最終回です。

 

    

 

最近デフファミリーとなった

あるお母さんに、

連載を書いていただきます。

ご両親ともきこえないなかで、

生まれたお子さんは
最初はきこえていたようだったとのこと。

途中で難聴がわかった経緯や、
今の生活について教えていただきました鉛筆
 

 

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***

 

 

 号泣したわけ


こども2人とも難聴とわかって、嬉しかったんじゃない?
と周りの人には言われました。
家族のなかで自分1人だけきこえない、という環境だった人は特に、デフファミリーの存在を知ると、そんな家族のかたちもあるんだと憧れが強いと思います。
私もデフファミリーに憧れがありました!
なのにどうして戸惑ったんだろう?ショックだったんだろう?
その答えを自分なりに考えてみました。
そして、見つけました❗️
それは「アイデンティティの崩壊と再構築」だったのかなと。
生まれてすぐに子どもの難聴がわかったわけではないので…
自分としては
長女を出産して5年間かけて「コーダを育てている親」のアイデンティティを作り上げていたところに
実は「デフファミリーの親」のアイデンティティに変わらなきゃいけなかったことへの衝撃だったのかな、と思います。

アイデンティティって言うとわかりづらいかもしれません。

例えると。自分の血液型がこれまでB型と思っていたのに、実はあなたAB型ですよって言われたような感じです。
※友人が大学生のときに実際に経験したお話です。そのときはそんなこともあるんだ〜ウケるー笑い泣きと笑っていたやまりのですが、自分の考えを整理するのにすごく役立ちました。

B型として『マイペース』とか『ちょっと変わった人』とか、自分のなかでB型であることに誇りを持っていたのに、
献血で突然、あなたB型じゃないですよ、AB型ですよと言われて。
自分はB型じゃなかったんだ…びっくりマークはてなマークガーンと、これまでの自分が作ってきたアイデンティティが崩壊→直後にAB型の友だちに会う→友だちを通してAB型っていいもんじゃんとポジティブイメージを持つ→自分もAB型でいいじゃんと思えるようになった。ここから新しくAB型としてのアイデンティティを作っていこうと思った
と話してくれて。
友人のアイデンティティの崩壊と再構築と、今回私の出来事は同じ過程だったのかなぁと。

今回は、デフファミリーと言っていいのか?迷いがあったところに、言っていいんですよ!デフファミリーおめでとう!と言われて、そうか言っていいんだ、よかった!と安心しての号泣。からの、すんなり新しいアイデンティティを受け入れられたんです。
長女の難聴発覚から一晩のうちに、経験しました。



 

 

 保育園での反応

 

なかなか補聴器を着けなかった次女と違って、長女は補聴器をとても気に入り、お試しを受け取ってからすぐに保育園に着けていきました。

 

私の方が、どうせ着けていかないだろうと思い込み、補聴器について説明する紙の準備もしていなくて、朝慌てました。

 

『きこえないから補聴器しているんだよ』と『きこえない』と言い切ってしまっていいのか、迷いもあり、

 

担任の先生には、

 

クラスのお子さんが、これなに?どうしてつけてるの?と聞いてきたら『補聴器っていうんだって』と流してください。

 

と伝えました。

 

夕方ドキドキしながら迎えに行くと…

 

びっくりするくらい、なんも気にされなかったようです。

むしろ長女が補聴器見てほしいアピールをしていたようです笑。長女は、1人2人くらいしか気づいてくれなかったと、悲しそうに報告してくれました。同級生の子とママさんと個人的に遊んだときに、さりげなく聞いてみたのですが補聴器自体に気づかなかったようです。

 

前向きに積極的に補聴器を着ける長女の様子を見て、

 

軽度難聴でも補聴器をつけたらきこえる音があるんだ!

本人にとっても補聴器はもう自分の物になっている。

補聴器つけても可愛い♡似合っている♡

 

と前向きになれました。

 

短期間に2人分の補聴器を購入することになりましたが、今、軽度・中等度難聴児の補聴器購入には補助があり、全額負担ではないので金銭的にもとても楽でした。

 

補聴機器について。

次女は聾学校なので、ロジャー機器も数台あり、地域の幼稚園との交流の際にすぐ使用してみるなど、聾学校ならではの環境整備にも感心しました。
 

 

 

 義実家への報告

 

私の家族には頻繁に経過報告していましたが、夫の家族には全く伝えずにいました。

遠方なのでなかなか会えず。

それでも直接会ってから報告しよう…とコロナが落ち着いたころを見計らって会いに行き、難聴がわかったこと、聾学校幼稚部に入学することを伝えました。


義両親にとっては、きこえない息子(娘たちにとってはパパ)とはまた違って、ほとんどきこえる子のように見えていたのもあると思いますが。

 

さほど衝撃もなく、

 

そうなんだー!

聾学校に通うんだね!

 

くらいの反応でした。


あれ、そんなもん?とこちらは肩透かしをくらったような気分。
 

義母は、聞こえない息子(娘たちにとってはパパ)を育てていて、手話や指文字もわかるので、孫が生まれたときから当たり前のように、肩トントン、目を合わせてから会話を始めるなどの習慣が身についていたこともあり、会話には全く問題ありません。

 

今でも『補聴器使わなくてもよく聞こえるのね』、『これで補聴器は必要なの?』と悪気なく単純な疑問として言われます。補聴器がないと、音への反応すら難しい重度難聴とはまた違う聞こえかたですよね。

 

ただ、たまに声だけになったとき。

子どもが『なに?』と聞きかえしたときや、わかってない様子が見えたときに、さりげなく『今のはわからなかったかもしれないですね』と折に触れて共有するようにしています。



長い文章でしたが、読んでいただきありがとうございました。

次女は、親の判断で聾学校幼稚部入学でしたが(保育園から学校に変わることを本人が深く理解していたかどうかは怪しかったですが)、長女の小学校選びについても、また機会があれば書いてみたいと思います。


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ここで連載はいったんおしまいです。

来週からはひさしぶりにスタッフの体験談の連載がスタートします♪
内容は「仕事」について。
8月12日(金)をお楽しみにキラキラ