今日、デジカメが出来たので、写真にすることが容易である。ただし、作品を何処まで忠実に再現できたかは難しい。光源を的確に使えばよいのであるが、そこまでの準備はしなかった。デッサン会のノートについても、自分で気に入ったものがある。スケッチブックの小品も、左手で描いたもので、ある意味では面白い。
10年も以前の作品であるので、直したい所も色々があるが、しかし、修正したのでは私の絵の履歴にならない。不出来な絵はあしからず発展の一段階と黙視願いたい。
写生地のメモより
写生地のメモより
結局、至る所に写生地があるということである。命と暇がいくらあっても足りない。
次の記録は整理されたものでない。私が放浪したことは確かである。
写生地のメモ(1990)より
滋賀県甲賀郡信楽、伊賀
安乗灯台 灯台と文楽
高見山 トンネル 峠 吉野へ
勢津 堀坂山
大王崎 灯台
波瀬 陶壁 植物園 陶芸 関所
勢津 堀坂山
白米城
局ヶ岳 有馬野 専攻 野々口橋 田引トンネル
栗木岳 赤桶村
玉城町 城
五桂 佐奈 渡邊幸宏
山梨県 山中湖 富士山
石名原 大洞山
杉平 三多気の桜 大洞山
桑名市 吉之丸
鳥羽市 神島 菅島と灯台
穂高 常念岳 わさび農園
林義明補注
林義明補注
林先生の大洞山と倶留尊山について補注いたします。
図 61 模写 林義明 倶留尊山 油彩 F8 1988年7月
この絵については、よく学ぶべきである。如何に大地を捉えるか。植林が不十分の時代。今日、これらの色は見出せない。素晴らしい構成である。この写生地は見極めていない。近くに、民宿がある。「いわしの頭」とか何とか言った。
図 62 模写 林義明 大洞山 油彩 F8 1988年7月
この表現。これが風景画。これからでも遅くない。学ぶべし。山容、稜線が判然としている。今日、画面の茶色(インディアンレッド)は画面の上部に一部。空の気流の流れはこの通り。大洞山の写生に、私を必死にさせたのは、林義明先生のこれ等の絵である。
残念ながら、私のものは、全く乖離している。心すべきである。心を〆るべきである。2005/07/02
しかし、林先輩の絵は1962年の絵であり、私のそれは1900年代である。約30年経過し、植林が進み、山容が変化している。勿論、画く人間が全く異なっている。これ等を受容していただきたい。2005/08/23
絵画談義
絵画談義(続)
11 無心であればよい
何枚も描けば、その人に応じて習熟する。それを続ける、固い意思が必要である。そして、大事なことは、その意思からも、開放されるべきである。考えることは無い。その路線に乗ることである。それが、絵に親しむ境地であろう。より良い評価を求めず、淡々と描き続けることが慣用である。
12 写生と観客
大地の一隅に場所を占有し、対象に熱中している人間存在は、ある意味では異様なものである。大きな絵の具箱付のイーゼルを立て、腕を伸ばして筆を持ち、キャンバスに向かっている。長髪の髪の毛は頭の後ろに、颯爽としている。パリのノートルダム寺院の見える橋の上。まー、後は、読者の想像にまかす。キャンバス上の絵と、対象とする景色はどれかと、眺めざるを得ないであろう。
観客はその絵の出来栄えを見たいのが偽らざる所である。声をかけるべきか。だまって覗くべきか。声をかけても返事の無い場合がある。絵に夢中になっているのであるから、それもやむをえない。気を悪くしないことである。写生中の人の挙動を静かに眺め、その後、やおら、声をかける。そんな配慮が必要ではないか。対象に夢中になっていても、必ず、休憩したくなるはずである。そんな時に出くわしたとすれば、観客は、幸いである。対話が生じる。
まだ絵を見ないうちから、「上手に描きなすって」と接近してくる場合が多い。アーアー、またかと思うことがある。
13 良い絵が一枚
