『アネモメトリ』特集記事で扱った事例のなかから、自身が問題関心を持った伝統的な技術に関わるものをひとつ選び、それについての研究書や論文、あるいは参考となる資料や報告書について、書誌情報をレポート本文に複数列挙し、その一つ一つについて内容をまとめてください。
「一点もの的手づくり」の今#30,#31
1.序論
これらの記事では、裁縫という技術について取り上げている。この記事の冒頭にあるように、1970年代、私が小学生の頃は、バッグや小物などは、母親が作ってくれた。アネモメトリの記事のタイトルのとおり、まさに「一点物」であった。どこの家にもミシンがあり、裁縫というのは、当時女性が身につける必須の技術であった。しかし、現在では、家庭で裁縫という技術を用いて作品を作るということはほとんどなく、雑巾さえも作らず購入する時代になっている。このような家庭での裁縫の機会の低下は、学校教育に原因があると考え、裁縫という技術について学校教育がどのように関わってきたのかを、文献に基づき調査した。
2.「明治・大正期の裁縫教育における教育的価値づけの変化」
この論文は、明治・大正期における日本の裁縫教育の教育的価値観の変化について述べた論文である。 明治20年代以前は、裁縫は女子の基本的な役割として位置づけられ、その教育的意義について深く論じられることはなかった。しかし、明治30年代以降、裁縫教育は技術習得だけでなく、観察力や忍耐力、美的感覚の養成といった人格形成にも寄与するものと見なされ、大正期には、裁縫教育が子どもの主体的な学びを重視する教育方法と結びつき、教育的価値がさらに拡張された。
つまり、裁縫教育は、単なる実用的技術教育から精神陶冶や人格形成のための教育へと発展したのである。さらに、今後の研究課題として、これらの教育思想が実際の学校現場でどのように受容され、実践されたのかを検討する必要があると述べている。
3「家庭科教育における裁縫学習の変遷」
この論文では、家庭科教育における裁縫学習がどのように発展・変遷してきたかを、江戸時代から現代まで追っている。 江戸時代、裁縫は女性の基本的な技術とみなされ、教材や教訓書で推奨されていた。明治になると裁縫が正式な教育科目として導入され、女子教育の一環として実用的な技術習得が重視され、女学校や女紅場では、衣服の制作だけでなく経済的自立を目指した教育も行われた。
大正時代では、裁縫科は技術教育の中心に位置づけられ、科学の進歩によって家庭科全体が見直されまた。昭和時代の戦時期、 戦争の影響で家庭科教育は節約と実用性に重点が置かれまた。裁縫と家事が「家政科」として統合され、国民生活に直結する内容が重視された。
4.「小学校家庭科における被服製作に対する児童の意識の変容」
この論文は、裁縫に関連した児童の意識や態度の調査結果を扱っている。児童の手縫いやミシンを使った裁縫に対する自信や興味、性別による役割意識についてのデータが提示されている。児童が学生が裁縫に対する意識を調査することに関しては、手縫いやミシンを使うことについての自信や楽しさを感じる児童が多く、裁縫教育を受けることの重要性や役立つスキルに対する意識が高まっている。性別による役割意識としては、女子は縫うことを勉強した方が良いとの意見が多い一方で、男子にも同様に必要とされるべきとの声もある。また、裁縫という技術は練習すれば上手になるとの意見があり、自分で作り上げたものを気に入る児童も多いと報告している。
4.結論
最初の2つの論文は、家庭科の教育内容が時代背景や政策によって変化してきたことを裁縫学習を通して明らかにしており、今後の家庭科教育の方向性について検討する基礎資料を提供している。また、裁縫教育がどのように進化してきたのかを教育史的視点から詳述しており家庭科における裁縫という技術の修得が女性教育において重要な位置を占めていた背景や、時代ごとの社会的・文化的な影響に基づく変化が詳述されている。 3つめの論文では、裁縫教育の必要性や児童の認識を深く掘り下げて示しており、今後の教育に役立つ情報が多く含まれている。これらの点から、裁縫技術の継承については、学校教育の役割が重要と考え、設問2で述べることにする。