岸田にしても石破にしても、世襲政治家であり尚且つ政治家としての志を総理大臣になるまで明らかにしたことはない。二人共、総理大臣になりたくて政治家になった奴とみなされてもしかたがない。岸田の場合には、バイデンの靴を舐めるようなLGBT法案などへの露骨な対応は、自民党を支持してきた保守の考えに喧嘩を売ることになった。それだけでなく、安倍晋三先生の暗殺のお膳立てをしたとみなされてもしかたがない対応をした。保守だけでなく、右派の国民からそっぽをむかれても当然である。しかも経済政策は中身のない有効性のないものであることを見抜かれてしまった。この時点で、自民党は安倍路線への揺り戻しをするべきで高市さんを総裁にするべきだった。女性総理にアメリカの民主党もケチをつける根拠を持たないし、女性大統領を生み出していないアメリカはLGBT法案を蹴散らしても文句は言えなかっただろう。ところが、何を勘違いしているのか、アメリカの言うなりになればいいと考えている愚か者たちが、小泉息子をいずれ総理大臣にしようと画策し、扱いやすそうな石破を選んだ。石破は総理大臣になっても評論家のような姿勢を崩さず、決断すべきときに決断できず、適切なタイミングで決断ができないために、トランプのメンツをたてることもできず、衆議院選挙の結果を受けてやるべき揮発油税の減税をやらなかった。国民の目には何もできないやらない決断できない、税金をとりたてるだけの奴とみなされることとなった。
 

 今回の参議院選挙の前の衆議院選挙の時にも、冷静に選挙結果を判断すれば国民の意見は右に傾いていることは見えていた。今回の参議院選挙の結果で、左翼は議席を増やしていない。財政規律引き締めることを忌避し批判するほどに国民は愚かではない。国益を考えた税金の使い方を政府に求めているに過ぎないのに、国立大学の授業料を値上げするやら外国人の留学生に経済的援助を与えるやら、普通に考えて日本人が日本で子育てをして子どもに教育を受けさせていこうと考えるうえではふざけるなと思わせる政策を打ち出し実行している。
 

 背景には投資家たちへの配慮があるのだろうが、投資家たちは金を出せても票を集めることはできないし、投票するときは1票である。そして、国益を考えるならば、高度の産業を支えるためにも理系の学部の大学生が増えること、高度な工業生産を行い管理できる現場労働者を養成する専門学校や工業高校などの充実の方が外国人留学生に金を出すよりも有益である。社会的な不安的性を抱えている欧米の教育を真似るのではなく、日本型の規律ある教育、できないことをできないままに見捨てる教育ではなく、叱咤激励してでもできないまま底辺の置き去りにされないような初等、中等教育の徹底こそが必要不可欠である。骨太や質実剛健とは、日本の伝統の中で残すべきものは残し、改善すべき問題点が発生したら対策を立てることであって、外国の猿真似をすることではない。岸田や石破の経済政策などは、どこかでみたような猿真似にしか見えなかったし、この二人の顔は詐欺師にしか見えなかった。
 

志なき政治家を総理総裁に選ぶような政党が、勝てるはずはない。

 選挙区での候補者が、もともと選挙区ではない地区の県議会議員であり、その経歴も経歴ロンダリングぎりぎりの見栄っ張りな経歴だったこと。また、選挙ポスターが若い時の写真を使っていたのだろうが、非常に頼りなさ気な姿であったので、投票する気にはならなかった。もう一人自民系の候補者が無所属で立候補していたが、そっちも市議会議員を腰掛け扱いにしての立候補であり、地元軽視も甚だしかったので、投票しなかった。
 

 比例代表で投票しなかった理由は、もともと、私はこの国の国益を考えてくれる政党として安倍晋三政権を支持し投票してきた人間である。岸田政権は、経済政策に関しては明らかに財政規律を無視した選挙目当てのバラマキ政策を取り、一方では技術立国を支えていくために必要な若い世代の高等教育のために必要な文部科学省関連の予算を抑圧的に放置していた。この国の将来を考えた政策決定ではなかった。総裁選をやらなくても、政治資金問題がなくても、私はアメリカの民主党に媚びを売ることしか考えていない岸田政権に投票するきはなかった。総裁選で決戦投票で高市さんが逆転負けした時点で、自民党の大半は状況認識がまともにできない事なかれ主義の議員が多いことが判明し、旗幟鮮明とは程遠い変節漢の石破を選択し、見た目と血筋だけの小泉息子を選挙対策の責任者に任命するなど、国民が愚かであると馬鹿にしている人間が多いとしかみなせなかった。そんな連中を比例代表で復活当選などさせるわけにもいかないし、そもそも現状の自民党はこの国の舵取りをするだけの危機管理能力のある人間が執行部にいないので、まだしも野田佳彦を総理にしたほうがましだという判断にもなろうというものだ。しかし、私は今回は参政党か国民民主党かを悩んだ。だが、略称で立憲民主党も国民民主党も民主党という書き方になっていたので、参政党に投票した。
 

