお祭り。

その中を歩いてくるボンドと美女(かどうか、最初は分からないけど)が建物に入って、エレベーターに乗り、部屋に入って美女とベッドイン…と思いきや窓から外に出て、祭りの様子を今度は眼下に見ながら進み、狙撃相手を見つけるまでを1カットで描く。

サム・メンデス監督の、この次の「1917 命をかけた伝令」に引き継がれることになる1カット風演出。

この間の地上波放送では、容赦なくバッサリ切られてて驚きました。

ここが、この映画でいちばんイイところなのに!

 

ここからのビル爆破から、大群衆で埋め尽くされた広場の上空でのヘリのスタントアクションまで、見どころ満載のアバンタイトルです。

007のような大作アクション映画では、いったいどうやって撮ったのだろう…と思わせるような、驚きのあるアクションシーンを期待したいところです。

大群衆の頭上でヘリがアクロバットを演じる本作のアバンタイトルは、十分その期待に応えるものでした。

 

そしてタイトルバック。これまでのダニエル版ボンドに登場した敵キャラ、ル・シッフル、ドミニク・グリーン、ラウル・シルヴァが映し出され、これまでのボスキャラの更に黒幕だったスペクターの出現が示唆される…

本当に大いに盛り上がるのですが、残念ながらここが本作のピークなんですよね…。

 

③上手くいかなかったスペクターの導入…

ダニエル版のこれまでの4作というのは、ジェームズ・ボンドというある種マンガチックになってしまったキャラクターを、あらためてリアリティあるものとして再構築する試みだったわけです。

だから、あえてお馴染みの要素を全部外して、新人ボンドのデビューから始めて、シリーズのお約束を丁寧に検証していくような段階を踏んできたんですね。

その上で少しずつ、Qとかマネーペニーとかのお約束要素を少しずつ再導入していった。

 

そこへスペクター…ですが、007映画におけるスペクターというのは、そもそもかなりマンガチックなイメージのものです。

白猫抱いてる謎の首領がいて、幹部はNo.1とかNo.2とか呼ばれていて、失敗したらボタン一つで粛清されてしまう。

目的は世界征服で、米ソの核戦争を誘発したり、殺人ウィルスを世界にばら撒いたり、スケールの大きな作戦を遂行。

 

それをそのまま持ってきたら荒唐無稽に過ぎるから、リアルに見えるようアレンジを施し、また本作の中でも小出しにして、少しずつ全容を見せていく…という手法をとったわけだけど。

なかなか出てこないことで、単純に紹介する時間が足りなくなっちゃって、どういう組織なんだか、凄みも怖さも伝わらない…ということになってしまった気がします。

 

核攻撃だの殺人ウィルスだのは非現実的…ということで、本作でのスペクターの目的は世界の情報の掌握になってるのですが、それって前作のシルヴァとあまり変わらないような…。

あらゆる悪の黒幕にいる組織というなら、それこそ各国政府に入り込んでいるとか、陰謀論的な権力を持ってる必要があって、もう既に情報なんて掌握してなきゃならない気がする。

情報掌握も今からなら、じゃあ何に強みがあって黒幕なのかが、分からない。

単純に、これまでのル・シッフルやグリーンやシルヴァが率いていたのと同じ程度の規模の組織に見えてしまいます。

リアルというか、単なるスケールダウンに見えてしまう。

会議のシーンも、バウティスタのヒンクスに幹部を殺させるのは上記の粛清シーンを踏まえてのものだろうけど、昔の方が冷酷で怖く見える…ということになっちゃってましたね。

 

考えてみれば、シリーズにスペクターが出せなくなってから、スペクターがやるような悪事を毎回の悪役にやらせてきたわけだから、今更「スペクターしかできないような悪事」なんてないんですよね。

スペクターの正体はイギリス政府だった!てなところまで風呂敷を広げれば、説得力が持てたかもしれないですが、そこまでやると007じゃなくなっちゃいますね。やっぱり難しい…。

④ノープランに見えてしまう緩い展開

ある程度のご都合主義は007シリーズでは織り込み済みで、あまりツッコミを入れるのも野暮なこと…とは思うのですが。

とは言え、あまりに緩い展開を見せられると、気分は萎えてしまいます。

 

