Skyfall(2012 イギリス、アメリカ)

監督:サム・メンデス

脚本:ニール・パーヴィス、ロバート・ウェイド、ジョン・ローガン

原作:イアン・フレミング

製作:マイケル・G・ウィルソン、バーバラ・ブロッコリ

製作総指揮:アンソニー・ウェイ

撮影:ロジャー・ディーキンス

編集:スチュアート・ベアード

音楽:トーマス・ニューマン

主題歌:アデル

出演:ダニエル・クレイグ、ハビエル・バルデム、レイフ・ファインズ、ナオミ・ハリス、ベレニス・マーロウ、ベン・ウィショー、ロリー・キニア、オーラ・ラパス、アルバート・フィニー、ジュディ・デンチ

①お約束を検証するダニエル版ボンド

トルコで、各国のテロ組織に潜入している工作員の名簿を収めたハードディスクが奪われます。追跡したボンド(ダニエル・クレイグ)ですが、M(ジュディ・デンチ)の命を受けたイヴ(ナオミ・ハリス)の誤射により銃弾を受け、行方不明になります。MI6の本部が爆破され、任務に戻ったボンドは、マカオでラウル・シルヴァ(ハビエル・バルデム)と出会います。シルヴァは元MI6で、自分を見捨てたMに恨みを持っていました…。

 

シリーズ23作目。ダニエル・クレイグのボンドとしては3作目。

1962年の「ドクター・ノオ」以来、シリーズ50周年記念作品となります。

 

ダニエル版ボンドでは毎回、007シリーズの様々な要素を検証して、それによって新規軸を打ち出していくという姿勢がありました。

「カジノ・ロワイヤル」では映画シリーズの多くのお約束を一旦すべて取っ払って、原作小説にまで立ち返って再構築していました。

「慰めの報酬」では1作ごとに完結した世界というお約束を外してシリーズに連続性を持たせ、またスパイものの建前である国家の正義まで揺さぶってみせました。

 

「スカイフォール」ではボンドとMの関係性を通して、諜報員とそれを使う側との関係を検証しています。

任務のために、時には冷徹に諜報員を切り捨てる上司(国家)と、それを承知の上で命懸けの任務を務める諜報員。

お話だから成り立ってるけど、現実を考えたらおそらくマトモな精神では耐えられない。

007の大前提、最大のお約束と言えるところですね。

②「諜報員の現実」へのシニカルな批評

冒頭、ボンドに当たる危険を承知の上で、イヴに撃つことを命じるM。

体だけでなく心も傷ついたボンドは、そのまま行方をくらましてしまいます。

本作では、任務に傷つき、迷うボンドの姿が描かれています。

 

ボンドは結局、テレビでMI6爆破のニュースを見て帰ってくるのだけど、あのままフェイドアウトしていてもおかしくなかった雰囲気です。

と言っても、のんびり休暇を楽しんでるようにも見えない。

酒に溺れて、なんかヤバそうな賭けとかしてる。どうもやさぐれて居場所がない感じ。

 

前半で描かれるのは、相当に病んでいるボンドの様子です。

ただでさえ生きるか死ぬかの危険な任務をこなしているのに、上司が味方に後ろから撃つ命令をするんだから、そりゃ病みますね。

かと言って辞めても、行き場がない。もはやスリルなくては生きられない体になっていて、そうでなければもはや飲んだくれて廃人になるしかない。

 

戻ったボンドは適性検査を受けて、その結果が「ボロボロ」とされるのですが、それは現在のボンドが身も心もボロボロになっているからですね。

そして、007シリーズの設定をリアルに考えたならば、諜報員はこんなふうにボロボロになるのが当たり前。

 

最初この映画を観た時に、僕はちょっと戸惑ったんですよ。前作までルーキーだったはずのボンドが、いきなり世代交代を迫られる立場になってるから。

でも、問題はキャリアの長さじゃないんですね。ハードな任務にただ疲れるだけでなく、いつでも味方に切り捨てられることを覚悟しなければならない、救いのない立場が諜報員の心を蝕んでいくのでしょう。

だから、取り返しのつかないほどに症状が進むまでに、諜報員は引退して新人と交代するのが、現実的な対応なのでしょう。実際、ボンドもテストに合格できず、本来なら引退を勧告されるはずでした。

 

しかし劇中ではMが裏から手を回し、ボンドを合格したことにして、任務に復帰させていました。

ルール的にはめちゃくちゃですが、しかしそれはMがボンドをよく理解しているからです。もしここで引退させられたら、ボンドはまた居場所をなくして飲んだくれるだけでしょうからね。

