高度経済成長期、日本のサラリーマンは早朝から深夜まで兎に角、働き詰めでした。故に「モーレツ社員」と言われたりしますが、そういう人達の頑張りがあって、当時の日本経済は成り立っていました。でも、頑張っても頑張っても跳ね返り、つまり報酬的には頑張った分だけ貰えたわけではなく、豊かな暮らしには程遠かったりします。それでも昭和20年代の終戦後しばらくの暮らしよりかはマシになり、奥ゆかしい日本人はそれでも「豊か」と言っていました。

そして鉄道界にも「モーレツ社員」がいました。

 

 

581/583系(以下、583系と一括りします)です。

この車両は昼夜の区別無く、兎に角休まない。昼行特急で長距離走らされたと思ったら、夜は夜で寝台電車になって暗闇の鉄路をひた走る。そんな毎日でした。利用客の増加で車両が増えて車両基地の容量が限界に達しようとして、抜本的にならない抜本的改善策として、「それなら夜も列車を走らせて車両基地の容量に少し余裕を持たせよう」という訳の解らない論理で登場したのが581系でした。世間的には「世界初の昼夜兼用電車」という触れ込みでしたが、裏を返せば「世界最狂の働かされ電車」ということになります。そんな電車、諸外国には存在しません。

 

583系を使用する列車は、一部のイレギュラーを除いて、昼夜でペアとなるバディ(Buddy)的な相棒がいました。

最初期の「月光」には「みどり」が、「明星」には「有明」が、「彗星」には「にちりん」、「はくつる/ゆうづる」には「はつかり/みちのく」というように、昼夜兼行という583系最大のメリットを発揮した車両運用を組んでいました。そして画像の「しらさぎ」は「金星」とコンビを組んでいました。

 

583系の「しらさぎ」は昭和47年3月から53年10月まで見られました。

485系のイメージが強いだけに、583系の「しらさぎ」はレア以外の何者でもないわけですが、運転開始当初の「金星」の相棒は名古屋を発着としていた「つばめ」でした。山陽新幹線岡山開業の47.3改正を機に、「つばめ」は新幹線に接続する岡山発着に改められ、それに代わる形で「しらさぎ」の1往復を583系に置き換えて「金星」とコンビを組ませました。

 

当時のダイヤは、前日の18時47分に博多を出発した「金星」は、翌日6時10分に名古屋に到着します。そして乗客を降ろした後、一旦、車両基地に回送されますが、大垣電車区ではなくて中央本線の神領電車区でした。大垣よりも神領の方が近いんでしょう(因みに、名古屋-大垣間44km、名古屋-神領間20.8km。その差は歴然)。

で、神領電車区で夜行仕様から昼行仕様へ姿を変え、名古屋を10時15分に発車する「下りしらさぎ2号」として富山へ向かいます。富山着は14時10分。

富山での滞在は約1時間で、15時15分に発車する「上りしらさぎ5号」で名古屋へ向かいます。名古屋着は19時16分。

再び神領へ回送して、昼行仕様→夜行仕様にして名古屋を22時50分に発車する下り「金星」で博多に向かいます。博多着は翌朝10時11分。

そうそう、485系「しらさぎ」は食堂車が営業していましたが、583系「しらさぎ」の食堂車は非営業でした。それも「金星」との兼ね合いなのかもしれません(50.3改正までは営業してたみたい)。

 

50.3改正を機に塒が向日町運転所に変わった583系ですが、南福岡時代ならそのまま「金星」でってことになりますが、向日町移管後は検査や何やらで向日町に戻らねばなりません。ですから、もしかすると博多に着いた「金星」の次の仕業は「明星」かもしれませんね。そうやって考えると、「金星」→「しらさぎ」→「しらさぎ」→「金星」→「明星」→「明星」→「有明」→「有明」→「明星」・・・っていうダイヤだったのかもしれません。いやはや、恐ろしい。

その他にも「なは」や「彗星」もありましたので、583系はいつ、寝てたんだろうって。

もし一つだけ、光明があるとしたら、関西対九州は東北に比べて温暖ですので、東北ほど冬季における雪害は多くなかったと思います。だから、過酷さで言ったら、東北の方が凄まじかったようにも思えます。

 

昭和53年10月の改正で、583系の「しらさぎ」は485系に置き換わり、「金星」とは別れることになりますが、「しらさぎ」に代わって「雷鳥」が新たに583系を使用するようになりました。相棒は「明星」? 「彗星」? 「なは」?

53.10改正で583系から485系に置き換わったことで、イラスト入りのヘッドマークは採用されませんでしたが、宣伝も兼ねていたのか、本格採用される前から485系や583系の一部車両にイラスト入りのヘッドマークが早期に取り替えられるケースがあり、その関係で実は583系にもイラスト入りヘッドマークが用意されていて、実際の営業列車でもちゃんと掲出して運転されました。弊愚ブログでも取り上げたことがあるので、いずれ「アーカイブス」でお届け出来ればと思っています。

 

「しらさぎ」「雷鳥」「ひばり」「にちりん」・・と、485系が目立つ特急で583系を使用した列車はレアな一方で、リクライニングしないボックスシートだから、乗り心地は485系に比べると、やはり劣るのは否めません。だから早々に485系に置き換わるケースが相次ぎ、寝台にしたらしたで、寝返りが打てない三段ベッドですから、国鉄時代の583系は鳴り物入りで登場したけど、評判は必ずしも良くなかったのが定説です。JR化後に再評価されてつい最近まで波動用で残っていたのは皮肉っちゃあ、皮肉なんですけどね。

 

 

【画像提供】

ウ様

【参考文献・引用】

国鉄監修・交通公社の時刻表 1974年1月号、1978年8月号

(いずれも日本交通公社 刊)

日本鉄道旅行歴史地図帳第7号「東海」 (新潮社 刊)