室町後期に登場し、桃山時代、江戸時代を通じて、為政者に重用されたことで画壇の中枢に君臨し続けた狩野派とはどのような流派であったのか。中世から近世の日本絵画の一大画派となった狩野派を、時代を追ってたどります。初代正信から江戸時代の探幽までの代表作を中心に、その変遷を概観するとともに、江戸時代、狩野派門下で活躍しながら、最終的にはこれを離れて活動した異色の絵師・久隅守景、英一蝶も取り上げます。
Movie1・・・狩野派の出発 狩野正信と狩野元信
Movie2・・・狩野永徳 天下人の絵師
Movie3・・・狩野山楽と狩野山雪
Movie4・・・江戸狩野派の確立 狩野探幽
Movie5・・・狩野派の異端 久隅守景と英一蝶
狩野元信は、大規模な注文にこたえるため工房での集団制作体制を確立し、狩野派の流派としての基礎を築きました。その孫狩野永徳は城郭など大規模建築の障壁画に合わせ、「大画様式」をつくり上げました。秀吉の推挙で永徳に入門し、最も永徳の画風を継いだ狩野山楽は、豊臣家滅亡のあと画壇に復帰、京にとどまり京狩野の祖となりました。久隅守景は探幽の高弟で、探幽様式のほか、室町漢画、とくに雪舟を学びましたが、狩野派から破門され、中年以降、加賀前田藩に庇護を受けるようになりました。代表作《夕顔棚納涼図屏風》のように、狩野派にはない独自の潤いに富んだ穏やかな作風をつくり上げました。また、探幽の末弟安信に学んだ初期江戸狩野の重要な絵師である英一蝶も、《雨宿り図屏風》をはじめ、市井の人々の様子を生き生きと描きました。