ランボルギーニとともに1970年代に巻き起こったスーパーカーブームを牽引し、そのブームがきっかけで存在を知ることになるイタリアのフェラーリ。

メルセデスベンツやBMWもそうなんでしょうけど、やはり車好きなら一度は憧れるであろう、そのブランドとボディセンスとパフォーマンスは群を抜いています。ベンツやBMWは何とか(操縦的に)扱えそうだけど、フェラーリやランボルギーニはなかなかどうして手強いイメージがあります。

 

我々の世代にとってフェラーリと言えば、先ず「BB」とあだ名されるベルリネッタ・ボクサー。次いで308、328という大人が何とか頑張れば手に入りそうな “入門用フェラーリ” 、そして厳密には「フェラーリ」の名は冠さないものの、今となってはフェラーリの中に入っている「ディノ」辺りがパッと頭に浮かびます。そしてベルリネッタ・ボクサーの後継車として開発された「テスタロッサ」、セレブでも手に入りにくい稀少な高性能車の288GTOもまた、フェラーリの歴史を語る際に外せなかったりします。

 

時代は1980年代後半。

フェラーリのフラッグシップはやはり「テスタロッサ」になるのかなと思っていた1987年、突如として地球上に現れた「最強のフェラーリ」と勝手に思っているモデルがデビューしました。

 

 

F40です。

ポルシェ959とともに「バブルの象徴」として、世間の注目を集めたF40。

当時もそうですが、21世紀になった今でもこのモデルを買えること自体が奇跡のような気がします。

因みに、F40を最初に知った頃、私は「エフヨンマル」って言っていましたけど、今は「エフフォーティー」と呼ぶようになりました。皆さんはどうですか? 最初から「エフフォーティー」?

 

フェラーリフリークならお分かりかと思いますが、F40はフェラーリ社の創業40年を記念して製作されたモデルで、 “コメンタドーレ” こと、エンツォ・フェラーリが生涯最後に開発の指令を出したモデルとしても有名で、実際にマラネロで開かれた発表会にはエンツォ御大も姿を見せました。開発コードは「LM」。

私の記憶が確かならば、マラネロでの発表会では当時、フェラーリのF1チームに在籍していたゲルハルト・ベルガーも同席していたような・・・。あれっ!? ミケーレ・アルボレートだったっけ・・?

F50の発表時はニキ・ラウダがいたのは覚えています。

 

デザインはピニンファリーナが担当し、フェラーリ伝統のチューブラーフレームによるスペースフレームシャシーを採用していますが、当時開発されたばかりの複合素材や構造部接着剤を使用した半モノコック構造なのが特徴。そのため、ボディ外板やカウルは複合素材を用い、内装については全て内張りが無く素材剥き出しになっています。

シートはフルバケットで、リクライニング機能はありません。また、ステアリングとブレーキもアシスト機能が無く、そのため操舵性は極めて劣悪な設計になっています。それはこの車の開発理念である「そのままレースに出られる市販車」を前提としているため、余計なアシスト機能は一切排除しています(その後の量産車では車高調整機能付きショックアブソーバーが装着された)。

快適機能もありませんが、エアコンだけは装備されているらしいです。

 

エンジンはランチアのLC2に搭載したものをディチューンしており、ターボで武装しています。このターボチャージャーは日本の石川島播磨重工業(IHI)製で、表向きは国際自動車連盟(FIA)の規定に収まるようにしています。

トランスミッションは5速MTのみの設定ですが、フィアットの名誉会長であるアニェッリ氏が所有していた個体だけAT仕様になっています(アニェッリ氏は足が悪かったため)。

タイヤは標準がピレリのP-ZEROですが、ブリジストンのポテンザRE71が装着された個体もあるようです。

 

日本に上陸したのは1987年末。

当時の販売価格は4,650万円でしたが、折りしもバブル経済真っ只中。「フェラーリ40年記念モデル」という付加価値のお陰で、あっという間にプレミアがつき、最高額は2億円以上と言われています。当時の「狂ってる日本」の一例です。

日本に持ち込まれたのは「ストラダーレ」と呼ばれる市販車(?)が58台、「コンペティツィオーネ」と呼ばれるコレクター向けのモデルが1台とされていますが、おそらく画像の個体は市販車の「ストラダーレ」ではないかと想像します。

 

公称の最高速度は324km/hと言われていまして、それを実証したのかどうかは知らんけど、実際に常磐道で300km/h以上で走行するビデオが発売されましたよね。あの時運転していたのは日本におけるスーパーカーを取り巻く業界では知らない者はいない有名人だったんですけど、普通で考えれば一発免取りですよね。書類送検だけでお咎め無しという噂も聞きました。あの時辺りからか、私的に「スーパーカー乗りは狂っている」という認識を深めました。

元々、「レースへの参戦」が開発目標に盛り込まれていたことから、日本国内、国外関わらず、レースには参戦していたみたいですが、当時のF1同様、勝つ時は圧勝、負ける時はボロ負けだったみたいです。

 

1回だけ、青山だか表参道だか忘れましたけど、街道を走っている姿を見かけました。

今年の1月に画像と同じ個体を撮らされていただきましたが、今回が2回目の邂逅。前回と比べて比較的まともに撮れたので、こちらをうPさせていただきます。

 

F40以降、様々な「我こそ最強フェラーリなり」と声高に宣言するモデルが数多デリバリーされていますが、インパクトと運転時のパフォーマンス、そしてデリバリーされた当時の時代背景などを鑑みれば、F40こそ「史上最強のフェラーリ」と呼んでも良いのでは? と思うのは私だけでしょうか・・・?