結局、沢山の作品になってしまった。良い絵とは何か。場所ごとにマーマーの作品が選ばれる。思い出の一枚ということになる。上手とか、下手とかとか言う意味では、すべてが良くないかもしれない。あるいは、稚拙であると言うことになるかもしれない。同一グループの風景について、先ず先ず、一番の出来は、これだと言うことに、自ずと選定されることになる。
“これは面白い絵である”ということも重要である。
人間のすることだから、さして変わりない。本人の心の奇跡であるから、他人の評価なんて、関係がない。本人が、瞬時の、せめてもの慰みに、時を使ったのであるから、本人の思い出が沢山詰まった絵が面白い。
作家の作風を端的に表している。または、最高の傑作。
若いときと晩年の作風が、どの程度の変化があるか。困ったことに、さほどの変化が認められないのではないか。それではその間、何をしていたのか。
作者より、色と形において、指導を受けたい場合がある。丁寧に質問することである。
風景などにおいて、必要なものは取捨選択して画面に取り込む。その後は画面上で取捨選択しなければならない。せっかく描いたのであるから、消し去るのは、もったいないでは十分ではない。絵はあくまで画面上のことであるのでこのことは大切である。本描きする前に、クロッキーをするのはそのためである。余りこれにこだわると楽しみは減ってしまうことだってあるが。絵にならないような対照を見事に美しく仕上げることも興味の一つであろう。
画面の裏に場所、油彩、水彩、サイズ、日時、その他を丁寧に記載しておくこと。絵というものは、何度もその対象に取り組むことが必要である。そのたびに記録が必要である。
手を加えることも分からないで、貯まってしまった絵を、どのように処理するか。本人にとっては、不燃物にはもったいないし。木枠からはずして保管することになる。キャンバスだけにして、嵩を低くし、保管すことになるであろう。
枠から離したキャンバスは、10年も経つと、紙の箱に入れてあるのに、恐ろしく、汚れた姿を見せる。
有難いことに、松阪において、月一回、ヌードデッサン会がある。
裸の女性を、そのまま観察できるのである。何を観察し、何を描くか。それが問題である。これも、年月をかけないと、理解できないであろう。回を重ねるにしたがって、「ものが其処にある」というようになる。
ミロのビーナスとの対比で、考えては話にならない。モデルが気の毒である。この乖離をどのように解釈するか。しかし、作品は、無限に、ミロのビーナスに接近しても差し支えない。
観客はその絵の出来栄えを見たいのが偽らざる所である。声をかけるべきか。だまって覗くべきか。声をかけても返事の無い場合がある。絵に夢中になっているのであるから、それもやむをえない。気を悪くしないことである。写生中の人の挙動を静かに眺め、その後、やおら、声をかける。そんな配慮が必要ではないか。対象に夢中になっていても、必ず、休憩したくなるはずである。そんな時に出くわしたとすれば、観客は、幸いである。対話が生じる。
絵画談義
絵画談義
1. 緒言(画集の)
無盲目に、絵を描き続けた。
他に、これと言う道は、見出されなかったのであるから仕方ない。
世の中に役立つことを、何一つすることが無かった。それは、絵に無中になっていたのであるから、所詮、無理なことであった。
絵を描くということは、油絵の技術を学ぶことと思っていた。キャンバスも貯まってしまったので、処置の方法も無く、画暦のつもりで、此処にお示しする。
画集は、後世の人が整理し、評論する場合が多い。ゴッホは、絵も売れなかったので、生きていた証として、絵日記も残している。
今日、デジカメが出来たので、写真にすることは容易である。作品を、何処まで再現できたかは難しい。光源を的確に使えばよいのであるが、そこまでの準備はしなかった。作者の意図を、気楽に眺めてもらえれば幸いである。
個展を開催して批評を頂くのが本筋かもしれない。それについても、目的が異なる場合が多い。商業的であり、限度がある。
