一部に例外はあるものの、新性能直流電気機関車は東海道・山陽本線とその支線でほぼほぼ全ての形式を見ることが出来ましたけど、交流電気機関車はその線に行かないと見られないことが多々あり、「ご当地機関車」の様相を呈していました。

具体例を挙げれば・・・

 

ED70 北陸本線

ED71 東北本線仙台以南

ED72 鹿児島本線、長崎本線

ED73 鹿児島本線、長崎本線

ED74 北陸本線、鹿児島本線、日豊本線

ED77 磐越西線

ED78 奥羽本線山形以南、仙山線

EF70 北陸本線、鹿児島本線

EF71 奥羽本線山形以南

・・・

 

ED75とED76は交流区間においては汎用性の高い機関車ですけど、ED75の300番代は鹿児島本線のみで(日豊本線も?)、同500番代は函館本線のみで、同700番代は奥羽本線山形以北と羽越本線のみで、ED76の500番代は函館本線でしか見られなかった「ご当地機関車」になります。これは周波数や軸重といった地域事情が関係しており、直流機とは大きな差があります。

 

 

画像はED78になります。

昭和43年から製造された機関車で、上述のように奥羽本線の山形以南で活躍しました。

ご存じの方もいると思いますが、奥羽本線の福島-米沢間は元々直流で電化されて、EF15やEF16、EF64が旅客列車や貨物列車、さらには特急列車の補機として立ちはだかる板谷峠に挑んでいたのですが、昭和43年に交流に改められ、電化区間を山形まで延長することになり、専用の機関車を用意することになりました。それがED78です。同時に板谷峠用のEF71も登場させています。

 

ED78登場に先駆けて、試作機関車としてED94が製造されます。

ED78登場以前の交流電気機関車は、主回路に抵抗器を持たないことから、発電ブレーキによる抑速運転が出来ず、抑速機構として交流回生ブレーキを採用することが検討されました。ED94はその交流回生ブレーキを搭載し、軸重可変機能付きの中間台車を備えて各種試験に臨みました。その量産形式がED78になります。

 

あくまで「個人の意見です」の範疇ですが、車体はルーバーと明かり取り窓を6つ配したED76の胴体にED75の顔をくっつけたようなスタイル。非動力の中間台車を履いているため、余計にそう感じます。

制御方式はED77で成果を上げたサイリスタ位相式、主電動機は直流機のEF65やED75にも搭載されているMT52型、動力台車はED75と同じDT129型、非動力の中間台車はTR103型、パンタグラフは菱形のPS101型が取り付けられています。

前述のようにED78最大のセックスアピールは電力回生ブレーキですが、停電や故障などによって使用不能になった場合、自動的に非常ブレーキが作動する仕組みになっています。その他、下り勾配で何かしらのトラブルで制御不能になった時はEF63が搭載している過速度検知装置や勾配区間内で長期停車を余儀なくされた場合に備えて、空気ブレーキをかけた状態でロックする転動防止装置と主電動機械路の短絡による非常ブレーキも備えています。

 

EF71と機器類の共通化が図られ、当然のことではありますがEF71との重連総括制御が可能です。また実現はしていないものの、ED77やED75 500番代との重連総括も可能な設計になっています。

 

ED78は昭和45年までに11両、昭和55年に2両が製造され、量産開始時にED94が改造されてED78 901となり、総勢14両体制となりました。

画像はまさに元ED94の901号機になります。

終生、奥羽本線山形以南と仙山線が働き場所で、イレギュラーで東北本線にも入線したことがあるそうです。

当初は福島-米沢間において、ED78が本務機、EF71を補機として使うつもりでいたようですが、仙山線の都合もあって、EF71がそのまま山形までスルー運転することが多くなりました。ただ、寝台特急「あけぼの」の牽引時はEF71単機で空転することが多くなり、遅延も頻発するようになったことから、原則福島-米沢間はEF71とED78の重連での運転になりました。ただ、それでも空転による遅延が常態化したため、粘着能力を高めた12、13号機を増備しますが、57.11改正後はEF71重連がメインになりました。

 

EF71もED78も廃車された車両以外はJR東日本に引き継がれ、平成2年から始まった奥羽本線の改軌工事に伴ってED78は事実上、仙山線専用となりました。平成4年の山形新幹線開業時には行き場を失ったEF71はそのまま廃車になりますが、ED78は引き続き仙山線での運用が続きました。仙山線は平成2年に軌道が強化されてED75の入線も可能になっていますが、仙山線は勾配区間を抱えるため、そのままED78の独断場となっていました。形式消滅は平成12年。

 

ED78 901は廃車後、何故か大阪の吹田機関区の扇形庫に保存されていましたが、扇形庫解体の際に一緒に解体されてしまいました。この吹田機関区の扇形庫にはED78 901の他にDD13 381、DD16 16、DD51 833と834、DE10 1108、ED77 2、EF30 21、EF61 201、EF7070が保管されていました。何かに活用するつもりだったんでしょうけど、全部解体されています。世が世であれば京都鉄博での保存も有り得たのに・・。

 

画像の901号機は民営化前の昭和61年に廃車になりましたが、ここは福島駅? 米沢駅? それとも山形駅?

仙台駅って感じじゃないのは確か。

でも、赤い機関車には茶色い客車がよく映えます。

 

 

【画像提供】

タ様

【参考文献・引用】

国鉄機関車 激動11年間の記録 (イカロス出版社 刊)

全国保存鉄道Ⅳ 西日本編 (JTBパブリッシング社 刊)

ウィキペディア(国鉄ED78形電気機関車、同ED72形電気機関車、同ED75形電気機関車、吹田機関区など)