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誰も読んでないのに4回目を書きます。
少し自意識過剰なのかもしれません。
また車ネタです。
ここまで車を話題にすると、車好きの男にしか思われないかもしれませんが、そんなことはありません。
車種もよくわかりませんし。
車を購入しようと思った動機はすでに書いたので割愛します。
この車に決めた!
という経由を書きたくなったのです。
ディーラーに父と二人で行きました。
親父は日ごろから「vとfがお勧めだ」と言っていており、そのまま流れで行きました。
大して興味もありません。もちろん。
何でも良かったんです。
だって、そうしょ?車の優劣もわかんない、興味もわかんない人間が、しかも仕方なしにえらぶんですもの。
で、最初はvを観に行きました。
ディーラーは熱心に勧めてきます。
そりゃそうですよね、
試乗もさせてもらいました。
まぁ、こんなもんかと思いました。そこまで感動するくらいの感慨はなかったです。
それからvに行きました。
試乗しました。
ショップから左にハンドルを取って公道に出ました。
そしたら僕が一番好きなミュージシャンの、しかも一番好きな一番好きな曲が流れてきたんです。
ふわっとしました。
不思議な感覚でした。
買おう、と決めました。
一時間で新車を買ってしまいました。
好きでもないのに。
僕は物語が大好きです。
小説とか、映画とか、ドラマとか、漫画とか、演劇であるとか、
お笑いであったり音楽とかスポーツとか、始まりがあって、おわりがあるひとつのストーリーが好きなのです。
好きなことを書きます。
だれもみてないしね。
僕はすべからく物語に必要とされる条件があるものだ。と信じているものがあるのです。
それは、ハッピーエンドで終わるか、少なくともそれに近い方向で物語りは終わるべきではないかと。
ずっと思っているのです。
そうではないと救われないではありませんか。
たとえば、今にも自殺しようとして、その人が本当に救いのない物語を求めているのか、と。
その人が生きることや死ぬことに対して半信半疑でこの上なく悩んでたとしても、
それに対しては最低限の、前向きな、上手くはいえないけどポジティブな結論を出せるようなことを
結論として出さなくてはならないと思うのです。
でもね。
最近は物語というものに対して疑問を感じるようになっているんです。
仮に、物語がハッピーエンドやそれに向かうそれなりに美しい方向性で終わったとしても、
それを体感した読者は、明日があるのです。
どれだけ美味しい楽しいお酒を飲ん儀だとしても、次の日の朝は二日酔いなのです。
すばらしい読後感に浸っているとしても、それは薄まっていくわけで。
日常は続いていくんです。