デッサン会のノートについても、自分で気に入ったものがある。スケッチブックの小品も、左手で描いたので、ある意味では面白い。これ等については他日に譲る。
非常に重要なことであるが、これだけはご了解願いたい。これ等の作品、特に風景画は、現地において、疲れきって筆をおき、後片付けも、そこそこにして帰宅し、保管したものである。十年も以前の作品であるので、修正したい所も色々ある。しかし、修正したのでは履歴にならない。不出来な所は、悪しからずご容赦願いたい。050626
2. 人物画、静物画と風景画
静物画の場合、絵画教室では、有難いことに、先生が、静物を、形状と形、配色において、最も良いように配列してくれる。何よりも、有難い話である。構図においても、勢いも与えてくださる。造られた関係でもある。
風景画は、そんなわけにはいかない。しかし、地勢学でもあるまいし、見た通り、画面に表現する必要は無い。光が燦燦と降り注ぐのもよければ、嵐の日も良かろう。吉野の桜は、朝、これから日が昇る、霞のかかった情景などが良いとされている。絵を見る人に、この作者は、美しい景色を前にして、「随分と楽しんだであろう」と、思ってもらえれば、占めたものである。
荒れた海に、難破船は画材であった。恐怖を眼前に髣髴とさせる。
ミレーの晩鐘は敬虔な姿を現した。肖像画の傑作を思い出して欲しい。
3. 真、善と美
真、善と美。こんな言葉は風化したのか。文明開化の影響を受けて、一部の人間が、外国の古い本を引き出して、翻訳し、比較的恵まれた部類の若者に披露した。昭和初期の話である。
一方、国を憂うる軍人達の活動は、日本民族の活動範囲を外国に求めた。版図を広げると言うことである。すでに欧米先進国は、アジア界隈を実質支配していた。日本人はこれを座視していられなかった。アジア周辺の資源は欧米人の権益化にあった。日本人の介入する余地がなかった。
日本人が、彼らに与えうるものは武士道精神であった。日本が欧米から学んだ対極の思想であった。いかに、列国に仲間入りしたか。それは日本人の全体の力でなく、列強に障害となる武力を保持したからである。国民が、なけなしの金を出して、武力を蓄えたのだ。日本の平均実力は最低であった。それを、大衆の精神で補った。精神は欧米人にもあった。武士道だけが突出したものではなかった。島国にある国民は、容易に騙された。
アジアの国に対して、共栄圏の美名の本に、自主独立、外国の支配を受けず、アジア人のアジアとし、日本人もそれに参画する、活躍できる場所にしたいと喧伝した。
武士道とは果たして何なのか。これに対抗する騎士道とは何なのか。武士道は論じても、騎士道は何故論じなかったのか。
2005年現在、北朝鮮の政策を変更させるべく、六カ国が交渉に当たっている。北鮮の幹部は6ヶ国と対等の積りで居るわけであるが、国民は飢えていることは確かである。
4. 絵についての戯れごと
050424
此処に記述するものは、プロの画家の心構えではない。ほんの余暇に、スポーツをする。そんな程度のことである。余暇に絵を描くことについての記述である。
絵を描くと言うことは、囲碁、将棋、ゴルフ、テニス、パチンコ、マージャン遊びと同じか。お茶をたしなみ、長唄、仕舞いと同じか。旅行を楽しむのと同じか。時代は変遷し、生活が豊かになり、余暇を楽しめる時代になったからか。果たして、情操を高めることにつながるのか。
これら戯言の話は、対象を的確に観察し、材料の個性を生かし、しっかりと対象を表現する。観察が鋭敏で、表現に何一つ落し物が無い。そんな絵を描いたとすれば、永遠をを把握した作業となる。
5. すぐに上手になりたい
それは貧困な魂である。たとえ、ゴッホ、ゴーギャン、セザンヌ、ロートレックのような絵が出来ても、その絵には何の値打ちも無い。確実な模写でもしない限り満足な絵は出来ない。しかし、その絵をどうしようと言うのか。それだけでは、意味のないことである。絵の本質を見極めなければならない。そのためには、上手に絵を描くことが出来なくても、絵の本質についての考え方は習得できる。
