3章漢と和の世界-室町時代の絵画 | 65歳の芸大生

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定年退職後、新しいことにチャレンジしたいと考えて、今まで縁がなかった芸術について学ぼうと思い、通信制の芸大に入学しました。このブログが日々の学習内容の記録として活用しています。

鎌倉時代後期以降、禅宗を通じて流入した中国宋元の絵画が、日本に本格的な水墨画をもたらしました。室町時代には、宋元の水墨画家の様式にならった山水図が生まれましたが、また同時に、伝統的な濃彩・金銀箔などを用いた華やかな「やまと絵」も描かれ続けていました。本章では漢と和の世界が併存していた中世、室町時代の絵画を概観していきます。 

Movie1・・・『佛日庵公物目録』と《松下達磨図》 

Movie2・・・《柴門新月図》と《瓢鮎図》 

Movie3・・・雪舟 《秋冬山水図》 

Movie4・・・《月次風俗図屏風》 

Movie5・・・《四季花木図屏風》

鎌倉時代後期、禅宗文化を窓口に、水墨画が伝えられましたが、とくに初期水墨画は、禅僧によって描かれる禅余画が中心で、その代表的画題は、道釈人物画です。室町時代に入り、相国寺の画僧、如拙は、足利義持の命で《瓢鮎図》を制作しましたが、この絵は宋元の宮廷画院に属する専門絵師の画風の影響を受けた「新様」で描かれました。相国寺出身で享徳3年に山口へくだり、その後渡明した雪舟は、宋元画に倣いながらも、水墨画ではじめて日本の実景を描いた《天橋立図》でも知られるとおり、独自の水墨画を確立しました。 また一方、室町時代は平安時代以来の伝統的な「やまと絵」も描かれました。これは濃彩と金銀箔を用いて華やかで装飾性豊かな四季絵、月次絵などを描いたものです。当時は、こうした「やまと絵」の障壁画を廻らした会所に、唐物や水墨画を飾ることが行われました。和と漢が併存した鑑賞空間が作り上げられていたのです。