要するに、ボンドはもうとっくに「取り返しのつかない」状態になってしまってる。適性があるとかないとか度外視して、危険の中でしか生きられないジャンキーになっちゃってるということですね。

そして、Mもそれをよく理解していて、いわば共犯関係のようになっている。

 

本作で描かれているのは、007というキャラクターの異常性の指摘。

こんなキャラが現実にいたら、こうなってるはずだよ…という、かなりシニカルな批評です。

そこまで批評した上で、ボンドに007的な華麗な活躍をさせていくというのが、本作のユニークな特徴になっています。

 

③ボンドの影としてのシルヴァ

というわけで、敵はMを軸にしてボンドと鏡像関係にあるキャラということになります。

諜報員としてMのために懸命に働き、Mに見捨てられて自決の一歩手前から生還し、Mへの復讐を誓うシルヴァ。

彼の境遇は、列車の上で味方に撃たれたボンドとさほど変わらないものですからね。

病んだボンドの行き着く果てが、シルヴァだと言えます。

 

シルヴァのMへの憎しみは、愛情の裏返し。愛していた母に裏切られた怒りと悲しみが、シルヴァの原動力になっていますね。

ここは、ジュディ・デンチのMが女性であることで、諜報員と上司の奇妙な擬似親子関係が強調されてます。

多くは親の愛を知らない孤児であった諜報員たちが、擬似的な母性で絡め取られ、危険を冒すことを課されている。そんな異常な支配機構。

 

実際、ボンドの側もMとの関係はなんかちょっと不気味…なんですよね。

任務に復帰するときに、わざわざMの自宅に入り込んで、真っ暗な部屋の中でMの帰りを待っているボンド。これ、前にもこの方法で会いに行ってましたね。

 

ボンドも孤児であることが明かされます。ボンドもシルヴァと同じように、Mとの異常な依存関係を持っている。違いは、程度の差だけ。

本作によって、ダニエル版ボンドはヴィランと紙一重の危うさを秘めた、ギリギリのライン上で成立するダークヒーローとして定義されたと言っていいでしょう。

スーパーマンでなく、バットマンですね。体にも心にも傷を負い、ある種のジャンキーと成り果てても、それでも世界を守り続ける孤高のヒーローです。

ボンド対シルヴァはまさにバットマン対ジョーカー。

同じように正常な世界からはみ出した二人の、互いに自分の影を撃つような戦いです。

④ダニエル版ボンドの実質最終回?

Mの二人の息子が、ボンドの生家スカイフォールにて対決するクライマックス。

孤独な生い立ちの果てに、Mのもとに居場所を見出したボンドが、自分もそうなったかもしれない悪役と戦い、撃退する。

自分自身の影を退け、母たるMとも別れを果たして、いよいよボンドが自立する。

ダークヒーローとしてギリギリの綱渡りをするボンドから、従来のスーパーマン的な007ジェームズ・ボンドへ。

 

だから、ラストでは昔ながらのMI6本部が描かれ、男性のMと秘書室のマネーペニーという定番シーンが描かれたのでしょうね。いつものお馴染みの007シリーズの、ここが始まりという意味合いで。

 

ただ、ダニエル版ボンドとしては、これは実質的な最終回と言えたんじゃないかな。

レイフ・ファインズの新たなMは、ボンドを不適正と見なしていたはずなのに、もうそんなことは言い出さない。

長く務めた諜報員が病んでしまう…という本作前半で示された事実は「なかったこと」になっていて、ボンドはすっかり平気で、まだまだ任務を頑張るぞ!という顔をしています。

 

「カジノ・ロワイヤル」から描かれてきた、悩めるダークヒーローとしてのボンドはここでリセットされている。

新たなボンドのスタート…とも言えるけど、それは実のところダニエルじゃなくてもいい、誰がやってもいいボンド、とも言えてしまいます。

だから、本当はここで交代してて良かったような…

 

…ってことはないですね。

ダニエル版ボンドはここまで変化球ばかり投げてきた感があるので、ここらで直球ストレートな007映画を観たい…という気にもなっていたんですよね。

MとマネーペニーとQが揃って、秘密兵器とボンドカーとボンドガールが登場する、伝統的007のお膳立てが整いました。

そして、更には因縁の宿敵スペクター、ブロフェルドまで…というわけなので、次作「スペクター」への期待値は大いに上がったわけですが。

はてさて…?