お葬式は初七日の2015年1月4日。
新生児は小さいため
大人と同じように
高熱だと骨が残らない。
そのため、
朝一かつ受け入れてくれる斎場の
空きがちょうどこの日だったのでした。
一緒にいられるのは1週間。
NICUの、保育器の中しか
知らないむすめに
せめてお日様を見せてあげたくて
帰宅したその日、
ベランダから一緒に朝日を見ました。
抱っこをして初めて
”私はお母さんなんだ”と思いました。
そして、
むすめを前にして
以前に増して母乳が溢れるほど
出てきたのです。
母乳は赤ちゃんを見ると
さらに出がよくなるもの。
頭では「もういない」ことはわかってるのに
体はむすめが生きてるものとして反応する。
”どうして
私の体なのにわかってくれないんだろう。
もうむすめはいないのに”。
本当は抱っこも
たくさんしたかったのです。
けれども、
棺に敷き詰められた
ドライアイスとともに
むすめを入れておかねば
傷んでしまいます。
夫には
「我慢しよう」と言われました。
「うん」と言ったものの
それでも心は納得していなくて。
夜、夫が寝たのを見計らっては
こっそり抱っこして
吸わせてあげれなかった
乳房を口に当てて。
せめてものお母さんとしての
私が思いつくことをしたかったのです。
夫は気づいていたとは思います。
...
.....
葬儀の日、
むすめにあてて書いた手紙。
亡くなって翌日は花ちゃんに
どうして亡くなったの?って
責めてしまったね。
いっぱいいっぱい涙して
感情を吐き出して
花ちゃんがいないことに
不安になって...
でも人間って不思議なもので
つらくてどん底でも
お腹はすくしうんちも出る。
生きてるんだと思いました。
花ちゃん
ママは前を向いて
いけそうです。
愛してるよ
私をお母さんにしてくれて
ありがとう
女性である素晴らしさを
教えてくれて
ありがとう
そして何より
生まれてきてくれてありがとう
花ちゃんのことは忘れません
愛しているよ
大切な私の娘...
また手紙をかくかもしれません
その時はよろしくね
母より
あっけなく、
葬儀は終わりました。
夫は、私が取り乱すのではないかと
気にしていたそうです。
でも、私は
きちんとお別れをしたかったのです。
この目でしっかりと
見送ったあと、
ほっとした自分もいました。