Don't Worry, He Won't Get Far on Foot(2018 アメリカ)

監督/脚本:ガス・ヴァン・サント

原案:ジョン・キャラハン、ガス・ヴァン・サント、ジャック・ギブソン、ウィリアム・アンドリュー・イートマン

原作:ジョン・キャラハン

製作:チャールズ・マリー・アントニオズ、ムーラド・ベルケッダー、スティーブ・ゴリン、ニコラス・レルミット

音楽:ダニー・エルフマン

撮影:クリストファー・ブローヴェルト

編集:ガス・ヴァン・サント、デヴィッド・マークス

出演:ホアキン・フェニックス、ジョナ・ヒル、ルーニー・マーラ、ジャック・ブラック

①エキセントリックなキャラクターと、真面目な自己啓発の対比のユニークさ

70年代のポートランド。アルコール依存症のジョン・キャラハンはある日パーティーで出会ったデクスターという男と飲み歩き、泥酔したデクスターの運転する車の助手席で眠り、目覚めた時は病院でした。事故でデクスターは軽傷でしたが、ジョンは半身麻痺になってしまいます。

車椅子生活となったジョンは絶望して更に酒に溺れます。しかし、依存症患者の集いを主催するドニーと出会ったことから、ジョンの人生は変わっていくのでした…。

 

アルコール依存症から立ち直り、車椅子の風刺漫画家として名声を得たジョン・キャラハンの伝記映画。

ロビン・ウィリアムズが自身の主演での映画化を企画していたそうです。ガス・ヴァン・サントがその遺志を継ぎ、20年ぶりに完成させました。

 

実在の漫画家を題材にしていますが、日本人には馴染みのない人物ですね。

でも映画は彼の人生を細かく追うものではなく、依存症と事故による障害、それによる自暴自棄から周囲の人の助けによって立ち直っていく様子。そこに絞って描いています。

どん底の人生に落ちてしまった人物が、他者と向き合い、自分自身と向き合って自分を見つめ直し、もう一度人生を立て直していく。そんな普遍的な、人生に向き合うドラマになっているんですね。だから、モデルになった人物を知らなくても大丈夫です。

 

主人公ジョンは酒浸りの自堕落な生活を送り、事故後も赤い長髪をなびかせて、車椅子で街を猛スピードで走り回る。漫画家になっても、毒の効いたブラックな風刺漫画ばかり描いてるエキセントリックな人物なんだけど、物語自体は非常にストレートというか。

自己啓発的な取り組みを通して立ち直っていくわけですが、それをとても素直に、真面目に描いていく作品になっています。

自分に向き合い、周囲の人すべてに感謝し、自己肯定感を持って、行きていく。

その辺、ガス・ヴァン・サントらしさではあるのかな。

 

シニカルで毒のあるキャラクターと、彼が選んで実践していくとても真っ当な生き方。そのコントラストがユニークで、独特な印象を残す作品になっています。

 

 

②ジョンを支えるアヌーとドニー

酒浸りで周りに迷惑をかけまくり、事故後もひがみと愚痴を撒き散らし、周囲の人々に当たり散らしてやがて冷たくあしらわれていく。

そんなどうしようもないジョンを支えてくれるのが、魅力的な二人。恋人のアヌーと、断酒会を主催するドニーです。

 

アヌーは本当に屈託なく、偏見なくジョンと付き合ってくれる人です。

彼女の態度には、ジョンが障害者だからどうこうという構えたところがまったくないんですね。本当に、普通の人と接するのと同じようにジョンに接し、彼を愛しています。

 

だから、劇中では特にアヌーの人となりや思いが突っ込んで描かれることはない。ただ普通に、ジョンが出会って愛し合うようになった女性として描写されるだけです。

その自然さが、かえって印象に残りますね。

 

ドニーは私財を投じてアルコール依存症患者の支援をしている篤志家と言うべき人物ですが、長髪に髭でヒッピー風。

すごくいいこと言うんですけどね。スピリチュアルで、どこか怪しげというか。

実は裏があるんじゃないかと疑って見てしまうんですが。

 

でも、裏はないんですね。本当に善意で行動している人物として、最後まで描かれます。

彼の的確なアドバイスと、時に宗教的にも聞こえる“12のステップ”によって、ジョンは少しずつ心を開き、穏やかな心を取り戻していきます。

 

