3章写実の萌芽-白鳳時代 | 65歳の芸大生

65歳の芸大生

定年退職後、新しいことにチャレンジしたいと考えて、今まで縁がなかった芸術について学ぼうと思い、京都芸術大学通信教育部芸術教養学科に編入学しました。このブログが日々の学習内容の記録として活用しています。

この章の要点

7世紀半ばから和銅3年(710年)の平城京遷都まで、飛鳥時代の後半を美術史では白鳳時代と呼びます。日本は律令制国家への道を歩み始め、仏教信仰は従来の氏族中心だったものから国家的規模となり、百済大寺、川原寺、薬師寺といった天皇の発願による大寺院、すなわち官寺の建立が始まりました。また遣隋使にかわって遣唐使の派遣が開始され、中国の初唐時代の文化が日本へ伝えられました。本章ではこうした白鳳時代の美術を見ていきます。 Movie1・・・中宮寺 《半跏思惟像》 Movie2・・・塼仏と押出仏 Movie3・・・山田寺の仏頭 Movie4・・・薬師寺金堂 《薬師三尊像》 Movie5・・・《高松塚古墳壁画》

 

7世紀半ば頃から百済大寺、川原寺、薬師寺といった官寺が建立され、仏像様式は興福寺所蔵の銅造《仏頭》にみる丸顔の 童子のような顔つきの仏像が主流となりました。本像はもと山田寺の講堂本尊で、天武14年(685年)に完成したことが知られるこの時代の基準作例です。さらに、遣唐使の派遣により中国初唐時代の文化が伝えられ、塼仏や押出し仏、または高松塚古墳壁画にもその影響が指摘されています。