Little Women(2019  アメリカ)

監督/脚本:グレタ・ガーウィグ

原作:ルイーザ・メイ・オルコット『若草物語』

製作:エイミー・パスカル、アーノン・ミルチャン、デニス・ディ・ノヴィ、ロビン・スウィコード

撮影:ヨリック・ル・ソー

編集:ニック・ヒューイ

音楽:アレクサンドル・デスプラ

出演:シアーシャ・ローナン、フローレンス・ピュー、エリザ・スカンレン、エマ・ワトソン、ティモシー・シャラメ、ローラ・ダーン、メリル・ストリープ

 

①めっちゃ良かったです!

「レディ・バード」グレタ・ガーウィグ監督&シアーシャ・ローナン主演コンビによる、古典少女小説「若草物語」の映画化。

コロナのせいで長らく公開が延期されていましたが、再開後はいち早く公開ということになりました。

他の作品の多くが延期されたため、当初の予定よりかなり多くの劇場での公開になったようです。そこは、良かったですね!

 

本作はアカデミー賞にもノミネートされていて。作品賞、主演女優賞(シアーシャ・ローナン)、助演女優賞(フローレンス・ピュー)などにノミネート。衣装デザイン賞を受賞しています。

 

作品賞ノミネート作の中では、もっとも遅い公開になりましたが。

 

めっちゃ良かった。素晴らしかったです!

すごく良い映画でした。脚本と演出が素晴らしい。

非常に繊細な、言葉に頼らず画角とタイミングで伝わってくる感情。

泣きました。古典的な物語のはずなのに、すごく感情を刺激されてしまう。

風景が美しくて、映像の至るところに細かなこだわりがあって…。

アカデミー監督賞あげたい!と強く思いました。ノミネートされてなかったけど。

 

 

②作家が生まれる物語

19世紀のニューヨーク。小説家を目指すジョー・マーチ(シアーシャ・ローナン)は出版社に持ち込んだ作品が採用され、夢への一歩を踏み出していました。しかし、病弱な妹ベスの容態が悪化したとの知らせを受けて、ジョーは故郷へ向かいます。7年前のマサチューセッツ、ジョーは四姉妹の一人として、貧しくも幸せな少女時代を過ごしていました…。

 

原作「若草物語」は読んだことないです。

名作劇場の「愛の若草物語」「ナンとジョー先生」も見てなかったし。物語はまるっきり知らない状態。

だから、ストーリー自体も予測がつかなくて、素直に驚きながら楽しむことができました。

 

ざっくり持ってたイメージからも、後から調べたことからも、「若草物語」と言えば四姉妹の田舎のおうちでの名作劇場的日常生活を描いたお話というイメージです。

作家になる女性の物語と、そこからの回想で描かれていくのは映画の独創ですね。「若草物語」の本編部分は回想の中にある。

「若草物語」は作者オルコットの自伝的作品で、次女ジョーが作者の分身であることは広く知られたことですが、映画ではその点を更に進めて、オルコット自身の要素をジョーに込めて描いています。

 

その結果として本作は、ただ「若草物語」の映画化というだけにとどまらず、「一人の作家が誕生する物語」になっています。

本が大好きで、創作に憧れて、想像の世界で遊んでいた少女が、様々な人生の悲喜こもごもを体験して、やがて「書くべきこと」や「何のために書くか」を見出して、作家になる物語。

 

このタイプの話が、僕は大好きなんですよ。

やっぱり自分の中にも創作への憧れがあるだけに、すごく共感して、入れ込んで観てしまいます。

 

少女時代の、ただ素直に本が好きという純粋な思い。

それが憧れとなり目標となって、彼女の人生を突き動かしていくエネルギーになっていく。

でも、挫折があって。目標のために何かを諦めなければならない、辛い選択があって。

そんな時に支えとなる家族や愛すべき人たちを通して、書くべきことを掴んでいく。そんな成長。

 

