国鉄が誇る最強の旅客用蒸気機関車C62。

意外にも戦後生まれで、昭和23年の1号機を皮切りに、同24年までに49両が製造されました。

活躍のメインは東海道・山陽本線ですが、東北本線や常磐線でもその姿が見られ、最後は呉線と函館本線が主舞台でした。呉線の「安芸」と函館本線の「ニセコ」はSLブーム終焉時における二大スターで、特に「ニセコ」は函館本線小樽-倶知安間、いわゆる「山線」での重連運用が最大の見せ場。リアルタイムでは見たこと無いけど、あの時現場にいたら、どういうリアクションをしたんでしょうね。

 

画像の48号機は当初、ラストナンバーだと思っていたのですが、前述のようにシロクニは49両が製造されたため、ラストナンバーではありませんでした。残念っ!(波田陽区風に)

昭和24年4月に汽車会社(東京? 大阪?)で製造されて、東京の尾久機関区に新製配置。ということは、働き場所は東北本線と常磐線になります。ただ、東北本線と常磐線での活躍は仙台以南で、仙台以北は軌道が弱かったことから軸重が重いシロクニは入線出来ませんでした。

その1年後には平機関区へ異動し、常磐線専属になるのですが、平といえば何と言っても昭和40年から牽引した寝台特急「ゆうづる」でしょう。山陽本線の電化でもう特急牽引は無いと思われただけに、「ゆうづる」の牽引は当時のSLファンを狂喜させました。ただ、狙えるのは上りだけでしかも夏至の頃だけという限定もの。というのもC62が牽引するのは平-仙台間のみで、下りは深夜帯、上りは4時前後の通過ということで、そのため夜明けが早い6~7、8月までが辛うじて撮れる期間になるから。その常磐線も昭和42年8月の全線電化完成でED75に置き換わってしまい、C62による特急列車の牽引は消滅しました。因みに、あの「ゆうづる」のヘッドマークはC62のためにデザインされたものだと言われています。数あるヘッドマークの中でも「名作」の域に達しており、レジェンドデザイナー黒岩氏懇親の力作でした。

 

常磐線での活躍が無くなった48号機は同年10月に広島の糸崎機関区へ異動し、ここが終の棲家になります。糸崎といえば、前述の「安芸」でしょうね。わざわざヘッドマークも用意して、有終の美を飾ります。廃車は昭和44年9月。

画像は糸崎機関区で撮ったものだそうで、そうなると、昭和42年10月以降の撮影と思われます。

 

そしてもう一つ、48号機が牽引した有名な列車があります。それは「999号」。コケるなかれ。

原作と映画版(最初期のやつね)は48号機、テレビアニメ版が50号機という設定になっていますが、50号機は存在しない機番です。子供心に「何でテレビと映画で(機番が)違うんだろ?」って疑問に思ったのは覚えています。あと、メーテルはほぼほぼ同じなのに、星野鉄郎はテレビアニメ版と映画版とで全然違うし(テレビアニメ版はずんぐりむっくり、映画版はスラッとした男前)。どっちかって言うと、テレビアニメ版の方が原作に近いのかな?

なぁ~んか、ごちゃ混ぜでよく判らない(解らない)のが「銀河鉄道999」。だから最初は観ていたテレビアニメ版も次第に観なくなりました。

 

 

【画像提供】

ウ様

【参考文献・引用】

鉄道ファンNo.400 (交友社 刊)

ウィキペディア(銀河鉄道999、999号)