東武鉄道が誇る伝説の特急用車両「DRC」。

「スペーシア」も「スペーシアX」も良いんでしょうけど(「スペーシアX」は未だに現物すら見ていない)、やっぱりDRCには独特のオーラがあります。

弊愚ブログでは過去に何度かDRCを取り上げたことがありますが、意外にもDRCは「ブルーリボン賞」を獲得していないんですよね。「スペーシア」も「スペーシアX」もブルーリボン賞を獲っているのに、デザインも秀逸で、あれだけのホスピタリティを持っていながら、DRCはブルーリボン賞を獲れませんでした。

DRCが登場したのは1960年ですから、獲得の対象になるのは翌年(1961年)になりますが、その時のブルーリボン賞獲得車両は国鉄のキハ81系気動車でした。どう考えてもDRCの方が獲得に値する車両なのに、何故気動車に負けたのか?

 

これは私の想像ですけど、DRCがブルーリボン賞を獲れなかったのは、日光への輸送競争を巡って、国鉄は東武にコテンパンにやられて、その報復で国鉄が圧力をかけたのではと、21世紀になった今でも思っています。

長年にわたって繰り広げられてきた東武と国鉄の日光を巡る競争。最初から複線電化だった東武日光線に対して、単線非電化だった国鉄日光線。電車対気動車では話にならず、国鉄は劣勢状態にあったのは確かです。それでも当時としては破格のポテンシャルだったキハ55を投入し、後に電化して「特別準急用」157系を投入するんですが、東武はその翌年にDRCを登場させてとどめを刺し、事実上、国鉄は日光への輸送関連事業から撤退しました。その腹いせに国鉄はキハ81にブルーリボン賞を獲らせようと、鉄道友の会に圧力をかけたのだと。

ハッキリ言って公職選挙法じゃないんだから、得票なんてどうにでも操作出来ます。

 

国鉄に限らず、ブルーリボン賞とローレル賞を巡っての鉄道会社と鉄道友の会の忖度は前々から噂になっていましたが、それが一番顕著だったのが近鉄と小田急。今はどうか知らんけど・・・

 

1958年と1960年の小田急3000形(SE車)と近鉄10100系(ビスタⅡ世)

1963年と1964年の近鉄20100系(あおぞら)と小田急3100形(NSE)

1988年と1989年の小田急1000形(HiSE)と近鉄21000系(アーバンライナー)

 

・・と、「今年はウチが獲ったから、来年はおたくで」と言わんばかりに、納期をずらすなどして、絶対に登場時期をバッティングさせなかったんですよね。

単純な趣味の団体が、気がついたら巨大な権力を持つ組織に変貌した鉄道友の会。国鉄/JRと私鉄の現職やOBも何らかの形で関わっているから、ブルーリボン賞とローレル賞はどうやっても出来レースになるし。レコード大賞とAKB48の総選挙と同じレベルです。

 

話が脱線し過ぎちゃいましたね。鉄道友の会の “闇” を暴く記事じゃありません。

東武DRCの素晴らしさを説こうと書き込んでいるのに、ブルーリボン賞の話から徐々にズレていきました。

スペーシアには何度か乗りましたけど、さすがにその時は “大人” になっていたので、至極普通に乗りました。でも、DRCはあくまでも「個人の感想です」の範疇になるけど、敷居が高かったイメージがあります。林間学校以外に日光や鬼怒川へ行く用事は無かったし、向こうに親戚縁者がいたわけでもなかったので、DRCに乗る機会はなかったけど、一度はね、乗ってみたかったなというのはあります。

 

今は何か、存在だけでオーラを感じる車両って無いですよね。

 

 

【画像提供】

ウ様