中盤にボンドが敵に捕まって、拷問されたり、危機一髪になる。これも、007の定番ではあります。

「ドクター・ノオ」とか「ゴールドフィンガー」の頃から、既にそうでしたね。

「スカイフォール」でも、同じ展開がありました。

敵に捕まった状態であっても余裕を崩さないボンドがカッコ良かったり、敵が調子に乗って基地を案内したり、悪巧みをペラペラ喋ってくれたりして、この展開を利用して敵のキャラクターを説明したりするわけです。

 

ただ、一応これまでの作品では、潜入しようとして捕まったとか、身分を偽っていたけどバレたとか、捕まるに至る経緯というものがあったと思います。

本作では…砂漠の座標を見出して、列車で行くんですよねボンド。

駅に着いたら砂漠のど真ん中で、車がないからどこにも行けない。そこに迎えの車がやって来て、のこのこ乗ったら案の定、敵の秘密基地に捕まって、椅子に縛られて、頭にドリルを差し込まれるキツい拷問を受ける羽目になります。

いや…これじゃボンド、バカじゃないですか? 何のプランもないまま敵の中へ突っ込んでいって、自分から捕まりに行ってるとしか思えない。

しかも、マドレーヌ連れて行ってますからね。もうちょっと考えてから行こうよ…。

 

あえて敵の中に飛び込んで敵の真意を探る…というような展開もありますけどね。でもその場合は、少なくとも殺されずに脱出できる何らかの作戦が必要ですよね。

本作では、ボンドの手段は「腕時計型爆弾」だけ

いや〜そんなの真っ先に取り上げてるべきだよね。ましてや、ブロフェルドはMI6本部も覗き見できるくらいの情報通なんだから…。

ル・シッフルみたいに全裸にされてたら詰みだったし、確かシルヴァも装備品を取り上げてたはず。そういうところ一つとっても、これまでの敵の方がしっかりしてたと思えてしまう。結果、ブロフェルドを下げる効果になっちゃいます。

 

せっかくピンチの局面を作って、映画が盛り上がるはずなのに、ボンドもブロフェルドもこの局面によってバカに見えるばかりになってしまっています。

なんだろうな。前作まで、こういう細かいピンチの作り方などに関しても、本当にしらけるようなところがないのがダニエル版ボンドだったんだけどな。

何かボタンをかけちがうと、何もかもが上手くいかなくなる…ということなんでしょうか。

⑤語りきれなかったブロフェルドとボンドのテーマ性

これまでのダニエル版007は1作ごとにテーマが設定されていて、特にサム・メンデス監督の前作は非常にテーマ性が濃厚だったのですが、同じ監督の本作は、不思議なくらいにテーマ性が薄いです。

 

今回のブロフェルドには、少年時代のボンドにとって兄のような存在だった…という過去の因縁が用意されていて、そこがテーマとして浮上するはずだったと思うのですが、それについて語られるボリュームが、あまりにも少ない。

「スカイフォール」で導入された、ジェームズの両親の死のいきさつ、その後のジェームズの成長期、そこでのブロフェルドの関わり…というのが絡んでくるはずなんだけど、すごいさらっと流されていて、ほとんど何だったのか思い出せないくらいになってます。

 

ボンドの兄のような存在であったブロフェルドが、その後もボンドの人生に裏から関わっていて、ヴェスパーの死を始め、様々な悲劇を引き起こしていた。

前作は、ボンドがMという母性から自立する話でした。

本作は、ボンドがブロフェルドという兄、いわば父性に人生を支配されていたことが分かり、それを打破していよいよ完全な自立を遂げる。そういう物語が意図されたのではないか…と思うのですが。

 

ブロフェルドが登場するのがそもそも遅いし、紹介の時間も足りてない。過去を掘り下げる尺が、そもそも足りていない感じです。

なんでこうなったのか…。こういうことって大抵、元あったストーリーに対して、「地味過ぎる」とか「もっとアクションを増やせ」とかの横槍が入った時に起こるんですよね。

実際にどうなのかは、分からないけど。

 

ブロフェルドは「ノー・タイム・トゥ・ダイ」にも登場するみたいですが。

今度こそ掘り下げるのかな。それとも、なかったことにするかな。どうでしょう…。

新作公開直前に、なんだか盛り下げるレビューになっちゃいました。すいません。

なんとか、ダニエル・クレイグ引退作となる新作では、挽回していて欲しいものです。今日公開の新作に期待!