機  番:99号機

新  製:昭和31年7月23日

製  造:川崎重工/川崎車輌

製造番号:川崎No.180

新製配置:浜松機関区

最終配置:竜華機関区

廃  車:昭和61年1月7日

 

 

【廃車時の形態】

パンタグラフ:PS15

前照灯:シールドビーム二灯

尾灯:改造外バメ式

正面窓:小窓+Hゴム支持

Hゴム色:白色

正面ヒサシ:小型

デフロスタ:無し

正面飾り帯継ぎ目:タイプ〈

列車電話:あり

電源車制御装置:無し

元空気ダメ引き通し管:あり

スノープラウ:無し

ステップ:スノープラウ台座取り付けタイプ

汽笛カバー:無し

常磐線用列車無線:無し

乗務員ドア:改造FRPタイプ

側面ハシゴ:改造切り欠きタイプ

側面エアフィルター:改造鎧戸タイプ

側面ナンバープレート:板状タイプ

暖房装置:SG

 

 

【改造履歴(抜粋)】

昭和32年 2月 1日~:丙修繕(施工は鷹取工場で同年2月9日に出場)

              特急用淡緑色に塗り替え。

              列車無線の取り付け。

昭和33年 7月 9日~:丙修繕(施工は鷹取工場で同年7月16日に出場)

              車警(A)の取り付け。

              列車無線を取り外し。

昭和34年 1月 6日~:甲修繕(施工は鷹取工場で同年1月14日に出場)

              補助排障器の取り付け。

昭和34年11月30日~:丙修繕(施工は鷹取工場で同年12月7日に出場)

              塩害対策工事。

昭和36年 7月13日~:甲修繕(施工は鷹取工場で同年7月21日に出場)

              側面ハシゴを切り欠き式に改造。

昭和41年12月16日~:修繕名目不明(施工は鷹取工場で同年12月23日に出場)

              前面に手すりとステップの取り付け。

昭和43年 5月 6日~:中間検査B(施工は鷹取工場で同年5月14日に出場)

              電気式速度計の取り付け。

昭和44年11月 5日~:全般検査(施工は鷹取工場で同年11月13日に出場)

              エアフィルターのビニロック化工事。

昭和47年10月 7日~:全般検査(施工は鷹取工場で同年10月23日に出場)

              避雷器をLA15に取り替え。

昭和51年 8月23日~:全般検査(施工は鷹取工場で同年12月17日に出場)

              前面窓のHゴム化。

              尾灯を外バメ式に改造。

              乗務員ドアのFRP化。

              ワイパーをWP50に取り替え。

 

 

【転配履歴】

昭和31年11月19日:宮原機関区

昭和48年 1月 8日:竜華機関区に貸し出し

昭和48年 5月17日:宮原機関区に返還

昭和51年 1月 8日:岡山機関区に貸し出し

昭和51年 3月 3日:宮原機関区に返還

昭和55年11月22日:竜華機関区

 

 

東海道本線全線電化用として製造された99号機は、94号機や95号機とともに一時期的に旧型のPS14を装着しての落成でした。新製配置こそ浜松機関区ですが、東海道本線が全線で電化が完成した11月に宮原機関区へ異動になり、特急牽引機に抜擢されて淡緑色(青大将)に塗り替えられます。

昭和51年に大がかりな改造工事が実施されますが、宮原配置機としては珍しい外バメ式テールライトとHゴム支持という面構えになります。シールドビーム二灯化は竜華転属後だと思われます。また、急行転用後の20系客車や12系客車を牽引する関係で元空気ダメ引き通し管の取り付けも実施されました。

 

 

昭和34年3月25日、東海道本線蒲郡付近にて。

機番が読みづらいですが、提供者様曰く99号機とのこと。

青大将時代の99号機で特急「平和」を牽引している絵面になりますが、「平和」というのは昭和33年に「さちかぜ」から改称された九州特急の一族で、昭和34年7月に20系客車化された「さくら」と改められました。

僅か9ヶ月しか運転されなかった「平和」の画像は珍しい部類に入ります。

 

 

昭和49年6月16日、東海道本線芦屋駅にて。

まだHゴム化されてなく、灯火類が原型という、 “宮原スタイル” を堅持していた頃の99号機です。

急行「屋久島」を牽引して芦屋駅を通過しようとしている絵面ですが、「屋久島」は大阪-西鹿児島間を走る列車で、明るい時間帯なので上り列車かと思いきや、これは大阪を出発したばかりの下り列車。まだ日が高いおやつ時に大阪を出発し、早朝に西鹿児島に到着するダイヤを組んでいました。郵便車や荷物車は連結せず、2号車がA寝台、3号車がグリーン車、1号車と4、5号車がB寝台で残りは座席車というフォーメーションです。

 

 

東海道本線真鶴-根府川間にて。

急行「銀河」を牽引して東上する99号機で、この画像では前面窓がHゴム化され、テールライトも外バメ式になっていることから、昭和51年に実施された車体整備後の姿になります。

原型を好むゴハチフリークからは煙たがられたこのスタイルですが、私は好きでした。

 

 

阪和線天王寺駅にて。

竜華に転属した晩年の99号機。

多分だと思いますが、紀勢本線の夜行普通列車ではないかと。

最初は「はやたま」かと思ったんですが、客車が12系であることから、寝台車の連結を廃止し、同時に列車名を削除した昭和59年2月以降の姿ではないかと予想します。発車案内器に表示がされていないことと、ヘッドライトが消されてることから新宮発天王寺行きの列車で、天王寺到着後、回送されるシーンと思われます。回送先は竜華じゃなくて、天王寺駅の地平ホームにある留置線じゃないかな? 今のように関西本線⇔阪和線の短絡線は無くて、高架線から地平線へのアプローチ線があってそれをスイッチバックして行き来する面倒臭いやり方をしていました。もしかしたら留置線で機回しして竜華に向かっていたのかもしれませんけどね。

 

 

これも晩年の姿で、これは竜華機関区でしょうか?

今回の提供画像は99号機の歴史を垣間見ることが出来て、資料的にもまあまあなのかなって思いました。

 

 

1枚目と4枚目:ウ様提供

2枚目:い様提供

3枚目:あ様提供

5枚目:ヲ様提供