こつこつと積み上げないとある人の絵は完成しない。それが尊いのである。
ゴッホの絵は一日で仕上げる技法の絵である。その技法の確立のために生涯を短く終わった。絵を描くのは短く人生を終わるために時間を使うのではない。ゴーギャンの絵は時間をかけて描く技法である。スーラーの絵などゴッホ流には描けない。余り時間をかけると筆勢が無くなる。それぞれの人によって作風が決まる。それが直ちに普遍的であるとはいえない。個人にとって好ましい絵とは、確信に満ち、それが普遍的でなければならない。
6. 絵を描くということ
絵の対象である事物は、それ自体、存在を示している。存在しているものは美しい。絵を描くことは、先ずは、存在する事物の美を観取ことである。そして、それをキャンバスに移すことである。見ることも、移すことも修練が必要である。
この書は、私の絵画についての懺悔録である。絵を描くということは、美を求めているのである。ただ、それが達せられないとき、美を求めているとは、いえないのである。ただ、無盲目に、絵を描き続けたということになるのである。其処には懺悔があり、悔恨が残る。あからさまに、思うことをさらけ出す、そういう懺悔であり、悔恨である。
他に道は、見出されなかったのであるから、悔恨はないとも言える。世の中に役立つことを、何一つすることが無かった。それは、絵に無中になっていたのであるから、所詮無理なことであった。
戦時中でも、買出し、アルバイトをするでもなく、期待されることは、時にはあったが、残念ながら、それに答えることはなかった。戦列に、積極的に、参加すべきであるが、その勇気は無かった。そんな資質は無かった。
税金で生活する人間が如何に大勢いるか。画家は、絵を押し売りすること無く、生活している。実は、公務員相当の職業から出発している場合が多い。絵を始めたい人は、この道のあることを知っておいて無駄でない。
7. 物を見て観察し表現し的確であること
職人気質(かたぎ)、名工であること。求道者。
遠くの家は小さく、近くの家は大きい。これが遠近法の基礎である。遠くは細線、近くは太線で描く。デジカメレンズの近接レンズと望遠レンズ、これを一体化したズームレンズを考えると良い。人間は頭で如何様にでも描ける。極端な場合は、逆遠近法がある。
物には色があり、光の当たっている所と、影の部分では、色が異なる。木の葉の色そのものには変わりないのであるが、光のあったって居る部分と、影の部分では色が異なる。絵に着色したい場合は、この程度の色の変化には、対応しなければならない。
異なった色の物体が近くにあるとき、それぞれの色が反映される。部屋の色が、部屋の物体に反映することは重要である。白い灯台が、青い空に立っていることは、通常の景色であるが、白い灯台そのものを表現したいとき、赤い空に白い灯台が描かれていても良い。白地に赤の日の丸がへんぽんと翻っていることを想像すると良い。
同じ屋根の瓦の色でも、遠方と近くでは、絵の上では、強弱をつけなければならない。近くに見える色と、遠方に見える色がある。信号の赤、黄と青を考えることが必要である。物体の色が、眼鏡の色によって、色々に認識されることも重要である。
8. 何枚描いても卒業証書が無い
学校では点数をつけてくれる。社会では、入選、入賞回数。所属する会の展覧会、個展の回数が個人の歴史になるかもしれない。周囲の環境に支配されないで、孤独の道を歩むのも、一つの道である。
9. 貴方の画歴は
ある写生会の批評の集まりにおいて、「貴方の画歴は」の質問があり、返事に一瞬戸惑い、「あー、何年も経過したことか」と、自問した。すると、すかさず、「10年か、20年か」と質問が続いた。「二十年」と返事した。絵に関心を持ち続けてと言うならば、何十年になる。
絵の技量と言うものは、ある意味では、「年月である」と、言うことか。そうとするならば、あせる必要は無い。
