5章写実の成熟-奈良時代後期から平安時代初期 | 65歳の芸大生

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定年退職後、新しいことにチャレンジしたいと考えて、今まで縁がなかった芸術について学ぼうと思い、京都芸術大学通信教育部芸術教養学科に編入学しました。このブログが日々の学習内容の記録として活用しています。

この章の要点

天平勝宝5年(753年)、東大寺大仏の開眼会が行われた翌年に、鑑真和上が中国から来朝します。唐招提寺が建立されると、仏像は一本の木から像を彫り出した一木造が主流となり、続く平安時代初期にも新薬師寺《薬師如来坐像》や神護寺《薬師如来立像》などの木彫像が奈良や京都で数多くつくられました。絵画では当麻寺《当麻曼荼羅》や薬師寺《吉祥天画像》、そして空海が唐から請来した密教絵画があげられます。密教美術については次章で述べることにして、本章では奈良時代後期から平安時代初期の美術を見ていきます。 Movie1・・・鑑真和上の来朝と《鑑真和上坐像》 Movie2・・・唐招提寺の木彫像 Movie3・・・新薬師寺 《薬師如来坐像》 Movie4・・・宝菩提院願徳寺 《菩薩半跏像》 Movie5・・・法華寺 《十一面観音立像》

 

東大寺の大仏が完成した翌年、中国の唐から鑑真和上が来朝しました。唐招提寺に伝わる一木造の量感のある木彫像は、奈良末~平安時代初期に主流となる仏像様式の出発点に位置付けられています。また、法華寺《十一面観音立像》のような像の表面全体に彩色や漆箔を施さない素木像が数多くつくられるようになり、その背景として白檀などの檀木で仏像をつくる檀像の考え方が指摘されています。さらに、特徴的な衣文表現として翻波式衣文、渦文などがみられるようになります。