2章周王朝と地域性の展開-西周・春秋戦国時代 | 65歳の芸大生

65歳の芸大生

定年退職後、新しいことにチャレンジしたいと考えて、今まで縁がなかった芸術について学ぼうと思い、京都芸術大学通信教育部芸術教養学科に編入学しました。このブログが日々の学習内容の記録として活用しています。

 この章の要点

殷に続く西周時代は、青銅器や玉器の美術が受け継がれますが、青銅器は祭器としての性格が弱まり、造形的には穏やかな方向へ進みます。しかし、春秋戦国時代になると器形は豊富になり、象嵌や失蝋法(蝋型鋳造法)などの新たな技法の導入により、大きな発展を遂げました。玉器は変わらぬ至高の価値を有し、春秋戦国時代になると腰に帯びる佩玉が盛んに制作されました。中国の南方では漆器の制作が高い水準に達し、北方では遊牧民族や西アジアの美術の影響がみられます。本章では、こうした西周時代から春秋戦国時代の美術をみていきます。 Movie1・・・西周時代の青銅器 《毛公鼎》 Movie2・・・曾侯乙墓の美術 Movie3・・・中山王墓の美術 Movie4・・・中国北方の美術 Movie5・・・古代中国美術における象嵌の美

 

《毛公鼎》の口縁部にみる重環文は簡略化された西周時代の文様の特徴を良く示しています。戦国時代の曾侯乙墓からは華南に特有の漆器が数多く出土しました。一方、華北の中山王墓から出土した《銀象嵌有翼神獣》は中国最古の有翼獣であり、こうした造形は 西アジアから遊牧民族によって伝えられたと考えられています。この時代から始まった青銅器に金・銀の象嵌を施す技法は中国では金銀錯と呼ばれています。