作家になるって、人間的な成長が必要なものだし、それにやっぱり人を楽しませようとする思いが、根底に必要じゃないですか。

だからジョーは魅力的だし、その成長も見ていて応援したいものになっていく。すごく気持ちの良い成長物語になっていると思います。

 

 

③現在と過去を並行して描く効果

既に書いたけど、本作は回想形式

ジョーがニューヨークに出て作家修行している「現在」から、7年前の「過去」を振り返ります。

だから、4人の姉妹がどうなっていくか…ということは、初めからネタバレしているということになります。

メグは結婚して子供を育て、エイミーは金持ちの叔母とフランスに滞在している。ベスは病気がちで、母親と一緒に家にとどまっている。

ジョーとローリーのロマンスは実らず、ジョーはまだ作家として成功は収めていない…。

 

それぞれが家を出てバラバラになって、一人で大人の道を歩んでいる地点から、すべてが家の中で起こっていた少女時代を振り返る。

この視点によって、7年前の少女時代に、既に失われた理想郷のニュアンスが加えられています。記憶の中の出来事がそうであるように、より美しく見えてくるんですね。

7年前の少女時代、それはつまり「若草物語」の本編に当たる部分なわけです。

原作の持つ少女小説としての甘さ、無邪気さが、ノスタルジーの甘美さとして昇華されている。

古典を今映画化するにあたって、上手い工夫になっていると思います。

 

映画は軽快なテンポで進んでいきます。現在と過去を頻繁に行き来しながら、2つの時空を並行して描いていく。

目まぐるしくて、最初はちょっと戸惑いますけどね。

でも、登場人物みんなのキャラが立っているので、混乱することはないです。

序盤は、背景となる場所が変わることで、現在と過去が一目で分かるようになってます。

中盤からジョーがマサチューセッツに帰って、背景も同じになってくるんだけど今度はジョーの髪型で迷わず見分けられるようになっている。この辺り、親切ですね。観客に余計な混乱を押し付けない。

 

中盤以降になってくると、あえて場所やシチュエーションが現在と過去でシンクロして、なぞって繰り返すように描かれていきます。ここに来て、この目まぐるしい回想形式が考え抜かれた構成であることがわかってくるんですね。

病弱なベスが倒れ、ジョーが懸命に看病して、保養のために海に出かけていく…そんな同じシーンが現在と過去で、あえて並行して描かれる。

同じであることで、かえって現在と過去の決定的な違いが、際立って見えてきます。

7年の年月を経て、失われてしまったもの。

もう決して取り戻せないもの。

時間というものの残酷さが、見事に描き出されていく。ジョーの思いが、現在でも過去でもずっと変わらずにあるだけに。

 

ジョーとベスのシーンには、本当に泣かされてしまいました。

決してそんなに大げさな演技ではなく、抑制された演出なんだけど、やっぱり積み重ねられてるんですよ。2つの時制を対比させた丁寧な演出で、気持ちが完全に高められている。

だからもう、本当に素直に感情が溢れ出してしまいます。

④結婚と自立という永遠の問題(ラストのネタバレあり)

作家として自立した女性になることを目指し、結婚だけが女の幸せだとする古い価値観に反発するジョー。

メリル・ストリープ演じる大叔母の、「女性の仕事なんて女優か娼婦くらいしかない(そしてそれは似たようなものだ)」というセリフもありましたね。

「あなたは独身じゃないですか」というジョーに、大叔母は「私は金持ちだもの」とあけすけに答えます。つまり、初めから金持ちなのでなければ、女性が後から逆転する方法は結婚しかないのだ…ということ。

19世紀だから、女性の置かれた立場は今よりずっと厳しくて、モノを書くことは数少ない脱出口だったのでしょう。

だから、ジョーにとって書くことは単なる自己実現の夢というだけじゃない。もっと切実なのです。

 