この手の「自己啓発セミナー」的な存在って、僕はついつい色眼鏡で見ちゃうんですが、本作ではあくまでも素直に、ポジティブに捉えて紹介しています。

色眼鏡を外してみると、ドニーは確かにいいこと言ってるんですよね。本当に真っ当なことを、的確なタイミングで言っている。

それは自分の過去に向き合えということであったり。

誰かのせいにするなということであったり。

他者を許せということであったり。

そして、自分を許せということであったり。

観ているうちに、ついつい身につまされてしまいます。

 

ジョンが立ち直れたのは明らかにドニーのおかげ。ちょっと、ドニーが立派な人物すぎるんじゃないかと思ってしまう部分もあります。

あくまでもジョンの目から見たドニーなので、美化されているところもあるのかもですね。嫌なところは、見えていないのかも。

終盤になると、ドニー自身の抱える弱さ、傷、人生への恐怖や諦念と言ったものも描写されていきます。

そういった負の要素を自分のネガティブさにすることをせずに、他者への優しさとすることができている。それがドニーという人物なんですね。

③弱者を笑う平等さ

酒を断ち、やがてジョンは漫画を描き始めます。麻痺した両手でペンを挟むように持って、シニカルなブラックジョークを1コマ漫画にする。

これでジョンは意外な才能を発揮して、世間に認められていくことになります。

 

映画のタイトル「ドント・ウォーリー」はいかにも優しい印象ですが、原題は「Don't Worry, He Won't Get Far on Foot」と続きます。

これはジョンの風刺漫画のセリフ。荒野に置き去りにされた車椅子を囲んだ警官たちが、「心配するな、あいつはそれほど遠くまで歩いて行きやしない」

自虐ネタですが、障害者ギャグ。毒っ気の強いブラックなギャグです。

 

ジョンの漫画は常にこんな調子なんですね。下ネタ、差別ネタ、要は不謹慎なネタのオンパレード。

笑えて人気も得るけれど、「良識ある人」には激しく忌み嫌われる。劇中にも、殺到する抗議の手紙とか、上品そうなお婆さんが通りすがりに「あんたなんかこの町を出て行けばいいのに」と吐き捨てる様子なんかが出てきます。

 

そういう尖った表現なんだけど、ジョン本人は至って無邪気。

一作描き上げるたびに嬉しそうに、道行く人に「見て見て!」と見せに行きます。

それでウケる場合もあれば、不快そうにいなされたり、はっきりと「これは差別だわ」なんて言われたりもする。

それでもジョンはめげない。あっけらかんとして、また別の人に漫画を見せに行きます。

 

この辺の感じが、なんだかすごく新鮮でした。

ジョンは一方では、極めて真面目な自己啓発を実践してるんですよね。すべての人に感謝の心を向ける生き方を実践している。

それでなくても彼自身が障害者で、ハンディキャップや差別的な扱いの痛みは誰よりも知っているはず。

それでいて、自分の表現は弱者を笑い飛ばすものであったり、誰かを傷つける可能性のあるものだったりするんですね。

 

底に流れる思想は、障害者や弱者を差別しないということは、彼らを聖域に置かないことなのだという考え方。

「ある特定の人は笑いの対象にしてはならないという発想」こそが、差別だということですね。そうやって人を区別することそのものを否定している。

健常者や権力者を笑いの対象にするように、障害者や弱者も同じように笑う。それが当たり前の自然な姿なんだ、という捉え方なんだと思うのです。

 

劇中でそういうことを言葉にするわけではないんですけどね。ただ自然に、当たり前のようにそれを選んでいきます。

アヌーが特に何の構えもなく、ごく自然なこととしてジョンを愛するのと同じように。ジョンはすべての人をギャグにするんですね。

 

風刺とか、ブラックなギャグの考え方って、こういうことなんだな…というのがわかった気がしました。

いや、こういうのって結構日本人には馴染みが薄くて、理解しにくい部分があるじゃないですか。

フランスで起きたシャルリー・エブド襲撃事件とか、なかなかピンと来なかったりする。人を傷つける笑いが表現の自由だと言われると、否定したくなったりしてしまう。

でも結局、抗議に応じてある人々を笑いの対象から外すということは、聖域を作ることだから。人々を「笑っていい対象」と「笑ってはいけない対象」に分けるなんてことは、本来ナンセンスなことですよね。笑っていい人なんているわけがないんだから、この考え方を進めるならあらゆる風刺的な笑いは否定せざるを得ない。

