ちょうど22日からホーチミンへきていた。仕事で。
スタッフとmeetingしたり、飲みにつれていったり、友人とお会いしたりと
忙しくしていました。そんななか私が若き日にお世話になった先輩の訃報を聞きました。
昼間にgrabで移動中にsydney時代の元上司からのメッセージ。
あ!開封してしまった。
制御不能、涙があふれた。
その先輩は私より6歳ほど年上。にしてもまだ若い。残念でならない。
3月に病院にお見舞いに行きました。
その時はお痩せになられていたけど元気そうでしたが。
僕は先輩の復活を心で祈っていた。本当に何度も神棚にもお願いした。
★先輩との思い出
先輩はウインドサーフィンが好きで赤のパジェロを乗っていて
面白い先輩でした。Nさんです。
それは僕がまだ20歳のころにさかのぼります。時はバブルの末期の1989年で。
僕は日本でずっとやっていくことになんか嫌になっていて海外へ長期で行く道を
模索していました。
そこでワーキングホリデーという制度を自分でみつけて勝手にオーストラリアに就職したいと
おもうようになりました。
当時の制度はたしか、自分の通帳口座に70万円のお金がないとワーホリビザ
おりなかったころで。そのため僕は知人の工事現場の親方の下で日々バイトをさせていただき、半年で100万ほど
ためました。
6月ころだった。
そんなお金をためているころにどこからか母が聞きつけてきた話からJ先輩と出会います。
母「あんたさ、オーストラリアに行きたいんだよね。私の友達で息子がオーストラリアで働いている子が
いるのよ。それで今度休暇でかえってくるからさ、会いに行けばいいんじゃない。」
僕「へーーそんな人がいるんだ。あってみたいね。ぜひ!」
そんなこんなで1週間後、先輩の実家へ。そこで初めてお会いしていろいろ話をしてくれました。
あまり細かいことは覚えてないのですが、印象的だった話は
「出勤前にサーフィンしてそれからofficeへ行くんだよね。でね仕事中に海水が鼻から出てきたりするんだ。
仕事終わってもまだ明るいからそこから波乗りいってもいいし。あっちはよく公園でBBQしたりもするんだ」
「冬はないんですか?」
「冬といってもそんな寒くないよ。1ねんのうち、半年くらいは夏だね」
「へーいいですね~」
先輩「来る日が決まったさ。連絡してきな。おれ、空港に迎えに行ってやるからさ」
僕「いいんですか。ありがとうございます」
「いいですね~」
その年の12月10日、ついに僕は初の海外でシドニーへおり立った。
夜中のフライトでしたので朝7時到着。
GATEをでたのが8時半ごろか。
あら??
先輩がいない。
1時間待った。
あら?
先輩の会社に電話をしてみたけど
英語でなんかいわれてびびって切ってしまった。
こまったな。
もう一時間半待った。こない。朝11時だ。限界だ。
空港を離れよう。
さてどうしましょうかね~
今日の宿も取ってないのです。僕は先輩をアテにしていたから。
空港につけていたタクシーにとびのってシドニーのセンター(中央)へいってと頼んだ。とりあえず。
おろされたのがセントラル中央駅でした。
(よし、とりあえずモーテルを探そう)
持参した「地球の歩き方~シドニー編」を熟読していたので、シドニーの街の中の安いモーテルをとることにしたんだ。
スーツケースをひきずってキョロキョロしながら、道をあるいた。
オージーがでかくてビビっている僕だ。
その道は2年後自分はネイビーのスーツで地元のビジネスマンとしてあるくようになるとは当時はまったく思わなかったわけで。
後日談。そのころ先輩は僕が来る日のことはうっかり忘れてたそうです。
ゴールドコーストに社員旅行に行っていた(笑)。
まったくお茶目なひとなのだ。
つづく。