恋愛や結婚を安易な目標にせず、自由を大切に生きるジョー…なんだけど、本作はただ一方的な偏った価値観だけを良しとするわけでもありません。

ジョーは自由に生きたいはずなんだけど、でも時々むしょうに寂しい。

誰かに愛されて生きていく生活にも、憧れを抱いてしまう…。

自立して生きることと、愛する相手と家庭を築くこと。そのどっちが幸せかなんて、19世紀でも現代でも、答えなんかないものですからね。

現代にもそのまま通じる、普遍的なテーマになっています。

 

自由と自立、愛と家庭。現実にはどっちかしか選べないわけで、映画も大抵の場合、どっちかにテーマを絞っていくわけですが、本作はその両方に揺れ動く様を素直に描いていきます。だからこそ、その自然な姿に共感が深まるわけですが。

でも、結末の付け方は難しいですね。

映画としては、ジョーが愛する人と結ばれて、幸せになるところが見たい。それはやっぱり、カタルシスとしてはね。

でも、それではジョーの大切にしてきたことが、うやむやになってしまう…。

 

本作はそこにも、アクロバティックな方法で解決をつけてしまいます。両方の選択を、一つのストーリーの中で見せてしまう。

本作が「若草物語」の映画化でありつつ、同時にその作者の物語でもあることが、最後になって見事に生かされるんですね。

ここまでずっと、ジョー=作者、若草物語=作者の実人生として描いてきたものが、最後の最後になって別れる。

 

ラスト、ジョーはニューヨークから追ってきたフレデリックに愛を告白して結ばれます。ジョーは大叔母に遺贈された屋敷を学校にします。そこにはジョーの愛するすべての人たちが集まり、その中にはもちろんフレデリックもいます…。

多幸感に満ちた見事な大団円…なんだけど、並行して描かれる出版社のシーンでジョーは、契約を有利にするために「本当はそうじゃないけど、主人公を結婚させる」ということを言っています。

この本は「若草物語」。ジョーが自分の人生について書いた本です。

だから、この大団円はジョーの書いた本の中の世界なんですね。映画のラストでは、本の中で愛を選んだジョーと、実際の人生で自由を選んだジョーが、並行して描かれるのです。

 

これは本当に、見事なラストだと思いました。

ここまでの映画の構成…現在と過去が並行して描かれる…ということも、伏線になっているんですよね。

2つの時空が同時に描かれていくことがここまで明示されているから、最後に本の世界とその外の世界が同時に描かれることも、自然に受け取れるようになっている。

 

また、必ずしもそうとも言い切れない含みも残しているんですよね。

大団円の世界にはジョーが出版した「若草物語」の本もあって、ジョーは結婚と自立を両方とも手に入れたのだ…という解釈も、許容する形になっています。

観客は、それぞれ個人的に大切に思うことによって、自分好みの結末を選ぶこともできる。そんな開かれたラストになっています。

ちなみに、「若草物語」の続編では、ジョーが結婚して開いた学校が物語の中心となっていき、作者のオルコットは生涯独身を貫いています。

⑤俳優たちの魅力

そんなふうに、考え抜かれた脚本と、演出。

それを支える俳優たちも、本当に全員が素晴らしかったです。

 

「レディ・バード」に続いて監督の分身と言えるシアーシャ・ローナン

 

強さと弱さ、元気さと繊細さ、達観した大人の視点と無邪気な子供の視点。

そんな矛盾した部分をいっぱいに抱え込んだ女性を演じ切っていて、一面的でない複雑な人間らしさを体現していましたね。

 

シアーシャ・ローナンのジョーの、元気が弾ける躍動感が魅力的なんですよね。

書いたものが採用されて、ニューヨークの街を全力疾走するジョー。

「レディ・バード」の時も「朝ドラみたい」って書きましたが。朝ドラの主人公にも共通する、こっちまで元気をもらえるようなエネルギーが、まずはジョーを好きにさせてしまいます。

 

