夏蜜柑の萌語り -193ページ目

【梓月】かじかんだ君の手を

「ねぇねぇ!みんな見て!」

 部活の休憩中のことだった。
 外に顔を洗いに出ていた夜久先輩が、興奮した様子で戻ってきたのだ。
「どうした…騒がしい」
 部長の肩書きも馴染んできた宮地先輩が、呆れたような声を出した。
「とにかくすごいの!外見て!」
 夜久先輩の吐く息は白く、外気の冷たさを思わせる。
「なんだぁ?」
「どれどれー?」
 面白そうだと嗅ぎ付けて、犬飼先輩たちが夜久先輩の手招きに導かれていく。

「おおっ!」
「ついに来たな!」
「先輩方、どうしたんですか…わぁ!雪ですよ!」

 小熊が歓声を上げて、ようやく夜久先輩の興奮の正体を知る。
 三バカから予想通りの反応を得られて、夜久先輩は満足げだ。
「ここのところ寒かったでしょ?そろそろかなって思ってたんだ」
「夜久オメー、寒くないのかよ?俺ら今、袴だぞ?」
「全然平気!むしろ、雪だるま作りたい気分」
 わいわいと盛り上がっているが、僕が横目に見た宮地部長の眉間のシワは次第に深くなっている。

 あーあ、夜久先輩ったら。
 金久保部長なら分かってくれたかもしれないけど、宮地部長が雪の風情を感じて粋な計らいをするわけが…

「いい加減にしろ!練習を再開する!」

 …ないじゃないですか。

「宮地ー怒るなよー」
「しかし寒いわけだわ、手がちっとも動かねー」
 犬飼先輩たちはすごすごと戻ってくる。
 夜久先輩は少しだけ名残惜しそうに空を見て、ゆっくりと戻ってきた。
「冬の練習は短時間集中!余計なことをして時間を無駄にするな!」
「ごめんなさい…宮地くん」
 これは…宮地部長、分が悪い。
 しゅんとなった夜久先輩をして、これは完全に女性をいじめる構図だ。宮地部長も自分が悪いみたいな空気になって、居心地悪そう。
「冷え込みがきつくなる前に練習を切り上げる。…だからその分、今は真剣にやれ。いいな」
 結局、宮地部長が折れる形になって、この場は収まった。

 さすがだと思う。夜久先輩は、これを計算でもなくやってのけるのだから。
 でも…。

「うん!わたし、頑張るね!」
「あ…あぁ」
 宮地部長に、満面の笑顔を向けるだなんて。…許せないね。
「よし、練習を再開する!」
「はい!」
 僕は自分の弓を指でなぞって、的を真っ直ぐに見据えた。


「梓くん!」
 練習が終わり、自分の道具を片付けていると、夜久先輩が近づいてきた。
「どうしたんですか、先輩」
 少しだけ機嫌の悪い声で、応える。
「あのね、今日、一緒に帰らない?」
 帰りを誘うだけ。それだけで、真っ赤になる夜久先輩。こういうところは、ホントにずるいと思う。
「もちろんですよ。というか、約束するまでもないことです。何たって先輩は僕の―彼女なんですから」
「う…うん…」
「じゃあ、少し待っててもらえますか?男子更衣室の掃除当番なので」
 夜久先輩は明るく笑って、頷いた。
「わかった!外に居るね」
 外は寒いんだから中で…と言う間もなく、夜久先輩は道場を出ていった。
「雪、降ってるんでしょうが…」
 これはあれですね、早く掃除を終わらせろってことなんですね。
 僕はそう解釈して、更衣室へと急ぎ足で向かった。


 空はすっかり暗くなり、冬の星が瞬き始めている。
 弓道場の戸締まりを終えると、外灯の下で、夜久先輩が一人空を見上げていた。
 たまに両手を擦り合わせて、息を吐きかけて暖めようとしていた。
 僕はそっと近づいて、その手をとる。
「あっ、梓くん!?」
「お待たせしてすみません」
「ううん。それより、梓くんの手…あったかいね」
「そうですか?」
 夜久先輩の手は、反対に氷のように冷たい。
「あったかいよ…とっても」
「…雪が降ると、先輩はテンションが上がるんですね」
「そうかな…?」
 僕は自分の手を夜久先輩の頬へと移動させ、ゆっくりとこちらを向かせる。
「そうですよ…宮地部長に、あんな笑顔見せるなんて…」
「だって、わたしが悪かったのに許してくれて、しかも練習早く切り上げてくれたし…嬉しかったの」
「そんなに雪が好きなんですか?」
 夜久先輩はぽかんとして、それから、少し拗ねたような顔をした。
「ホワイトクリスマス…」
「え?」
 夜久先輩の顔がどんどん熱くなっていく。

「このままいけば、明日のデート…ホワイトクリスマスじゃない…」

 何てことだ。
 夜久先輩のテンションの原因が、僕にあったなんて。
「まったく…」
「あっ、今バカにしたでしょ!?子供っぽいとか思ったんでしょ!」
「違いますよ」
 笑顔でなだめても、先輩の機嫌は直らない。
「だって呆れてるもん!うー…悔しい…」
「違いますって。もう、先輩!」

 頬に添えたままだった手を固定させ、素早く唇を重ねる。

「ん…」
 冷たい唇に、熱が伝わる。
「先輩が、ずっと僕のこと考えてくれて…嬉しいんですよ」
「ほんと…?」
「あれ、さっきのキスくらいじゃ伝わりませんでしたか?それじゃもっとすごいのを…」
 夜久先輩が顔を真っ赤にして首を横に降る。
「つつ伝わった!伝わったよ梓くん!」
「なんだ、残念」
「梓くん!?」
 声を出して笑って、一区切り収まる頃に、先輩と目を合わせる。
 外はこんなに寒いのに、先輩と触れているところは、柔らかな暖かさが感じられる。

「先輩の手が冷たいなら…僕が暖めます」
「梓くんが寒いときは、わたしが…」
「抱き締めてくださいね?」
 途端に焦りはじめる夜久先輩を見て、また笑う。

「じゃあ…帰ろう」
 そう言って、おずおずと差し出された先輩の手を取り、自分のポケットに入れる。


 あぁ、こうして僕は、もっと君に夢中になっていく。