昭和57年の東北・上越新幹線の開業は並行する在来線の輸送分布図を根本から塗り変え、一般の利用者や新幹線が走る沿線は「新幹線様々」的に手厚い歓迎を受けるんですが、 “鉄” 的には慣れ親しんだ列車や車両が消えていくという寂しさだけが強烈に覚えています。

 

6月の東北新幹線開業は暫定開業だったこともあって、東北方面の特急や急行は本数は減らされるものの、辛うじて残りましたが、11月の上越新幹線開業時は有無を言わさず大鉈が振られ、新幹線の愛称に引き継がれる「とき」は勿論のこと、「はつかり」や「ひばり」といった東北方面の長距離列車は上野駅から姿を消しました。ただ、この段階ではまだ新幹線は上野駅まで開業していなかったため、乗り換えを嫌う乗客への便宜措置として「つばさ」の1往復、「いなほ」の青森便1往復が残存しました。「いなほ」は新潟発着の特急に移行してたため、青森直行便は「鳥海」と列車名を改めます。また、「佐渡」や「まつしま」といった急行列車も残りました。

そして、東北・上越新幹線が上野まで開業した昭和60年3月の改正は在来線→新幹線という輸送シフト移行の集大成と言える改正で、特急「鳥海」と急行「佐渡」「よねやま」「まつしま」が廃止、新幹線の影響を受けない信越本線や常磐線系統の優等列車は本数は増えるものの、急行から特急への格上げが集中的に行われ、「ときわ」「つくばね」「信州」といった列車もこの改正で姿を消します。

 

一方、「なすの」「草津」「ゆけむり」といった北関東への近距離急行もこの改正で廃止の憂き目に遭いますが、ベッドタウン化していた北関東への通勤客輸送や草津や四万といった温泉地への輸送など、何気に需要があったことから、増収の意味合いも兼ねて特急に格上げして残存させることにしました。前振りが長くなりましたが、今回はそんなお話しです。

 

 

念のために言っときますが、今、話題になっている185系の復刻塗装車じゃないですよ。

昭和60年3月の改正で新たに設定されたのが「新特急」というジャンル。

この改正ではそれまで上野-大宮間の新幹線利用者輸送列車だった「新幹線リレー号」の廃止で行き場を失った185系200番代にスポットを当て、一部が「踊り子」用に転用された以外は、上州方面の新特急に充てられることになりました。

元々、185系200番代の新製理由は老朽化していた165系の置き換えと、将来の上越新幹線開業時に新幹線をフォローする近距離輸送の特急を設定する計画に伴うものが含まれていましたので、それが具現化した格好になりますが、57.11改正で一足先に「谷川」「あかぎ」、そして「白根」が185系化されていました。

 

「新特急」とは、急行と特急の間を埋める中途半端感丸出しの列車種別で、立ち位置こそ “特急” を名乗るけど、設定は急行そのものという訳の解らない列車でした。会社組織に置き換えれば、急行が係長、特急が部長だとしたら、新特急は課長あるいは部長代理といったところでしょうか。

主な特徴は・・・

 

① 使用車両は185系であること。

② 特急券を購入すれば、定期券でも利用が可能。

③ 基本的に自由席主体の編成。

④ 50km以内の自由席特急券は急行料金と同等。

etc・・

 

185系を使用するということは、「踊り子」も対象になるはずなんですけど、「踊り子」は最後まで新特急にはなりませんでした。

「なすの」は長らく、東北方面の近距離急行として確固たる地位を得ていましたが、60.3改正で特急に格上げ。でも、新特急なので、昇格感はほぼほぼゼロ。

運転区間は急行時代と同じ、上野-宇都宮・黒磯間。黒磯行きの特急としては、那須高原への避暑客輸送で運転されていた「くろいそ」以来、14年ぶりに復活したことになります。

列車番号を見ると「5013M」と読めますので、「新特急なすの13号」ですね。

 

 

こちらは昭和60年5月現在の「新特急なすの13号」の時刻表になります。

上野を夕暮れに発車し、1時間半ちょっとで終点に到着という、通勤特急の役割を果たしていたと思われます。

主要駅にしか停まらないのは、そこは「特急でござい」を見せつけていますけど、例えば1往復だけ上野乗り入れが残存していた「つばさ」や孤高の会津特急「あいづ」なんかは赤羽も浦和も久喜も小山も停まりませんので、そこは特急と新特急の差、部長と課長の差なのかなって思ったりします。

 

結局、その後は185系が増備されることはなく、新特急は東北本線黒磯以南と高崎・上越線系統のみで終わってしまい、平成14年に新特急は特急に吸収される形で設定が廃止されました。また、JR東日本ではこの時に新特急の設定廃止の他にエル特急の設定も止めました。長らく昭和の鼻たれ小僧の “アイドル” だったエル特急は存在そのものが薄れていき、最後まで設定が残っていたJR東海も平成30年にその設定を止めています。

 

特急の凋落はこの新特急の設定から始まったと私は思っていますが、快速並みの停車駅で「特急でござい」と胡座を掻いている現在の特急と比べれば、まだ新特急の方が特急らしかったのかな・・・?

 

 

【画像提供】

ヤ様

【参考文献・引用】

国鉄監修・交通公社の時刻表 1985年5月号 (日本交通公社 刊)

日本鉄道旅行歴史地図帳第3号「関東」 (新潮社 刊)

エル特急大図鑑 (山と渓谷社 刊)

鉄道ピクトリアルNo.838 (電気車研究会社 刊)

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