Day of the Dead(1985 アメリカ)

監督/脚本:ジョージ・A・ロメロ

製作:リチャード・P・ルービンスタイン

製作総指揮:サラ・M・ハッサネン

撮影:マイケル・ゴーニック

編集:パスカル・ブーバ

音楽:ジョン・ハリソン

特殊メイク:トム・サヴィーニ

出演:ロリー・カーディル、リチャード・リバティー、ジョセフ・ピラトー、テリー・アレクサンダー、ジャーラス・コンロイ、ジョン・アンプラス、ゲイリー・ハワード・クラー、アントン・ディレオ、シャーマン・ハワード

①「死霊のえじき」の思い出

今回、リマスター版が「ZOMBIO 死霊のしたたり」との死霊カップリングで上映されたので、久しぶりに観に行ってきました。

 

「死霊のえじき」が日本公開されたのは1986年。僕は高校生でした。

その頃は、映画は友達と行くことがほとんどだったんだけど、珍しく一人で出かけたことを覚えてます。梅田ピカデリーの狭い階段に並んだなあ…。

 

やっぱり、すごく楽しみだったんですね。その頃は、既に「ゾンビ」にどっぷりハマっていたから。

「死霊のえじき」の原題は“Day of the Dead””Night”(夜)”Dawn”(夜明け)に続くDay(昼)なわけです。だから3部作の完結編。

死者が蘇り、世界が滅亡に瀕したあのシビれる世界観の正当な続編。

そりゃもう、強烈に期待は高まったわけです。

 

階段に並んだくらいだから、映画館は満員だったわけですね。やっぱりみんな、ロメロのゾンビへの期待でいっぱいだったと思います。

そんな客層だったはずなのに、邦題は「死霊のえじき」なんですよね…。「死霊のはらわた」以降異常にはびこった、便乗タイトルの一つ。

「デイ・オブ・ザ・デッド」でさえも、「死霊のなんとか」には勝てなかったのか…。

 

映画を観た当時の、率直な感想はもうあんまり覚えてないけど。

すごく面白かった!という満足感が半分と。

でも、「ゾンビ」を超えて更にその先の世界を見せてくれはしなかったなあ…という、がっかりした気分が半分と。

という感じだったんじゃないかなあ。

 

②予算のなさを逆手にとった閉塞感と緊張感

今あらためて観ると、予算のなさは如実に感じてしまいます。

冒頭の、有名な壁から手がニュッと出てくる夢シーンなんて、破けた壁が障子紙みたいですからね。さすがにショボい。

 

「ゾンビ」よりも、スケール面では後退している感があって。

序盤とラスト以外は全部、地下の通路か洞窟の中だけで進行します。もはや、デイだかナイトだかもわからない。

「ゾンビ」は広いショッピングセンターが舞台だったんで、まだしも開放感があったけど、本作はひたすら閉塞感

序盤のフロリダ・シーン以外、世界を映すシーンもないので、世界全体が滅亡に向かっているカタストロフ感も薄いです。

 

…なんだけど、でもその低予算と閉塞感を逆手にとって、非常に緊張感のある密室スリラーになっていることも、また事実なんですよね。

そこはやはり、ロメロの演出力の確かさを感じます。

 

物語の基調は、地下の基地に立てこもった人々のいがみ合い。

軍人チーム科学者チーム、その間で中立のメカニックチームに分かれて、互いに罵り合い、いがみ合う。

ポイントは、映画の始まった時点で既に相当長いこと立てこもっていて、全員疲弊しきっていることなんですね。まともな精神状態にない。

だから、もう本当に最初から、一触即発の極限状態にある。その緊張感が映画を通して続くことになります。

 

