The Hummingbird Project(2019 カナダ、ベルギー)

監督/脚本:キム・グエン

製作:ピエール・エヴァン

撮影:ニコラ・ボルデュク

編集:アルチュール・タルノウスキ、ニコラ・ショドールジュ

音楽:イヴ・グルメール

出演:ジェシー・アイゼンバーグ、アレクサンダー・スカルスガルド、サルマ・ハエック、マイケル・マンド

 

①不可能を可能にする部分の書き込み不足

ヴィンセント(ジェシー・アイゼンバーグ)とその従兄弟のアントン(アレクサンダー・スカルスガルド)はそれまで勤めていた会社を辞めて、独自のプロジェクトを始めます。それは、カンザスのデータセンターとニューヨーク証券取引所をまっすぐな光ファイバーで結び、情報を0.001秒早く入手することで、株取引で巨万の富を得ようとするもの。

ヴィンセントは得意の交渉で富豪から資金を得て、カンザス・ニューヨーク間1600kmの土地買収を進め、地下ケーブルを建設していきます。アントンは速度を0.001秒速めるプログラムの開発に打ち込みます。

山脈や湿地など地形の壁、買収に応じない地主など、様々な問題が二人の前に立ちはだかります。更に、元の会社の上司エヴァ(サルマ・ハエック)が計画に気づき、妨害をしてきます。果たして、ヴィンセントとアントンはプロジェクトを完遂できるのでしょうか…?

 

コンピュータによる自動化で、1秒に満たない単位で株取引を行い利益を得ることを高頻度取引と言うそうです。

なんでそれで儲かるのか、株とか金融取引とかいうものに疎い私はサッパリ分からないのですが。

それでも、早く情報を得るために「まっすぐなケーブル」を引くというのは、ものすごく単純な話でわかりやすい。

野を越え山越え人の敷地も気にせず越えて、どこまでもまっすぐにケーブルを引いていく…0.001秒速くするために…というのはアホらしくもシンプルで、そのために数々の困難を超えて頑張る男たち!というのは確かに面白い映画になりそうです。

 

シンプルなだけに、最初の設定時点でいくつもの疑問は浮かびます。

もっとも大きな疑問は、「カンザスからニューヨークまでまっすぐのケーブルを引くなんて、本当にできんの?」ってことですね。

「障害物を無視してどこまでもまっすぐ進む」って、なんかギャグ漫画でよくあるシチュエーションですね。「ドラえもん」で見たことがある気がします。

人の家の中も気にせず突っ切って、小池さんがラーメン食ってる横をのび太とドラえもんが勝手に通行していく…というギャグとか、見たことあるようなないような。

 

それがギャグになるのは、本当ならできないナンセンスなことだから、ですよね。

巨大な山脈を貫通するとか、川とか湖とか地下水も気にせず通すとか。

そもそもそんな大規模な土地を買収するとか、人の住んでる家の下や公共の道路や建物の下をケーブル通すって可能なのか?とか。

都市だとガス管とか水道管とか地下鉄とか通ってるだろうに…とか。

もう、いくらでも困難は思いつく。

 

不可能に思える様々なことを、いかにして乗り越えていくのか?というところが面白いところだと思うんだけど、そこはなんだかふわっとして、あまり具体的なことは語ってくれないんですよね。

劇中ではできてたし、事実をもとにした話だって言うんだから、できるんだろうと思うしかない。

豊富な資金と最新の掘削技術を持ってすれば、そういうことも可能なんだろう…と想像するしかない感じで。

 

映画の狙いはそこにはないよ、ということかもしれません。

後半になるにつれ見えてくるんだけど、映画の作り手の描きたいテーマは別のところにあるようで、「いかにしてまっすぐなケーブルを引いたか」というところにはあんまり興味がなかったんだ…ということがわかってきます。

でもね。物語の根底部分でのこの「もっともらしさの不足」は、映画のテーマが何であれ、非常に大きな致命傷になってくるんですね。

 

②思ってたんと違う…マイナーへの転調

本作は、結構多くの人が、「思ってたんと違った!」ってなる映画なんじゃないかな。

それでより面白く感じるか、ただがっかりするだけになるか、それは人それぞれだと思いますが。

 

あらすじや序盤の展開から僕が思っていたのは、基本スカッとするエンタメ。

様々な困難を乗り越えて目的を達成し、一獲千金大逆転!のカタルシスを味わう、そういう作品なんだと思ってた。

でも違った。途中から、メジャーコードからマイナーコードへ、思わぬ転調を迎えます。

ここから後半のネタバレしてしまいます! 未見の方はご注意ください。

 

