もはや、豊玉之男《とよたまのお》に考える猶予はなかった。

 

 大陸倭人《たいりくわじん》の間では、古秋津洲《こあきつしま》と呼ばれる「わた衆|千年巫女《せんねんみこ》」のことを知らない者はいない。その千年巫女《せんねんみこ》の勾玉《まがたま》を無旦《むたん》王子が持っていると言う。

 

 果たして、千年巫女は、古き秋津洲の巫女であろうか。

 

 しかも、無旦《むたん》王子は、天星宮《あまぼしみや》の若木神《わかきかみ》との出会いで、魂の触れ合いを強く感じられた。もし、無旦《むたん》王子の勾玉《まがたま》が、千年巫女《せんねんみこ》のものであれば、それは、八尺瓊勾玉《やさかにのまが゜たま》と同じ、数千年前の南海大爆発のおりに、大陸に逃れた奄美族の勾玉であるかもしれないのである。もしくは、豊玉之男が言う様に、豊浦宮《とようらみや》の八潮伝説《やしおでんせつ》にある「逆鱗《げきりん》の玉《ぎょく》」という可能性もある。何れにしても、無旦《むたん》王子が持つ玉は、秋津洲とは深い関わりがあることだけは確かであろう。

 翌日、豊玉之男《とよたまのお》は、早速に、阿津耳之命《あつみみのみこと》を訪ねた。

 「阿津耳之命《あつみみのみこと》には、この処、高天原《たかまがはら》と大海原《おおわたはら》を行ったり来たりで、大変に、ご足労を掛けております。いまや、秋津洲《あきつしま》に大きな危機が及んでおりますが、これを深刻な問題として受け止められている方は、秋津洲でも阿津耳之命《あつみみのみこと》をおいて他にはいないと思っております。そこで、折り入ってお願いが御座います。」

 ここで、豊玉之男《とよたまのお》は、ひと呼吸おくと、阿津耳之命《あつみみのみこと》を見つめた。

 「ご存じの通り、かしこねの海の防備につきましては、豊浦宮《とようらみや》と知佳島宮《ちかしまみや》にて、守らせて頂いております。おかげで、かしこねの海では、海賊船が見違えるように少なくなりました。かくなる上は、無旦《むたん》王子、受け入れのことにつきまして、是非にも、若木神《わかきかみ》のお許しを受けられますように取り計らいの程、お願い致します。」

 
 阿津耳《あつみみ》は、近ごろ、顔に皺《しわ》が増えたようである。「またしても、難しいことを、仰せられる。」と皺を立てたまま目を瞑《つむ》った。

 先日、若木神《わかきかみ》と無旦《むたん》王子との触れ合いといい、金拆神《かねさくかみ》の言霊《ことだま》といい、王子の受け入れには、何の問題も無かったかのように見えた。
 だが、阿津耳《あつみみ》にしてみれば、無旦《むたん》王子のことは、しばらくの一時逗留《いちじとうりゅう》に過ぎないと思っていたようである。
 豊玉之男《とよたまのお》は、そのような阿津耳の心の内を推し量ってのことであろう。無旦《むたん》王子の身の安全を図るためには、改めて阿津耳之命《あつみみのみこと》の覚悟と、若木神《わかきかみ》のお許しを得なければならないと思っていたのである。
 阿津耳《あつみみ》の優柔不断な返事に、豊玉之男《とよたまのお》は、もはや引くわけには行かぬと、阿津耳《あつみみ》を睨むのであった。だが、そんな阿津耳《あつみみ》にしても、その様な豊玉之男《とよたまのお》の熱き心を、安々と受け入れることはできなかった。                        つづく

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