大洞山①~⑥
大洞山⑩~⑫
良くも悪くも、随分この地に来たものだ。このような画家は、ちょっと珍しいのではないか。これが富士山だったら、どうだろうか。この努力に対して、説明は、いくら述べても、これで十分であるとは、申し上げられない。
① 図 214 大洞山(石名原上垣内) 油彩 F6 1997/11/10
何かピッタリ来ない。F-サイズに無理がある。トリミングすると良い。
② 図 215
大洞山(三多気) 油彩 F6 1997/11/11
桜の名所である。大洞山の山形が、石名原より見るものと異なる。この絵は簡素に仕上がっている。これに少し筆を加えると良いのではないか。青い空と白い雲があるような時は、風景を描くのに最適である。
③ 図 143
大洞山(石名原中垣内) 油彩 F10 1993/05/19-23
十分、丁寧に描いている。5月の大洞山である。10月の作品と比較されたい。
良くても悪くても私の一つの到達した世界。(Ⅳ/Ⅷ)
④ 図 154
大洞山(石名原下垣内) 油彩 F10 1993/10/04
何故こんなに、足しげく、この地に通ったことか。絵を描くならば、山容にこだわる必要もないのに。松阪の自宅を出て75分で現地に付く。対象を前にし、折りたたみ椅子に座り、イーゼル(絵の具箱付き)を組み立てる。作業を始める時の、感動の高まりは、収納する時のそれと比べると、対極をなしている。いずれも、異常なものである。この絵は、私なりに、十分、丁寧に描いている。これは、10月の大洞山である。5月の作品と比較されたい。山の胸部を横切る道が開拓されて間が無い。
良くても悪くても私の一つの到達した世界。(Ⅵ/Ⅷ)
⑤ 図 177
大洞山(石名原上垣内) 油彩 F20 1994/ 04/ 23
(小生は1924年生れであるので、満70歳の誕生日の作品である。)
良くても悪くても私の一つの到達した世界。(良くても悪くても私の一つの到達した世界。(Ⅶ/Ⅷ)
⑥ 図 135
大洞山(石名原) 油彩 F20 (1993)
山容が十分理解されてきた。林義明の大洞山は、今日では、如何なる表現になっているであろうか。このように表現すれば、F-サイズでよいのではないか。
良くても悪くても私の一つの到達した世界。(0/Ⅷ)
伊賀焼き
伊賀焼き
伊賀焼きは著名である。水ひ(原土の前処理)が不十分な土を使って品物にした物であり、長石の疎粒をふくむのが特色である。近くに信楽焼きがある。
水差し
松阪市内頑固堂で求めた。主人は 既に 他界している。品物を写真を示す。品物の底の角に鉄製の印「彦四郎」(5mm×10mm)がある。そう古いものでないが、作者と時代の推察の出来るものである。灰被りであることが作者の心意気が分かる。昭和初期以前のものである。轆轤の扱いその他の手作業は敬服に値する。
①油彩
図 88 伊賀焼 彦四郎(松阪市頑固堂) 油彩 F4 1991
松阪の頑固堂は骨董品の店。時には立ち寄って、多少の知恵を得た。その後、主人は亡くなった。焼き物の白い粒は長石粒であり、伊賀焼きの特色である。
5×10mmの小さい角印が押されてあり、それに彦四郎の名前があった。灰被りの作品である。昭和初期の職人ならば知っていると思う。小生は良く出来ていると思う。
②写真
③彦四郎印
局ヶ岳①~⑩
局ヶ岳
我が愛する「だて山」「一本松」「専攻」
田引きトンネルの入り口、松阪市側、別れの一本松の側で、この山を写生することが多かった。その後、和歌山街道にある、この松は、小生が不覚にも、脳梗塞に罹患(1998)中、枯死した。今は石碑のみとなっている。小生の身代わりになったといえる。先の大戦に於いて、村の人が出征のとき、村人は出征者を見送り、一本松のある、この地で、両者は惜別した。ここからは局ヶ岳が、このような姿を見せる。
小生は未登頂であるが、頂上より、三国が眺望できるとのこと。櫛田川の左岸にあり、川は清流である。山麓には、力持ちの専攻(せんこう)の生家の跡があり、石碑がある。彼の足跡でくぼんだと言われる石もある。母親は敵一倍の力で十分であり、千人力である必要は無いと教えた。和歌山藩の殿様の行列が橋を通るとき、牛が通行の邪魔をした。専攻は両腕でこれを捕らえ、殿の通行の障害を取り除いた。母親が妊娠中、力を与え給えと岳山(だてさん)に念じた。それあってか知れないが、お腹で暴れたので、その重みで、床が抜けたと言われる。
① 図 73 局ヶ岳 油彩 F8 (1990)
何故か此処で終わっている。
② 図 72 局ヶ岳 油彩 F8 (1990)
土地の人は、山容を、力持ちである人名「専攻(せんこ)」の寝姿と教えてくれた。
1998年7月小生不覚にも脳梗塞により、右半身不随になった。その後、ここを訪れると、この松は枯死して無くなっていた。愕然とした。小生の身代わりだと、深く胸を打たれた。私は、この地より、随分写生したが、松はこの一枚である。(2005/06/21記)
④ 図 202 局ヶ岳(下滝野) 油彩 F4 1995/05/18
⑤ 図 159 局ヶ岳 宇栗子(うぐるす)油彩 P15 93/12/13
⑥ 図 182 局ヶ岳(田引トンネル)油彩 F10 994/05/16---17
⑦ 図 180 局ヶ岳(田引トンネル) 油彩 F10 1994/05/08
⑧ 図 183
局ヶ岳 油彩 F20 1994/05/19
別れの一本松からの局ヶ岳
⑨ 図 184 局ヶ岳 油彩 F10 1994/05/20
意図して紫で描いた。
⑩ 図 96 局ヶ岳(有間野神社) 油彩F10 1991/08/03