唐突にヴィンセントが胃がんを診断され、余命宣告されてしまう。

これ、かなりげんなりしちゃいました。だってこれつまり、ハッピーエンドの可能性がこの時点で消えてしまうということだから。

お金を儲けてやろう!という目的で進んでいた物語で、序盤でいきなり「お金なんて儲けてもムダだ」という未来が確定しちゃう。こんな動機を削ぐ展開って、あるのかな。

 

それでも意地のようにヴィンセントは仕事に打ち込みますが、次々と難題が降りかかり、その度に出資者から追加の資金を引っ張り出すことになっていきます。

これ、ヤバいパターンですね。引き際を見失って、事業が破綻する典型パターン。

 

元上司のエヴァは、FBIに告発して逮捕させると言って、アントンを脅します。そして実際に、アントンは逮捕されてしまいます。

トドメは、エヴァが金にモノを言わせて更に速い通信システムを開発してしまうこと。

0.001秒どころじゃない速いシステムが稼働してしまって、もうこの時点でヴィンセントのシステムには何の価値もなくなってしまいます。

出資者も巻き込んで、ヴィンセントは破産。何もかも失って、後に残ったのは病気でボロボロの体だけ…。

 

というわけで、映画はちょっとあまり見たことがないくらいの、切ない結末を迎えます。

理屈の上では、わかるんですよ。そもそもが、仕組みと法の抜け穴をくぐって、ズルく設けてやろうとする企てですからね。

欲をかいた企みは失敗するという教訓としては、別に間違ってない。その理屈はわかるんです。

でもね…思ってたんとは違った。映画としては、これはやっぱりあまりにも快感がないです。

 

特に、ずっと不快なパワハラ上司として描かれてきた、まるでアメコミのヴィランみたいなわかりやすい敵キャラの、エヴァの完全勝利で終わってしまうというのがね。

マゾ?というくらいのフラストレーションがありました。

 

いや、別にハッピーエンドじゃなきゃいけない…と言いたいわけではないんですが。

本作の場合、ヴィンセントには次のチャンスもない、というのがキツイんですよね。

今回はダメだったけど、また次がんばろう!と言うことが、ヴィンセントにはもう許されない。

それって、ちょっとあんまりじゃないですか? このエンディングをどんな気持ちで観ればいいのか、正直よくわからなかったのです。

③敗者の美学に繋がらない、もっともらしさの不足

敗者の美学というのも、あるとは思う。「ロッキー」みたいな奴ですね。

結果は失敗だったけど、精一杯やり尽くしたんだから悔いはない。大事なのは結果じゃなく努力したことだ…という感じのカタルシスもあり得るとは思います。

でも、それを感じさせるためには、やはり計画に十分なもっともらしさがあることが必須だと思うのです。

確かにそれなら勝算がある、リスクはあるかもしれないけれど、賭けてみる価値がある…と信じられること。

 

本作はやっぱり、その点の説得力が致命的に欠けていたと思うのです。

「速くするためには、ケーブルをまっすぐ繋げばいいじゃない!」という最初のプランを聞いた時に誰もが感じる、そりゃ理屈の上ではそうだけどでもそれムリだろ、という感想を、結局一度も覆せていない。

いやだって買収にめっちゃ金かかるやん→その通り!

買収に応じない奴もいるやん→その通り!

山とか川とかあるやん→その通り!

…って感じ。その都度、解決するのは「もっと金をかける」でしかない。

無尽蔵に金をかければそりゃできるかもしれないけど、儲けることが目的なんだから。どこかで採算が取れなくなっちゃう。

 

それと、これも最初からわかってたはずだけどなぜか誰も指摘しない、「誰かがもっと速いシステムを作ったらその時点でこの計画は破綻する」ということ。

他人より速く取引することで儲ける仕組みだから、2番じゃダメなんですよね。2番目に速いから2番目に儲かる…とはならない。1番じゃない時点で、まったく、1銭も儲からない。

まっすぐ線を引くという物理的なシステムはそれ以上速くできないから、どんなに莫大な資金をかけて作っても、誰かに抜かれた時点で完全な無用の長物に成り下がる。

 

そして、この業界は日進月歩で、常により速いシステムを開発していて、最新のものもすぐに古くなる…って劇中でも言ってる。

エヴァ以外にも業者はいるだろうし、他者がより速いシステムを開発することはコントロールできないリスクとしてあり続ける。

 