映画の中盤は地下での会話劇が主になってしまうんですが、それでも引きつけられるのは、張り詰めた緊張感が常に途切れないからですね。いつ殺し合いが始まるかわからない。

ローズ大尉を中心に展開される「会議」シーンなど、タランティーノの映画にも通じる吸引力があります。ゾンビが出なくてもスリリングなのは素晴らしいです。

③見事に立ってる登場人物たち

かなり多くの登場人物がいて、一人を除いて全員おっさんで、なおかつ無名の俳優ばかりで誰一人知ってる顔がない…という状況にもかかわらず、すぐに誰がどういう人物かを把握させる、キャラクター造形の巧みさも際立ちます。

説明はほとんどないんですけどね。彼らがどういう組織の人々で、どういう経緯で地下に閉じこもるに至ったのか、その辺はさっぱりわからない。

でも、彼らがどういう立ち位置にあって、どういう性格で、今どういう心理状態にあるかは、伝わるわけです。それで十分、ドラマに入っていくことができる。

 

軍人たちは、ひたすら馬鹿で下品。常に大声でゲスな冗談を飛ばし合っている。

「ゾンビ」プエルトリコ人のアパートからワープしてきたような、差別的な言葉を撒き散らすデブのウォルターを筆頭に、軍人たちはみんなどうしようもないゲス野郎ばかり。この辺、ロメロの反骨精神が徹底されています。

 

その軍人たちのリーダーがローズ大尉ですが、前任者が死んで、彼はリーダーになったばかり。

高圧的で、感情的で、いばり散らしてばかりいるけど、実のところ建設的なことは何も言えず、他人の足を引っ張るばかり。

絶対にリーダーになってはいけない男がリーダーになってしまう悲劇を、実にわかりやすく伝えてくれます。

 

一方の科学者の側にサラがいて、映画の中で唯一まともな登場人物として、なんとかして事態を打開しようと躍起になってる。

ゾンビの研究を進めて、状況の根本的な解決を目指す一方で、生き残った人々を探し、合流を図る…というのがサラの方針なんだけど、ローズ大尉がことごとく邪魔してくるんですね。

現場が方針を立てて疲弊しながら頑張ってるのに、方針とか何もない奴がボスにいて、場当たり的な感情論で引っかき回してくる。

現実の仕事の現場でも、よくある構図だなあ…。こういう命のかかった局面じゃ、よくあるでは済まないんだけど。

 

善意の科学者たちが馬鹿な軍人たちに迫害される…というのはよくあるパターンなんだけど、本作のユニークなのは、科学者の側も相当にイカれた奴がいて、サラの障害になってくるってとこですね。

軍人たちに「フランケン」と呼ばれるローガン博士は、ゾンビを餌付けしたり、死んだ兵士の体を実験に使って脳だけ人間にしたり、やりたい放題。傍目にはどう見てもマッドサイエンティスト。更に、軍人の死体をめちゃくちゃに扱うので、感情の人ローズ大尉の恨みを買っていくことになります。

ローガン博士の行動は一応は目的のあることで、ゾンビ世界で人類滅亡寸前という現状を考えれば、過激な実験も仕方のないこと…ではあるんだけど。

サラもそう思って精一杯かばってやるんですけどね。本人が空気を読まないから、だんだんかばいきれなくなっていく。

 

科学者仲間のテッドがサラの味方になるはずですが、この男もどうも頭が悪くて軍人たちを刺激するばかり。

そして、サラの恋人であるラテン系のミゲル。彼は本来なら誰よりもサラを支える役回りのはずで、軍人なので科学者と軍人の間を取り持つ存在であるべきなんだけど、肝心の彼が全員の中でいちばん疲弊して壊れている…というね。

サラを守るどころか、こいつもサラの足を引っ張りまくる。

みんなに何度も助けられておきながら、全員を道連れに自滅を選ぶという、最後までブレのないクズ野郎ぶりを見せてくれます。

 

