高崎-下仁田間33.7km、1時間以上かけてのんびりと走る上信電鉄。沿線には吉井町(→高崎市)や富岡市といった群馬のベッドタウンがあり、世界遺産の富岡製糸場や群馬サファリパークなどの観光地を抱え、ネギで有名な下仁田は「孤独のグルメ」で取り上げられた街中華が今、行列店になっているらしく、様々な視点から上信電鉄は結構熱かったりします。

 

そんな上信電鉄ですが、阪堺鉄道(→南海電鉄)、伊予鉄道、川越鉄道(→西武鉄道)に次ぐ4番目に出来た鉄道で、法人として登記されている私鉄としては東日本では最古になります。設立時は上野(こうずけ)鉄道という社名でしたが、下仁田から山を越えて佐久鉄道(→JR小海線)の羽黒下駅まで延伸するつもりで、1921年に上信電気鉄道に社名を変更します。かつてはバス事業や電気事業にも参入していましたが、バスは系列会社の上信観光バスに経営を移譲し、電気事業は戦時中の1942年に関東配電(→東京電力)に統合されて経営から撤退しています。

 

上信電鉄といえば、今年100歳を迎える電気機関車デキ1が有名ですが、老朽化による故障が頻発し、一時はこのまま廃車になるのかと思われましたが、2021年に観光庁が推奨する「既存観光拠点の再生・高付加価値課推進事業(交通連携型)」を活用して資金を調達し、動態に向けて整備されることが決まりました。あれから3年経ちますが、整備状況はどうなんでしょうか?

さらに最近ではJR東日本から譲り受けた107系を700形として走らせていることも話題になりました。昨今、JR東海の211系を三岐鉄道に譲渡したことも話題になっていますが、今後、こういうケースは増えるかもしれませんね。

意外に知られていないことなんですが、パンタグラフの集電舟にカーボン製品を採用したのは上信電鉄が最初であることを付記しておきます。

 

今でこそ、JRや西武から中古の車両を譲り受けて走らせていますが、中小私鉄としては珍しく、自社発注車も多いことで知られています。最近といっても10年前になりますが、7000形が現存している自社発注車としては一番新しい車両になります。7000形、6000形、250形とどれも二度見する外観が特徴の上信電鉄の車両にあって、その先達となる車両が1976年に登場しました。それが1000形です。

 

 

当時の地方私鉄といえば、開業時からの車両を修理に修理を重ねながら後生大事に使っているというイメージがありましたが、上信電鉄の1000形はそんなイメージを払拭する斬新なボディデザインと外板塗色が人目を惹きます。特に車両側面の前方に描かれたストライプは1976年当時の鉄道車両には無かったのではないでしょうか?

 

1000形のアイデンティティである前面形状は1枚ガラスの窓、その上に行く先表示幕と種別幕、前照灯はシールドビームで尾灯が据えられる箇所には踏切事故対策でバンパーとスカートが取り付けられています。

側面は両開き3扉で戸袋窓は無し。大手私鉄ではちらほら見かけるようになった戸袋窓レスは、地方私鉄の車両では珍しい存在でした。窓は二段上昇式のユニット窓を採用しています。

 

車内はロングシートで、当時から乗車率が200%に迫る勢いだったことから、通勤重視の車両が開発されたわけですが、座席の色はベージュ、床は薄い青・・と暖色系でまとめられています。

冷房は取り付けられていませんが、その分、1両につき7台の扇風機と4台の排気扇を備えています。

 

その他、1000形は上信電鉄初というアイテムが数多く盛り込まれました。

具体的には・・

① 機器類を車両毎に分散して搭載するMM’ユニット方式。

② エアサス台車(FS395/FS095)。

③ ワンハンドルマスコン。

④ 電気指令式ブレーキ。

⑤ 警報装置にメロディホーン。

 

様々な部分で上信電鉄の、いや、地方私鉄の革命児的な存在で翌年には鉄道友の会からローレル賞を受賞しています。しかし、増備はされず、3両1編成のみのレアな車両になってしまいました

 

登場当初は3両編成で、2001年に2両編成に減車されています。

これはモータリゼーションの影響で3両編成では輸送力過剰になったためで、モハ1201にクハ1301の運転台を取り付けるという手法で、モハ1201はクモハ1201に改番されています。

運転台を取っ払われたクハ1301は、250形に似た運転台を新規製作しクハ1301に取り付けました。そして250形の増結制御車として活用しています。

この時、冷房改造も実施されました。

グローブ型ベンチレーターを撤去し、泉北高速鉄道100系の廃車発生品である集約分散型クーラー(三菱電機製CU-191P型)を搭載しました。

 

画像は3両編成時代のもので、隣の200形(二次車?)、国鉄の12系や旧型客車も懐かしいです。

 

現在は玩具メーカーのラッピングが施されていますが、近いうちにまたオリジナルの塗装に戻して欲しいですね。実現するとすれば2年後、登場50年に合わせて塗り直されるかなって期待しているんですが、その時は上信電鉄に乗って下仁田に行き、 “タンギョウ” を食いに行こうかなって考えています。

 

 

【画像提供】

タ様

【参考文献・引用】

鉄道ファンNo.186 (交友社 刊)

ウィキペディア(上信電鉄、上信電鉄上信線、上信電鉄1000形など)