ツイッターを久しぶりにのぞいた。
ちなみに私のフォロワーは59人。
その1/3くらいはbotといわれるものだったりする。
脱原発デモで知り合う人たちで増えてきてはいるのだが、
どうしても同じ内容ばかりになってしまい、なんとなくここ最近は離れてしまっていた。
たぶんひねくれている。
大多数が同じジャンルのことを話していると、
どうしようもないくらいくだらないことをRTしたくなる。
そして薄々気づいてはいたのだが、どうやら私は
皆と同じことをできるだけしたくないと思っているようなのだ。
厄介なこってすな。
と、まあそんなかんじで
人のふんどしを取る流れのツイッターなぞ楽しんだりしています。
でもアレも加減が難しいよね。
どんな情報をいつどのタイミングで流すのかって。
私みたいな少人数フォロワーの場合は何も考えなくてもいいのだけど、
めちゃくちゃ読んでる人がいたら大変だよね。
人間たくさんいたらその人数分だけの考え方があって、
同じ言葉の受け取り方は人それぞれだったりする。
ただでさえメールは感情が伝わりにくい。
だからこそ絵文字があるのだけれど、
私みたいに使うタイミングがわからなかったり、
使う行為を避ける人は、ますます誤解されてしまいかねない。
先にも書いたが、私の生身のフォロワーは脱原発思想の人が多い。
あとは動物保護関係の人かな。
数少ないフォロワーの中にも、いまだ被災地付近に住む人はいる。
やはり関東の食べ物の危険性や、瓦礫受け入れ反対についてのRTが
今もそこで生活し続けている人たちを、
なんともいえない気分にさせているかもしれない。
避難したくても出来ない。
さまざまな理由がそこにあるだろう。
私にも私の生活がここにあって、
守りたい理由があるからこそ、産地を調べ、安易な瓦礫受入れは反対する。
ここでどうしても説明しておきたい。
私は、風評にのっとって、ただ闇雲に上記のようなことを言っているのではない。
ただ単に、放射性物質が怖いだけ。
だから、きちんと放射性物質について検査が行われ、
その値が公表されるものであるならば、
私は喜んで関東の食材を食べ、瓦礫を受け入れたいと思う。
すべてが有耶無耶不安の状態で、
「協力しよう」 「助け合おう」 「いまこそ絆じゃないか」
とは口が裂けても言えない。
原発の事故がなければ、被災地まで出向いただろう。
できるだけお金を流すために、たくさん福島産のものを購入しただろう。
この震災はあらゆる面で、神戸とは比較にならない。
絆の押し売りをする前に、国として、マスコミとしてできることがあるのではないか。
おっと、これは長くなってしまうので
また改めて書かなくちゃね。
とまあ、こんなかんじで
もう少し多くいたフォロワーさんも、
件のRTをきっかけにして姿を消していった。
気を悪くさせてしまったのだろうと、
なんとなく申し訳ない気持ちになったりもした。
言いたいことを、ブログより気軽に公にUPできるのがツイッター。
だからこそ思ったことを即書けない。 私は。
送信前に、何度も読み返してしまう。
「これを読んで気分を害する人はいないかな」
「まちがった情報は入っていないかな」
きっと私が考えすぎなのだろうけれどね。
脱原発仲間からすれば、
くだらないことしか言わない or ツイートが途絶える
こんな私は 「ほんまに原発止めたいんかいな」 と
歯がゆく思われる存在なのかもしれない。
(または存在自体忘れられている!)
なんだかね、
同じ情報を同じメンツでぐるぐる回し読みしている図が
なんとなく学生時代を思い出してしまって、すっかりついていけなくなっている。
というか、私からついていけなくしている。
うっかり知った人がこれを読むはめになったら
思いっきり勘違いされてしまいそうだけど。
顔を合わせなくてもズイズイ仕事できるくらい、
めちゃくちゃ便利な世の中だけど
その分プライベートまでなくなってしまって、
ネットの鎖で手足がんじがらめになってるような。
とても不自由な世の中かもしれないなと思いましてん。