だから、真に平等な態度を取ろうとするなら、すべての人を笑いの対象にすることを譲ってはならない…のでしょうね。

モノがギャグだけに、なかなか理解されづらいんだけど。

④捨て子のトラウマと「シャザム!」とジョン・レノン

“12のステップ”の最終段階で、ジョンは自分自身の過去を見つめ直し、関わった多くの人々に会いに行って、彼らを“許す”ことを実践していきます。

過去に抑圧だった人々や、傷つけた人々にまた会って、謝ったり許したりする。これも自己啓発的な物言いではよく出てくることですが、ジョンが素直にそのまんま実践するのが新鮮でした。

子供の頃に衝突した養父母とか、会いにくい人々に会いに行くのもサラッと流れるように描かれていきます。ここもやっぱり、構えがない。

 

ジョンが酒に溺れるようになったきっかけは、里親家族との折り合いの悪さ、所在無さ。

そしてそもそも、産みの母親に捨てられたという強い強い傷ついた思い。

自分は要らない子なんだという自己否定感、母親への恨み、それとないまぜになった愛情。

そういった傷口に向き合うことで初めて、ジョンは前向きな人生を獲得していくことになります。

 

ここで思わぬ映画とシンクロしましたね。つい最近のヒーロー映画の「シャザム!」

全然違うジャンルの映画だけど、扱っているテーマはまさしく同じでした。

母親の育児放棄。愛する親に捨てられたという思いが、子どもの心にいかに深い傷を残し、人生を損なってしまうかということ。

「シャザム!」の主人公ビリーも、母親に会いに行き、自分を捨てた母親を許し、母親を恨んだ自分を許すことで、前を向いて進むことができるようになりました。

幼少時に刻み付けられた傷を癒すためには、やはりそうしてあげるしかないのだということでしょう。

 

ところで、「ドント・ウォーリー」の予告編にはジョン・レノン「孤独(Isolation)」という曲が使われていて、とても印象的なんですが、これは彼の1970年のアルバム「ジョンの魂」に収録されていた曲です。

「ジョンの魂」といえば、ジョンとヨーコがアーサー・ヤノフ博士によるプライマル・セラピーを受け、幼少時のトラウマを吐き出した経験を反映した作品です。

ジョン・レノンは幼少時に父が蒸発し、母ジュリアはジョンを養育せず、ジョンはミミ叔母さんに預けられて育てられました。幼少期に何度も両親に「捨てられた」と感じた心の傷は、このアルバムの冒頭を飾る「マザー」という曲で歌われています。

そんな連想から、予告編の曲が選ばれていたのかもしれません。

⑤キャスティングの面白さ

ジョンを演じたのはホアキン・フェニックス

嫌われるところの多い役どころなんだけど、どこか好感の持てるように演じている。なかなか絶妙なバランスで演じていると思いました。

彼が完全に嫌われちゃうと、この映画は成立しなくなっちゃいますからね。

 

アヌーにはルーニー・マーラ

ドニーにはジョナ・ヒル

この二人も良かったです。二人とも抑制された自然な演技。普段通りのような、極めてナチュラルな感じなんだけど、しっかりその人物になりきっていることが伝わる。

一部の日本映画みたいに怒鳴ったり泣き叫んだりしなくても、演技力は伝わるんですよね。

 

事故を引き起こすデクスターを演じるのはジャック・ブラック

事故前のイケイケな様子と久々に会った時のしょんぼりした様子と、体に傷は負わなくても人生を損なっている様子をこれも抑制的に演じています。

ジョナ・ヒルといい、ジャック・ブラックといい、コメディ畑の人が繊細ないい演技をしますよね。

 

意外なキャスティングとして、ドニーの断酒会のシーンには、元ソニック・ユースのキム・ゴードンが出ています。コーキーという、常に怖い顔をしたおばさんの元依存症患者の役です。

アングラロック界の人で、演技をする人という印象じゃなかったんですが、なかなかいい演技を見せています。年季を感じますね。

このシーンにはもう一人ロック業界の人がいて、太っちょのリーバを演じているベス・ディットー。この人は僕は知らなかったんですが、ゴシップというバンドで活躍しているミュージシャンであるそうです。

彼女も、常ににこやかに笑ながらグサリと怖いことを言う。とても印象的なキャラクターでした。

 

 

 

 

 

本作とはまた印象が全然違う、ホアキン・フェニックスの前作。僕のレビューはこちら。

 

 

 

ジョナ・ヒルの前作。体型が全然違う!

 

 

 

ガス・ヴァン・サントの前作。渡辺謙出演。