機 番:105号機
新 製:昭和32年3月7日
製 造:日立製作所
製造番号:日立No.191691-2
新製配置:東京機関区
最終配置:長岡運転所
廃 車:昭和56年8月5日
(工事通達第494号による)
【廃車時の形態】
パンタグラフ:PS15
前照灯:原型(ハチマキ状ケース無し)
尾灯:原型内バメ式
正面窓:小窓+Hゴム支持
Hゴム色:黒色
正面ヒサシ:大型
デフロスタ:あり
正面飾り帯継ぎ目:タイプ|
列車電話:無し
電源車制御装置:無し
元空気ダメ引き通し管:あり
スノープラウ:固定式
ステップ:前端梁側面取り付けタイプ
汽笛カバー:大型
常磐線用列車無線:無し
側面ハシゴ:改造切り欠きタイプ
側面エアフィルター:原型縦縞タイプ
側面ナンバープレート:板状タイプ
暖房装置:EG
【改造履歴(抜粋)】
昭和37年10月24日~:甲修繕(施工は浜松工場で同年10月31日に出場)
前面に手すりと足台を取り付け。
昭和40年 3月13日~:臨時修繕(施工は大宮工場で同年3月17日に出場)
側面ハシゴの改造。
昭和40年 4月30日~:甲修繕(施工は大宮工場で同年5月12日に出場)
標識灯に赤円板を取り付け。
昭和43年12月24日 :出張臨時修繕(施工は大宮工場)
デフロスタの取り付け。
昭和45年10月15日~:中間検査B(施工は大宮工場で同年10月26日に出場)
前面窓をHゴム支持に改造。
ワイパーをWP35に取り替え。
昭和47年 1月13日 :臨時検修(施工は長野工場)
電気式速度計を取り付け。
昭和47年10月26日~:全般検査(施工は大宮工場で同年11月7日に出場)
避雷器をLA15に取り替え。
昭和48年11月 8日 :出張台車検査(施工は大宮工場)
固定式スノープラウを取り付け。
昭和49年11月21日~:要部検査(施工は大宮工場で同年12月16日に出場)
元空気ダメ引き通し管を取り付け。
昭和51年11月16日~:全般検査(施工は大宮工場で同年11月27日に出場)
ワイパーをWP50に取り替え。
【転配履歴】
昭和38年 4月28日:高崎第二機関区に貸し出し
昭和38年 5月 6日:東京機関区に返還
昭和38年11月17日:宮原機関区に貸し出し
昭和38年11月30日:東京機関区に返還
昭和41年 8月 1日:宇都宮運転所に貸し出し
昭和41年 8月22日:東京機関区に返還
昭和41年12月29日:宇都宮運転所に貸し出し
昭和42年 1月10日:東京機関区に返還
昭和42年12月29日:宇都宮運転所に貸し出し
昭和43年 1月 7日:東京機関区に返還
昭和43年10月18日:長岡運転所
昭和55年10月 1日:第一級休車に指定
104号機と同じ運命を辿った105号機は、SG1A型を搭載して落成しています。切り抜き文字の「日立」の銘板を採用した最後の車になりますが、基本的には東日本での活躍がメイン。繁忙期になると宇都宮への貸し出しが多くなり、宇都宮へ配置換えになるのかと思いきや、まさかの長岡。ここでスノープラウや汽笛カバーの取り付けなど、大がかりな寒冷地対策工事が実施されます。昭和49年に電気暖房へ改造され、また20系寝台特急「北陸」の牽引に対応するため、元空気ダメ引き通し管の取り付け工事も行われています。
昭和54年10月、長岡駅にて。
機関車の次位に郵便車を連結していることから、急行「天の川」ではないかと思われます。
隣のホームには「北陸」もいまして、深夜の長岡駅は大賑わいです。
(この画像は旧国鉄高崎第二機関区OBの方の特別なご厚意により掲載させていただいております)