考えてみれば、小学生のとき、先生から「東京に美術学校がある」と、言われたことがある。この一言は、私の脳裏を離れない。
10. 絵描きには定年が無い
キャンバスに向かって筆を動かすことは、ほとんど死ぬまで出来る。ただし、強力な意欲が必要である。それが重要な問題である。
会社人間は定年になると会社を出なければならない。事務職と技術職で異なるが、定年時の能力そのまま、引き継いで雇ってくれることは珍しい。いわゆる世間は、役に立つときだけ、雇うと言うしきたりである。
絵描きは、そういう意味では定年が無い。しかし、何時までも良い値で絵が売れるかどうか、定かでない。絵画教室で、生徒を教えることには連続であり、途切れることは無い。学校の絵の先生をしていて、定年で退職した場合、月給分だけの絵が毎月売れるかどうか保障できない。会社勤めとたいして変わりない。どの道が良いのか分からないが、絵を描きたければ、何の職業の場合でも、どんどん描くということか。絵は他人に制約されないで描けるということである。満足できるような絵が仕上がるかが問題である。
静物
静物①~⑥
① 図 168 南瓜と薩摩芋 油彩 F4 1994/02/16
背面をどのように表現するか。南京は半分に切断して画題とするか。
②図 139 ヴァイオリン 足立絵画教室 油彩 F8 1993/03/14
楽譜の表現はきりが無い。楽器それ自体のフォルムは美しい。
② 図 127 果物 油彩 F6 1992/03/18
右端は列車弁当用の茶瓶。今日(2005)では瓶に変わっている。水彩画用の水を保管するのに最適。
③ 図 117 バルトグラス(西独) 油彩 P8 1991/10/24
ワイングラスは19世紀 以前のもの。典型的なバルトグラスの名品。中空ステム上にボタン装飾と螺旋紐の加工。上面口部と底部の切断研磨は当時の技術示す。バルブに精細な葡萄の最高水準のグラビール加工。
近所より頂いた玉葱の写生。
⑤ 図 116 バルトグラス(西独) 油彩 P8 1991/10/24
バルトグラスは、小生がドイツより持参したもの。硝子細工と機械加工は繊細そのもの。鉛クリスタルが開発される以前のもの。
⑥ 図 81 ワインとビール 油彩 F6 1991
金属(錫)のジョッキと瓶の後ろの皿はUSAで求めたもの。その前のナイフはハワイで求めたもの。昔は金属食器が使用された。
静物①~⑧
静物①~⑧
静物は、色と形の好きなものを、自由に配列して描くので、風景の場合とは、苦労の度合いは全く異なる。
① 図 86 船徳利、水鉢とメキシコの絨毯 油彩F20(1991)
写真にすると欠点が良く分かる。先ずは、形が安定していなければならない。
② 図 83
船徳利etc, 油彩 F20 1991
徳利は伊勢市、ゴスで描かれた牡丹の壺は瀬戸市で求めたもの。獅子は自分のサインを表している。未熟ゆえの苛立ちであるか。
③ 図 88 伊賀焼 彦四郎(松阪市頑固堂) 油彩 F4 1991
松阪の頑固堂は骨董品の店。時には立ち寄って、多少の知恵を得た。その後、主人は亡くなった。焼き物の白い粒は長石粒であり、伊賀焼きの特色である。
5×10mmの小さい角印が押されてあり、それに彦四郎の名前があった。灰被りの作品である。昭和初期の職人ならば知っていると思う。小生は良く出来ていると思う。
④ 図 126 果物 油彩 F3 1992/03/17
二三度描いて見れば、十分なのかもしれない。
⑤ 図 138 蜜柑 油彩 F3 1993/03/03
⑥ 図 169 G.Tホーキンズ靴(made in china) 油彩 F8 1994/03/10
「靴と言えば革靴」と信じていた時代のもの。
⑦ 図 137 ヴァイオリン 油彩 F8 1993/02/28
⑧ 図 82 習作 コーヒカップ 油彩 SM (1991)
スプーンも金属であることを示している。見た通り着彩した。小品であるが、金属も表現できると言う証。

























