数年前に記事として書き込んでいたはずだったこの画像、データとしてカウントしていなかったみたいで、辻褄が合わなくなっていました。そこで一回、記事を削除してあらためて書き込み、正式にカウントしたいと思います。読んでる人には「何が何だか・・・」なんでしょうけどね。

 

JR最後の “まともな103系” の運用線区だった山陽本線支線、通称和田岬線。103系の “卒業” 時には鉄道マニアならずとも、関西を中心に大きなニュースになったようですが、103系がバリバリ働いていた時代を知っている世代からしたら、103系のラストステージが和田岬線というのはちょっと違和感。ただ、逆に言えば、和田岬線も103系のポテンシャルを遺憾なく発揮した路線であるとは思います。始発しか乗ったことがないけど、ラッシュ時の和田岬線は凄まじいんでしょ。

 

でも、私にとって和田岬線といえばやはり、ディーゼル機関車が牽く客車列車の方がイメージ大です。そうだ、JR最後の旧型客車定期運用路線は和田岬線でしたよね。晩年はDE10が受け持っていましたが、国鉄時代はDD13が担当していました。私の記憶が確かならば、DD13は吹田第一機関区配置機ではなくて、姫路第一機関区配置機が受け持っていたんじゃなかったでしたっけ?

関西のDD13特有のアイテムであるデッキの保護柵が無いですね。

 

客車はオハ61系を改造したオハ64、オハフ64を使用していました。

このオハ64、オハフ64は和田岬線専用ということで、他線では見られないレアな客車。種車のオハ61系に据えられていたボックスシートを全部取っ払って一区画だけにロングシートを据えるという思い切ったレイアウト。まぁ、「兵庫-和田岬間を5分と乗っていないので、座席は必要ないでしょう。であるならば、座席を取っ払って乗客を乗せるだけ乗せよう」という発想なんでしょうね。

そして、兵庫駅も和田岬駅もホームは同じ方向なので、片側だけに外吊り式の乗降用扉があります。でも、1ヶ所だけなので、乗り降りは厳しそうですね。

 

兵庫駅も和田岬駅も機回し線が無いため、基本的には客車の両端に機関車を連結してプッシュプルで往復します。

日中は運行が無いのは昭和も平成も令和も一緒。

 

そういえば・・・

 

(平成25年2月撮影)

 

和田岬駅には和田岬線と思われる壁画が描かれていますけど、ディーゼル機関車に客車・・まさに画像の列車そのものですよね。これだけでも「和田岬線=客車」というイメージが根付いているのが解ります。いつ描かれたのかは知らんけど。

 

今の和田岬線は207系or321系でしったけ?

あんまり関心がないですね。

 

 

【画像提供】

い様