自分の子供を育て教育を意識している人間ならば、得手不得手のある子供の特性や希望を汲んで、才能を引き出し、長所を伸ばし、欠点を治すか補うことを考える。しかし、一番新しい教育課程での大学入試を見れば、政治家や企業の都合のいい人間像にちかい人間を選抜することしか考えていない様に思える。リスニングの点数配分や、長文の問題文を読んでテキパキと問題を解くことを求める様な問題なのに、思考力を問うという言い分だったり、基礎教養レベルの情報1の教科書なのに、明確に言語やOSや機械を指定することのない状況でのプログラミングの試験とか迷走しているとしか思えない。そもそも、今回の教育課程の改革の際には、英語については複数の受験機会で高い方の点数で受験できるようにしますと言い切ったのに、結果的には実現できなかった。しっかりと考えることもなく、誰かにおもねるためにやった改革にしか見えない。
 

 まず、産業界が求める人材という観点であれば、英語ができなくても、数学物理化学を得意としていて、ものづくりに取り組み、根気強く継続していける人材であることが望ましい。なんで、リスニングの能力を必須とするのか。そのため、尖った能力を持っていても、ふさわしい大学に進学できないことになる。英語で論文を書き、英語の論文を読むことに、リスニングなんて全く関係ない。そもそも論だが、通訳を仕事にしている人たちであっても、専門外の内容であれば長時間の同時通訳は困難であり、リスニングスキル自体の価値は英語圏で学習したり研究したりすることよりも、人脈を構築し多種多様な英語圏の人材と交流することにある。発信する情報に価値があれば、拙い発音であれ、洗練されていない単語の選択であれ、相手はちゃんと聞いてくれるしこちらがネイティブでなければ、それなりに配慮して話してくれるので、敢えて、入学試験の際に検定するほどのものとは思えない。帰国子女たちに有利になるだけである。
 

 さらに言えば、高度のリスニングスキルがあり有能な人間ならば、最初からアメリカの大学への進学を選択することだろう。日本にとって、日本で教育を受け、日本で働く、日本生まれの人間が、内容のある研究を発表し、高度な技術を身に着けて日本発での情報発信や製品の開発をすることが国益につながるのであって、あたら有能な人材がアメリカに流出することは国益を損なうことになる。
 

 さらに、研究費が足りないから大学の授業料を上げるという話が出ているが、そもそも日本は基礎研究よりも応用研究が盛んであったために、科学技術タダ乗りという批判を欧米から受けて、方針を転換したのではなかったか?基礎研究を含めて研究開発と学生の教育は同じ財布で考えることであろうか?学生の能力を引き出すことで、自分たちの研究に有用な人材を育てること、あるは見出すことは研究する上では有益なことだ。だからと言って、研究費の部分の人件費を無視できるだけであろうし、それ以上の負担を学生に求めるならば、学生の自発的な研究にを認めて、指導することをするのかといえば、絶対にしないと思う。ロケット開発や原子炉の開発、先端素材の開発や付随する材料の研究などについては、特許なりなんなりで、資金回収や資金集めができるので、国が投資する形でやればいい。他方、採算が難しいと思われる部門であれば、厳格な支出の管理を元にして税金での支援は当然必要なことである。研究開発のための国債発行ででてもいいではないか。
 

 夢を持ち夢のために努力できる子供たちに、できる限りの機会を与えることこそが、この国に活力を与えることになり、大きな成果を生み出す。他方やるきのない無気力な子供たちに、適性のある生き方を見つけてやり、自己肯定感を持てる人生を歩ませることも、社会に活気を生み出す。得手不得手あっても、得意な分野でやっていける社会をつくるための教育改革こそが必要であって、ステレオタイプの有能な人材を選抜するための教育改革は有害無益である。