その後、先輩とは連絡が取れて一安心。
先輩は自宅マンションで居候させてくれたんだ。
家賃タダだもん、ありがたい。リビングのカゴ型ソファで寝かせてもらえた。なんと感謝!
そして、先輩の家に到着した夜、先輩は僕にとって初めてのシドニーレストラン、「トニーローマ」連れて行ってくれたんだ。
スペアリブの専門店。
初めてたべたリブは美味しくて、蜂蜜の効いたソースもマッチしてた。今でもよく覚えてます。ご馳走していただきありがたかったな。
それから10日くらいは居候させてもらったんだけど、なんだかここにいては英語力も成長しない。それに申し訳ないと先輩の良心をそこそこにして僕は旅立ったんだな。
あとはシドニーでいろんなことあったんですが、その後、別の先輩の紹介である大きな会社への就職を紹介される。
喜んで何度か面接してなんとか入社させていただけた。喜びいさんでいくとパジェロ先輩と同じ会社だったんだー
「おーてつろー久しぶりだな!」まさか、先輩とまたお会いできると思わず嬉しかった。
僕は先輩には、その後の近況知らせずにいたので
「お前、どこで何してるか?心配してたんだ」と言われて詫びた。
でも、別の先輩からの紹介でまたパジェロ先輩とお会いできて僕は嬉しかったんだ。最初にシドニー来てから10ヶ月後のことでした。
そのパジェロ先輩が先月お亡くなりになったんです。
いつも赤いパジェロで困ったときは送迎してくれた先輩。やや偉そうに僕に仕事おしつけるけど、ハンバーガー買ってきてくれたりちゃんとフォローしてくれる優しい先輩、、、若い時の思い出は色褪せない。
先輩、、どうして。
先輩は、僕が仙台でお店を出してからも僕がお店で焼いてるころは、毎年きてくれてた。そんな、先輩はオーストラリア時代の知り合いでは先輩しかいなかった。
葬儀の日、奥さんに言われた。
「彼はいつもテツロウはすごいよ、またお店出したんだ。海外もだしたんだ。とかいつもテツロウのこと気にして私に話をしてくれてました。」
そんなこと、、そんなこと言われたら
号泣😭😭します。
先輩。
ありがとうございます。
まだまだ話をしたいこと沢山あったけど
残念です。
ご冥福をお祈りします。
パジェロ先輩、お世話になりました。
先輩の分も僕は力強く生きてまいります。