四女エミリーを演じたのは、「ミッドサマー」で強烈な印象をみんなに残したフローレンス・ピュー。

何かと事態をかき回すいちばんのクセモノである末っ子を生き生きと演じていて、これまた惹きつけられました。

意図せず人をイラッとさせる「ミッドサマー」でもそうだったあの感じ、なんだろうと思ってたら「末っ子感」ですね。「ミッドサマー」のダニーはお姉さんだったけど、長女の頼れる感じは皆無だったものなあ…。

 

 

 

長女のメグはエマ・ワトソン。ハーマイオニーももう母親役か…。

メグは愛する人と結婚し、貧しくも幸せな家庭を築いて、堅実に生きる…というよくある「優等生の長女」なんだけど、それだけでは終わらない。

堅実に生きつつも、贅沢への憧れは捨て切れずにいるんですよね。結構俗物的なところで迷ったりもする。これも、一面的でない造形になっていました。

 

三女ベスのエリザ・スカンレンは4人の中ではいちばんまだ知られていないですね。いつも母親の後ろに隠れている影の薄い少女を、しっかり控えめに演じていたと思います。

そう思うと、「ガラスの仮面」で北島マヤが演じたベスはやっぱりオーバーアクトですね!…って関係ないけど。

 

母親のローラ・ダーンも、大叔母のメリル・ストリープも安定感あるさすがの貫禄。

女優陣が本当に目立っていたけど、男優陣も。ティモシー・シャラメルイ・ガレルのイケメンぶりは、そりゃあ人気出るでしょうね。

好きだったのは、クリス・クーパーが演じたミスター・ローレンス。

ベスに亡くした娘を重ねて愛した彼が、ベスのいなくなったマーチ家に入れなくて、立ちすくむ姿。地味だけど、すごく響くシーンでしたね。

⑥本を作る過程の美しさ。日本語タイトルも秀逸

いろいろなシーンの、細かいディテールの魅力。大好きなシーンがたくさんありました。

終盤、ジョーの本「若草物語」が、手作業で作られていく過程

活字が組まれ、インクが乗せられて、印刷され、16ページごとに折られて、袋がナイフでじょきじょきと切られ、背に切り込みが入れられて、圧着され、糸かがりされて、表紙の赤い革に金の箔押しがされて、表紙でくるまれ、1冊の本が出来上がる。

その作っていく過程そのものの、美しさ

 

映画のオープニングが、出版社のドアの前に緊張して立つジョーの後ろ姿なんですよね。

それが最後、窓越しに自分の本が出来上がっていく様子を見守るジョーの姿につながる。

その達成感の感動。

それが、1冊の本が作られていく精密な仕事の美しさという形で、見事に視覚化されていたと思います。

 

他にも、折に触れてジョーが立ち、見渡す丘からの風景の美しさや、海のシーンで皆が揚げている白い凧など、視覚的に印象に残るシーンがたくさんありました。

そして、上にもあげた、新しい学校に全員が集まるラストシーンの多幸感。これまで出てきた人々の笑顔を、移動するカメラが次々に映していって…。

本の中の世界という含みを持たせることで、出来過ぎとも言える皆が幸せになったラストシーンを、ご都合主義にならずに成立させている。

映画の中でもなかなかめったに見られない、完璧な大団円で、気持ち良い気分で映画館を出ることができるんですよね。それでいて現代性も損なわないという、やはり巧みな作劇だったと思います。

 

原題"Little Woman"は「若草物語」の原題で、「ストーリー・オブ・マイライフ」は日本独自のタイトルになっています。観る前はなんか余計なタイトルかな…と思っていたんですが、観てみるとなかなか的確なタイトルでしたね。確かに、ジョーの人生の物語になっていたと思います。

ジョーの人生であって、原作の作者オルコットの人生でもあって、そしてグレタ・ガーウィグの人生でもある。

そういう、当事者意識に満ちた切実な物語だったから。いいタイトルだったんじゃないでしょうか。

 

関係ないけど、FISHMANSの"MY LIFE"。