そういった、思いつきの時点で誰でも想像しそうなリスクに誰も答えないまま、結局劇中でその通りのことが次々起こっていくわけです。

だから、勝てるはずだったのに思いもしない不可抗力で止むを得ず負けた…負けて悔いなし!というふうには到底見えない。

甘い計画を不用意に進めたら、案の定失敗した…というふうにしか見えないのです。悪いけど。

④乗れない反省モード

終盤は反省モード。すべてを失ったヴィンセントは、強引なやり方で意に反してケーブルを通したアーミッシュの農場を再び訪れ、「あの時はすみませんでした」と謝ります。

いいんだけど、でも彼が反省して謝罪する気持ちになったのは、「負けたから」以外の何者でもないですよね。

もし計画が上手くいって光ファイバーが思った通りに稼働し、大金を稼ぐことができていたら、彼は絶対に光ファイバーを撤去したりしないし、アーミッシュに謝る気持ちなんてさらさらなかっただろうと思います。

 

アントンがカフェのウエイトレスに計画を話すシーン、レモンの取引に例えて説明したら、「レモン農家の農民はどう儲かるの?」とか聞かれる。

アントンは「農民は関係ない話だ」と答えるけど、ちょっと考え込んじゃう。

この辺もなあ…トレーディングというビジネスが、現実の人々の暮らしと遊離したマネーゲームである…なんてことは始めから分かり切ってることであって。

特に人間の知覚すら超えたミリ秒単位でコンピュータが取引する超頻度取引なんて、その極北ですからね。

同じマネーゲームの中でもそれは邪道である…という視点ならまだしも、今さらレモン農園の農民とかアーミッシュとかと比較して価値観を問われてもなあ。そんなことわかってやってたんじゃなかったの?という気持ちがしちゃいます。

 

高頻度取引なんていう究極のマネーゲームをなりわいとする人たちが、レモン農民やアーミッシュに心を動かされるほどナイーブだなんて、信じられない。

例えばエヴァのような人が、レモン農民やアーミッシュのことを鼻にも引っ掛けるとは思えない。

心を動かされ、反省に至ったのは、もともとナイーブな変わり者として描かれていたアントンと、強制的にマネーゲームからこぼれ落ちたヴィンセントだけ。

うーん…何が描きたかったのだろう?

⑤正しい結論はつまらない

「その結論は正しいかもしれないけど、その持って行き方は安易に感じる」というのが、総じての感想でした。

「実体のないマネーゲームに狂奔するより、地に足を着けた生き方をする方が望ましい」という結論に異存はないけど、でもただ競争に負けたからその結論に至るというのは安易じゃなかろうか。

しかも、そもそも無理のある目的設定を自分でしておいての失敗だから。どことなくマッチポンプ感があります。

 

ん? なんか最近よく似た感想を書いたような…と思ったら「アド・アストラ」でした。

はちゃめちゃな宇宙計画が失敗するのを見せておいて、「家族と地に足をつけて生きるのが望ましい」という「正しい」結論に導く。

はちゃめちゃな穴掘り計画が失敗するのを見せておいて、「マネーゲームでなく地に足をつけて生きるのが望ましい」という「正しい」結論に導く。

構造が同じだなあ…。まあ、たまたま同時期に観ただけなんで、偶然なんだけど。

 

何となく気になるのは、どちらもパッと見は犯罪スレスレのピカレスクロマンであったり、ハードSFであったり…といった顔をしているんだけど、最終的に着地するのはえらく倫理的な、それこそ誰も否定できないような「正しさ」であること。

まあ、好き好きですけどね。最後に「正しさ」に着地する映画って、つまらないなあ…と僕は感じてしまいます。

 

そこでふと連想したのが、徹底して「正しさ」に背を向けたメジャー大作映画「天気の子」だったりして。

ノベライズ版のあとがきで新海誠が書いていた「映画は学校の教科書ではない」という言葉を思い出しました。

 

「映画は(あるいは広くエンターテイメントは)正しかったり模範的だったりする必要はなく、むしろ教科書では語られないことをー例えば人に知られたら眉をひそめられてしまうような密やかな願いをー語るべきだと、僕は今更にあらためて思ったのだ」

 

当然のことだと思うけど、そんなふうに決意表明しないといけないくらい、「正しい」ことを描けという圧力をクリエイターは強く感じるのかもしれないなあ…

…と、そんなことを思ったりもしたのでした。