They Live(1988 アメリカ)

監督:ジョン・カーペンター

脚本:フランク・アーミテイジ

原作:レイ・ネルソン

製作:ラリー・J・フランコ

製作総指揮:シェップ・ゴードン、アンドレ・ブレイ

音楽:ジョン・カーペンター、アラン・ハワース

撮影:ゲイリー・B・キッブ

編集:ギブ・ジャフェ、フランク・E・ヒメネス

出演:ロディ・パイパー    、キース・デイヴィッド、メグ・フォスター、ジョージ・フラワー、ピーター・ジェイソン、レイモン・サン・ジャック、ジョン・ローレンス、ノーマン・オールデン、サイ・リチャードソン

①十三と、ゼイリブの”独特”

ジョン・カーペンター監督の1988年のカルトSF「ゼイリブ」。製作30年記念ということで、「遊星からの物体X」に続いてHDリマスター、劇場公開されています。

 

単館上映の映画は、普段行かない映画館に出かけていかなくちゃならない。

第七藝術劇場…大阪では昔からあるアート系シアターですが、行くのはめちゃくちゃ久しぶりでした。

スクリーンが舞台の奥にあるのが古めかしい。今、少ないんじゃないでしょうかこういう作りの劇場。

十三の繁華街の中にあって、なにやら猥雑な雰囲気に囲まれているのも変わらず。土曜の夜に行ったせいか、ブラックレイン的混沌ムードは以前より濃かったような気が…。

大阪の映画館のある場所の中でも、十三は独特ですね。大阪以外の人に、じゅうそうって読むこと伝わるだろうか…。

 

十三も独特ですが、ゼイリブも独特

何というか、あまり他にない、とても個性的な映画だと思います。

まあ、ジョン・カーペンターの映画は常に個性的なんですが。そんな中でも、すごく独特な映画。今回初めて映画館で観て、あらためてそれを強く感じました。

表面的なビジュアルという点では、そんなに奇をてらってはいない。むしろオーソドックスなんですよ。

そうではなくて、映画を観て、展開を観て初めて感じる独特さ。

リズムや、語り口の独特さ

 

②社会派とチープさの奇妙な同居

宿なしのネイダ(ロディ・パイパー)は日雇いの現場で知り合ったフランク(キース・デイヴィッド)の紹介で、ホームレスが集まるキャンプへ。

テレビには時々海賊放送が流れ、人々を支配する信号がテレビを通じて送られていることを訴えています。ある夜、武装警官隊がキャンプを襲撃しテントを踏み潰し、隣の教会を焼き払いそこに出入りしていた人々を逮捕します。

ネイダは教会の隠し部屋で段ボール箱を見つけます。そこに入っていたサングラスをかけてみると、街には「OBEY(服従せよ)」「SLEEP(眠れ)」「BUY(買え)」「DON’T THINK(考えるな)」などの文字が溢れていました。

それだけでなく、街には異様な顔をしたエイリアンが大勢、人々の間に紛れていたのでした…。

 

テレビがサブリミナル効果で人々を洗脳し、庶民を怠惰な奴隷に仕立てて搾取して、一部のエリートだけに富を集中させている。

それって、まさしく現代の社会そのものの姿ですね。極めてリアリスティックな、現代社会の風刺になっています。

 

それでいて、その一方で、本作は非常にチープなテイストの、B級SFでもある…というのが面白いところです。

エイリアンのデザインといい、「サングラスをかけるだけ」という秘密を暴く方法のお手軽さといい、50〜60年代のSF映画のような、おおらかなムードに満ちてます。

 

とてもシリアスな、現代にも通じるような文明批評を行う社会派の側面と、緑色の骸骨顔エイリアンや空飛ぶ円盤が跋扈するB級SFの側面

その2つが入り乱れているのが、本作のオリジナリティであり、独特の魅力であると言えます。

 

逆に言えば、必要以上にシリアスな社会派になってしまうのを、B級表現が救っているという言い方もできます。

この映画、結構真面目に捉えられることも多いんですよね。資本主義批評とか、政治的なニュアンスで語られることも多くなってしまう。

最近では、トランプ大統領と劇中のエイリアンを重ねて見るのが流行ったり。

でもそういう捉え方って、あんまり面白くないと僕は感じるんですよね。

ジョン・カーペンター自身も、政治的な映画と受け取られて一方的な主張を載せられるのはあんまり嬉しくないんじゃないかな。

 

映画がプロパガンダになってしまったら、劇中の洗脳テレビと変わらないものになってしまう。ジョン・カーペンターの本領はやっぱり権威に対する反抗だから、あえてのチープなB級表現はそんな抵抗の表れでもあるような気がします。

③考える隙を与えない思い切りの良さ!