結局、最後の局面でサラの味方になってくるのは、科学者でも軍人でもない技術屋たち。

ヘリ操縦士のジョンと、無線技師のビリーが、「ゾンビ」の4人組のような前向きなグループを終盤になってようやくこしらえることになります。

バカがみんな死んで、まだしもまともな人たちだけが生き残るという、ある意味での勧善懲悪になってるのも、本作の最終的に気持ちいいところですね。

④ゾンビの爽快さ、そしてバブ

そしてゾンビ。

本作のSFX系の予算は、ほぼ特殊メイクに全フリされています。

「ゾンビ」ではほとんど顔を青く塗ってるだけのお手軽ゾンビばっかりでしたが、本作では傷があったり、腐っていたり、パーツがなかったりする作り込んだゾンビがいっぱい登場します。

そして、クライマックスは大量のゾンビが人間の腹をかっさばいて、腸をズルズルと引き出す大内臓ショー

今どきのゾンビ映画ではあまり見られなくなった、グロくて汚いグチョグチョ表現の集大成。トム・サヴィーニの代表作と言っていい仕事なんじゃないでしょうか。

 

最後に次々とゾンビに喰われていくんだけど、生きたまま食われるのは全員それまでロクなことをしていなかった軍人たちだけ。

なので、素直にゾンビ側に立って、「いいぞ、食っちまえ!」と残酷ショーを楽しむことができるようになっています。

 

そしてそして、本作に関してはなんと言っても「バブ」ですね。

ローガン博士によって手懐けられた、知恵のあるゾンビ。

ていうかゾンビに意志があったり成長したりする時点で、語義矛盾な気もしますが。まあ、細かいことはいいですね!

ロメロのゾンビの特色は、基本シリアスに徹しながらも、ユーモアの要素を忘れないところなんですよね。本作では、バブが一人でユーモアを担ってくれています。

 

バブが自由になり、ローガン博士の死に直面して「悲しみ」と「怒り」を感じ、拳銃を持ってローズ大尉を追い回す。

もうめちゃくちゃですが、それを超える面白さがあるし、奴隷が復讐に転じるシチュエーションとしてやっぱり燃えるんですよね。

ローズ大尉を倒し、敬礼して、ローズを食うことはなく、去っていく。カッコいい! ゾンビなのに。

⑤音楽もなかなかいい!

今回久々に観てあらためて気づいたのは、音楽なかなかいいですね。

「ゾンビ」のゴブリンを強く意識した感じではあるんだけど。でもなかなかカッコいい。サントラ欲しくなりました。

音楽を担当してるジョン・ハリソンは、「ゾンビ」耳にドライバーを差し込まれて殺されるゾンビを演じていた人。ロメロ作品では助監督を務めたりもしています。

この人、なんだかんだで映画界で生き残っていて、2020年公開のドゥニ・ヴィルヌーヴ版「デューン(砂の惑星)」の製作総指揮に名を連ねていたりします。

 

エンドクレジットでは、いきなり場違いなムード歌謡みたいな歌が流れてびっくりしました。

こんなのあったかな…と思ったら、日本での劇場公開時にはなぜかボーカルが抜かれた曲のみのバージョンに差し替えられていたそうです。この歌を聴くのは初めてだったわけだ。

当時聴いてたらなんじゃこりゃと思ったかもですが。今となっては、なんかいい感じでしたよ。

当時の日本公開版は残酷シーンも微妙にカットされていたそうで、完全版を映画館で観られたのは実は今回が初だったわけです。

 

「ゾンビ究極読本」を見ると、当初はもっとスケールが大きく、貴族のように世界を支配する勢力と抵抗者たち、それにゾンビが三つ巴で戦う、マッドマックスみたいな話がイメージされていたみたいです。

アルジェントの出資が叶わず、予算が大幅に縮小され、ロケ地もロメロの別荘の近所で手軽に済まされ、現場の雰囲気も良くなくて、あまり本意の作品ではなかったようですが。

しかしあらためて見直してみると、本作はなかなかバランスの良い、ロメロの作品の中でも傑作の部類に入る作品と言えるんじゃないでしょうか。

願わくばもうちょっとスケール感が…とは思うけど。ないものねだりということで!

 

 

 

"Day"(昼)と…

 

"Dawn"(夜明けと…)

 

 

"Night”(夜)