ここは品川駅。

113系が入線しています。

ここまでだったら、特別珍しい光景でも何でもないわけですが、種別幕が「試運転」になっています。これ、実は東海道線は東海道線でも名古屋地区向けの新車で、東急車輌製造(→総合車両製作所横浜事業所)で落成したもの。東海道線の東京口で軽く試運転を実施した後、塒になる大垣電車区(名カキ)に送られるというワンシーンです。時に昭和53年3月11日のこと。

画像裏面に編成が記されていました。

 

↑東京

クハ111-2101

モハ113-2001

モハ112-2001

サロ110-1218

サロ110-1219

モハ113-2002

モハ112-2002

クハ111-2001

↓横浜

 

編成図からもお判りのように、この試運転編成は2000番代の第一陣だったんですね。

なお、同じ日に落成したサロ110は横須賀線向けの車両で試運転が終わった段階で編成を解いて、塒である大船電車区(南フナ)へ回送されます。もしかするとこの編成のまま、一旦、大船に入庫して、そこでサロを解いて6両編成で大垣へ自力回送したという説も考えられますね。

 

この時、東海道線名古屋口は80系がまだ活躍しておりまして、これを取り替えることになったわけですが、当然、113系を投入することになります。当初は東海道線東京口もしくは横須賀線に新車を投入して、炙れた車両を名古屋へ持って行くという案もあったようですが、そのまま名古屋へ配備されることになりました。2000番代とサロ110が同時製造されたのはそういった理由(東海道線東京口と横須賀線に投入する計画)が多分に含まれてるのではないかと思ったりします。

その頃の国鉄近郊形電車は115系1000番代に端を発するシートピッチを拡げた仕様が標準とすることになっており、113系の増備車もご多分に漏れずこの仕様を踏襲することになります。それで登場したのが2000番代です。

 

113系2000番代はシートピッチが拡がっただけでなく、足回りも少しだけ変わり、また、近郊形車両における便所設置の見直し方針に則って偶数向き(2000番代)のクハのみに便所が設置されての落成になりました。その辺は115系1000番代や同2000番代に範を取っています。後に113系は “見直しの見直し” で奇数向きクハにも便所が設置されることになりましたけどね。

 

2000番代は名古屋地区を皮切りに、京阪神地区に投入箇所が拡がりまして、首都圏にお目見えしたのは昭和55年ですが、名古屋地区の場合は関ヶ原や米原といった東海道線でも屈指の積雪地帯が(運用範囲)あるので、115系1000番代を投入しても良さそうものなのにってずっと思っていました。湖西線なんかもそうですよね。抑速ブレーキ云々の理由なんだろうけど、わざわざ113系700番代を製造するくらいだったら、115系300番代を投入すれば良かったんじゃないかってね。

 

 

【画像提供】

ケ様

【参考文献・引用】

鉄道ピクトリアルNo.952 (電気車研究会社 刊)

キャンブックス「113系物語」 (JTBパブリッシング社 刊)