 選挙結果を分析すれば、私と同じような考え方の方がそれなりにいたようで、参政党と保守党が議席を取っている。また、国民民主党も議席を伸ばした。これは想定内。令和が共産党の票を奪っていっているのは、共産党の選挙の仕方が若者に受け入れられない古臭いものになっていることが原因だろう。維新が伸び悩み国民民主党が伸びた理由は、維新に大阪近畿の色が強く出ていることと、外国勢力との繋がりに対して毅然と否定できなかったことに対する保守的な人間の不信が原因。国民民主党が是々非々で提案型の野党として頑張ってきていることに対する評価もあったろう。公明党の不振は自民党のあおりをくらった感じかもしれないが、今回は創価学会の方たちの動きが今までと比べて静かであったことも原因であったのではないだろうと考える。

 自分の子供を育て教育を意識している人間ならば、得手不得手のある子供の特性や希望を汲んで、才能を引き出し、長所を伸ばし、欠点を治すか補うことを考える。しかし、一番新しい教育課程での大学入試を見れば、政治家や企業の都合のいい人間像にちかい人間を選抜することしか考えていない様に思える。リスニングの点数配分や、長文の問題文を読んでテキパキと問題を解くことを求める様な問題なのに、思考力を問うという言い分だったり、基礎教養レベルの情報1の教科書なのに、明確に言語やOSや機械を指定することのない状況でのプログラミングの試験とか迷走しているとしか思えない。そもそも、今回の教育課程の改革の際には、英語については複数の受験機会で高い方の点数で受験できるようにしますと言い切ったのに、結果的には実現できなかった。しっかりと考えることもなく、誰かにおもねるためにやった改革にしか見えない。
 

 まず、産業界が求める人材という観点であれば、英語ができなくても、数学物理化学を得意としていて、ものづくりに取り組み、根気強く継続していける人材であることが望ましい。なんで、リスニングの能力を必須とするのか。そのため、尖った能力を持っていても、ふさわしい大学に進学できないことになる。英語で論文を書き、英語の論文を読むことに、リスニングなんて全く関係ない。そもそも論だが、通訳を仕事にしている人たちであっても、専門外の内容であれば長時間の同時通訳は困難であり、リスニングスキル自体の価値は英語圏で学習したり研究したりすることよりも、人脈を構築し多種多様な英語圏の人材と交流することにある。発信する情報に価値があれば、拙い発音であれ、洗練されていない単語の選択であれ、相手はちゃんと聞いてくれるしこちらがネイティブでなければ、それなりに配慮して話してくれるので、敢えて、入学試験の際に検定するほどのものとは思えない。帰国子女たちに有利になるだけである。
 

 さらに言えば、高度のリスニングスキルがあり有能な人間ならば、最初からアメリカの大学への進学を選択することだろう。日本にとって、日本で教育を受け、日本で働く、日本生まれの人間が、内容のある研究を発表し、高度な技術を身に着けて日本発での情報発信や製品の開発をすることが国益につながるのであって、あたら有能な人材がアメリカに流出することは国益を損なうことになる。
 

 さらに、研究費が足りないから大学の授業料を上げるという話が出ているが、そもそも日本は基礎研究よりも応用研究が盛んであったために、科学技術タダ乗りという批判を欧米から受けて、方針を転換したのではなかったか?基礎研究を含めて研究開発と学生の教育は同じ財布で考えることであろうか?学生の能力を引き出すことで、自分たちの研究に有用な人材を育てること、あるは見出すことは研究する上では有益なことだ。だからと言って、研究費の部分の人件費を無視できるだけであろうし、それ以上の負担を学生に求めるならば、学生の自発的な研究にを認めて、指導することをするのかといえば、絶対にしないと思う。ロケット開発や原子炉の開発、先端素材の開発や付随する材料の研究などについては、特許なりなんなりで、資金回収や資金集めができるので、国が投資する形でやればいい。他方、採算が難しいと思われる部門であれば、厳格な支出の管理を元にして税金での支援は当然必要なことである。研究開発のための国債発行ででてもいいではないか。
 

 夢を持ち夢のために努力できる子供たちに、できる限りの機会を与えることこそが、この国に活力を与えることになり、大きな成果を生み出す。他方やるきのない無気力な子供たちに、適性のある生き方を見つけてやり、自己肯定感を持てる人生を歩ませることも、社会に活気を生み出す。得手不得手あっても、得意な分野でやっていける社会をつくるための教育改革こそが必要であって、ステレオタイプの有能な人材を選抜するための教育改革は有害無益である。