キャンバスの裏に丸山リサ、カナミ、加藤あゆみ、森本まゆ、中西ほしみ。
櫛田川右岸の有間野神社より描いている。専攻の寝たる姿と言われる。神社の森の日陰の場所であり、車の駐車が出来る。画面下部は茶畑。その先は櫛田川。茶畑の先に専攻の寝たる姿に見える局ヶ岳を描いている。山は櫛田川の左岸にあり、写生地は右岸である。
ゴーギャンとゴッホ①②③④
ゴーギャンとゴッホ①②③④
断っておくが、完全なコピーを目的に描いていない。贋作を目的にしていない。現地の美術館において模写したものでない。しかし、名画を前にして、何かの匂いだけでも、身につくのではないか。そんな願いは持っている。
① 図 122 模写 ゴーギャン 油彩 F6板 1992
ゴーギャンがどんな環境で生活したか想像に任せます。この場合、キャンバスに代わって、板を使用した。
② 図 91 習作模写(ゴッホ作 ガッシェ博士) 油彩 F6 1991/05/09
近所の宮本額縁製作所より、未完成の低価格の額を貰ってきて、ほんの少し、彩色のいたずらをした。過去の大家はそんな遊びをしている。私が、それら大家の仲間に入ろうとするものではない。
博士は随分時間をかけてゴッホを観察、診察したことであろう。博士の机上のジキタリスは此処には含めなかった。博士が用意したのか、ゴッホがそうしたのか。私の知りたい所である。ジキタリスは博士の庭にあったとすれば、他にもその時節には花があったことだろう。ジキタリスの意味は説明されているので読者で調べられたい。
ゴッホによるガッシェ博士の銅版画もあるので、それも調べられたい。
③ 図 106 ゴッホ自画像 油彩 F6 1991/05/08
耳を切った異常な心理。その時に至る計画と環境。苦境にあって、その姿を残したいと思う彼の心情。その時の彼は、今日の人気を予見したであろうか。
④
図 107 習作 ゴッホ 婦人像 油彩 P8 1991/05/09
静物の配置と同じく、モデルに、好みの装いをさせ、描くと良い。婦人の説明は割愛。
ヌード①②
① 図 162 習作 ヌード(Ⅰ) 20×29cm 1994
ヌードデッサン会を思い出して、気楽に作画している。落書きと言える。版画を何枚か造っておいて、気楽に着彩を重ねる。小生は、何時も、このようなヌードを見ているわけではない。この絵が良いか悪いか分からない。絵とはそんなものかも知れない。高い値段がついていれば、あるいは、著名な画家の作品であれば良いと思うのが、一般の常識とは言い過ぎか。
松阪旧市からの堀坂山
松阪旧市からの堀坂山①②③④
ここに示すものは数少ないが、桂瀬からの写生は数多い。
① 図 171 堀阪山(桂瀬) 油彩 F10 1994/03/17
冬を引き継いだ景色である。画面下方は166号線と平行に走る新道である。
左の方向が松尾小学校であり、その前に鳥野菜スープで著名な前島食堂がある。
② 図 119 堀阪山(篠田山) 油彩 F3 (1992)
篠田山は墓所であるので、余り勧められた場所でない。桜の時節は美しい。
③ 図 8 堀坂山 油彩 F8 (1886未完)
④ 図 199
堀阪山(於桂瀬) 油彩 F4 1995/5月
小品ながら良く描けていると思う。五月の空気が表されていると思う。素人のスケッチならば、これで十分、記録されている。いやみが無いように思う。画面の下方は麦秋が近づいていることを示している。
高鉢山
(8月3日の文章訂正)
四日市は大都会であり有名である。これに対抗して七日市とは、なんと趣のある町名であることか。和歌山街道の主要な町である。環境の素晴らしい所である。残念ながら、私には、この村落の構成を解析する素養が無い。中世ヨーロッパの村落と、わが国のそれとの比較である。
此処に高鉢山が存在する。櫛田川の左岸に位置する。この絵は、櫛田川の右岸よりの写生である。山は山を離れることにより、全容が見える。
紋阪(木刻)先生の家が絵の正面、中央下部に見える。先生は、木を選び、加工し、漆の塗装をする。その大家である。小ぶりの栗を戴いたことがあるが、その味の素晴らしいことは忘れられない。冷凍された鮎も戴いたことがある。櫛田川が控えているから、当然のことであろう。
この絵は、自分で言うのもおかしいが、爽やかな描き方になっている。美しい環境が、私をして、そうさせたのではなかろうか。簡単な紹介でお許しください。(05/08/03)
高鉢山①
高鉢山①
紋阪(木刻)先生の家が正面にある。木を選び、加工し、漆の塗装をする。その大家である。小ぶりの栗を戴いたことがあるが、その味の素晴らしいことは忘れられない。冷凍された鮎も戴いたことがある。櫛田川が控えているから、当然のことであろう。
この絵は、自分で言うのもおかしいが、爽やかな描き方になっている。美しい環境が、私をして、そうさせたのではなかろうか。簡単な紹介でお許しください。(05/08/03)
図 211 高鉢山(七日市 標高788m)油彩 F6 1997/10/25
此処に高鉢山が存在する。櫛田川の左岸に位置する。この絵は櫛田川の右岸よりの写生である。山は山を離れることにより、全容が見える。
四日市に対して七日市とは、何と言う趣のある町名であることか。和歌山街道の主要な町である。 環境の素晴らしい所である。残念ながら、私には、この村落の構成を解析する素養が無い。中世ヨーロッパの村落と、わが国のそれとの比較についてである。




