この映画、めちゃくちゃ思い切りがいいです。

行動までのスピードが速い。観ていてビックリさせられます。

 

エイリアンの存在に気づいたネイダが、そいつらをブチ殺しにかかるまでの決断の速さ、迷いのなさ。

偶然サングラスを手に入れていきなり現実がひっくり返るのに直面して、普通はもっと迷うもんじゃないですか。そう簡単に、自分の次の行動は決められない。

この映画でも、ネイダが呆然として戸惑う描写はあるんだけど、その先の行動が速い。

そして、一旦行動を始めたら迷いがない。人間の中に紛れたエイリアン…他の人の目からは一般人にしか見えない…を、ショットガンで躊躇なくブッ殺していきます。

 

これ、客観的には突然降って湧いた通り魔殺人鬼ですからね。

それにそもそも、エイリアンが悪であることもはっきりと確証があるわけじゃない。

一人の味方もいない状態、まだ何にもわかっていない状態で、いきなり真っ正面から戦いを挑むなんて、無謀にもほどがある。どう考えても悪手。

でも、この映画の文脈の中では、そんなこと知ったこっちゃないんですよね。

いかにも悪そうな、気持ちの悪いエイリアンだからブチ殺す! ただそれだけ。

徹底的にシンプル。単純明快。それ以上の理屈などこの映画に必要ナシ!

 

このネイダの、迷いない一直線な行動が、この映画を痛快なものにしています。

政治的な深読みをしてしまうと、いろいろとややこしいんですよ。これは資本主義の象徴であって…とか。飼い慣らされる側の我々にも批判されるべき点が…とか。

そんなもん知るか!というね。映画が陥ろうとするテーマ的な枠からも自由であろうとする、徹底的なアナーキズム

ジョン・カーペンターイズムであって、たぶんロディ・パイパーイズムでもある太い芯が、映画をがっつり貫いています。

 

思い切りがいいのはネイダだけじゃない。メグ・フォスター演じるホリーが自分を人質にとったネイダに逆襲する時の、あの思い切りの良さ。

思いっきりのフルスイングで、二階の窓から容赦なく叩き落とす。女性と言えども躊躇ありません。

それがゼイリブ世界なんですね。

④バランスをぶち壊す過剰さ!

それから、過剰であるということ。

なんかいろいろと、やりすぎで、映画のバランスを損なうほどになってます。

でも、そこが面白い、っていうね。

なんで?と聞かれても、なんでかわからないんですが。

 

それが顕著なのが、中盤に出てくるネイダとフランクのタイマン勝負。フランクにサングラスをかけさせて真実を見せようとするネイダと、頑としてそれを拒絶するフランクがストリートファイトを繰り広げるんだけど、これが異常なほどに長い!

 

いや、面白いんですけどね。明らかに、バランスがおかしいんですよ。

とにかく長い。殴り合って、ボコボコにし合って、互いにあざだらけになって、何度か終わりかける。

それでもなおかつどっちかが起き上がって飛びかかっていって、まだ続く。

延々と続く。殴り合い蹴り合い、首を絞めモノで殴り壁に叩きつけ、金的を蹴りバックドロップやサイドスープレックスやラリアットを決めて、まだ続く。

それがただ、サングラスをかけるかけないの争いでしかない、というのがまた笑うしかないところなんですが。

 

ネイダを演じるロディ・パイパーがプロレスラーであり、レッスルマニア1でハルク・ホーガンとメインイベントで戦ったスーパースターであることを思えば、これはある種のサービスシーンなのかもしれませんが。

それにしても、過剰。ここまでやんなくていい、という話ですよね。

 

ではなぜこんなシーンを撮ったのか、あえて映画全体のバランスを崩して、後々まで「ケンカが長い!」と観た人みんなに語り草にされる危険まで冒してこんなシーンを撮ったのかといえば、それはもうその方が面白かったからとしか言いようがないってことなんですよね。

 

これもまた、通常の枠組みを破壊するアナーキズム

バランスが悪かろうがなんだろうが、自分が面白いと信じるものを撮る。そこまでやって初めて、突き抜けた面白さがついてくる。

とにかく映画を面白くするために、できることは全部やる。その結果としていびつな面白さのカタマリみたいになってるのが、「ゼイリブ」なんですね。

⑤社会的・政治的テーマより、面白さが優先!

「ゼイリブ」に関しては、社会的・政治的なテーマを掘り下げて語ることもできる…むしろ容易にできちゃうんだけど、正直、それって本質じゃないなあ…という気がしています。

実のところ、この映画には特に明確なメッセージってない。どうとでもとれることしか、言ってない。

 

最近のネット上の「ゼイリブ」ブームにしても、リベラルな立場からトランプをエイリアンに重ねることが流行る一方で、ネオナチ的な人々が「ゼイリブ」を持ち上げて、エイリアンをユダヤ人の支配の暗喩だ!なんて言説も飛び交ったりしているらしいです。

そんな正反対の意見すら、乗っけることができてしまう。

 

この映画で描かれる社会風刺はそれはそれで現実の気分を反映したものだし、現代にも通じる普遍的なものではあるんだけど、でもそれ以上に重要なこととして、それは映画を面白くするための材料の一つなんですよね。

社会的テーマ、政治的テーマすら燃料として貪り食って、どこまでも突き抜けた面白さを追求する、ストイックなまでの面白優先主義

これはもう、面白いに決まってる…のではないでしょうか。

 

地域によると思うけど、「ゼイリブ」まだ映画館で観られるチャンスあると思います。

未見の方も、この機会にぜひご賞味ください。ビックリする面白さだから!