2024年夏から冬にかけて阪急京都線に新型車両2300系が、神宝線(神戸線と宝塚線)に2000系がそれぞれデビューするということが阪急電鉄のプレスリリースで発表されています。既存の車両を置き換える目的では無さそうなんですが、2300系には阪急が満を持して導入する有料着席サービス「PRiVACE(プライベース)」が連結されることも大きな話題になっています。

 

そんな新型車両の2000系と2300系ですが、過去にも同じ数字を持つ車両がいました。昨今の私鉄では割り当ての数字が無くなったからか、廃形式になって空いていた数字を用いて “生まれ変わる” 体にしているケースを散見します。京王の5000系や小田急の5000系、東急の7000系もコンセプトは違えど、一部では「初代」と「二代目」と呼んでいる例もあるようです。あっ、JRにもいたな。JR東海の気動車でキハ25というのがいますが、キハ25にも 「初代」がいましたね。

 

その阪急の初代2300系(2000系、2100系含む)は、阪急近代化の急先鋒という立ち位置で、その後の阪急車両の方向性を大きく変えた記念樹的車両です。

 

 

阪急初の高性能車は1000系グループ(1010系、1100系、1300系)ですが、この1000系グループの思想を受け継ぎ、車体のデザイン一新と軽量化、新技術の導入、それに伴うコストの軽減を図ったのが2000系グループです。神戸線用に2000系が、宝塚線用に2100系が、そして京都線用に2300系が登場したのが1960年のこと。画像はデビュー間もない頃の2300系とのことです。

 

阪急は基幹となる3路線は出自が異なる、いわば「異母兄弟」のようなもの。宝塚線が箕面有馬電気鉄道、神戸線が阪神急行電鉄、そして京都線が新京阪鉄道であるのは阪急フリークなら「知らない」とは言わせない史実ですが、それぞれに建築限界や車両限界が違うため、それぞれに合った車両を拵えなければなりません。今は神戸線と宝塚線は同じ規格で製造されていますが、京都線は神宝線とは規格が違いますので、相も変わらず別途、用意して対処しています。一部例外がありますが、基幹は神戸線用の車両で、宝塚線用は神戸線用の車両形式にプラス100を、京都線用はプラス300で識別しています。2000系グループにそれを組み入れれば、神戸線用が2000系で、宝塚線用が2100系、そして京都線用が2300系となります。

 

2000系グループ最大のセックスアピールは、走り装置。

主電動機は複巻電動機で、永久直列で4台搭載しています。その4台分の分巻コイルに直列に接続された界磁抵抗器の抵抗値を界磁調整器で制御します。

界磁調整器はサーボモーターで駆動し、マスターコントロールから出される指示(指令速度など)、実速度、主回路電流などの情報はトランジスタや磁気増幅器で構成されたプラグイン形の増幅器に入力され、その増幅器で演算処理されてカムモーターやサーボモーターを制御します。

定速度運転機能は当初、45、65、80、90、100、105km/hの6段階に指令が可能になるように計画されましたが、低速域(45km/h)だと界磁の磁気飽和が懸念されたため、50km/hに計画変更されています。

ブレーキ装置は電磁直通ブレーキで、回生ブレーキを併用しています。元々は回生ブレーキを優先して、M車の回生ブレーキをフルに効かせた上で不足分をT車の空気ブレーキで補うシステムでしたが、後々、各車それぞれがブレーキ力を負担する一般的な方式に改められています。

2300系は2000系、2100系と違って最初から1500Vで製造されていますが、梅田-十三間では600Vの宝塚線を走ることも想定して、電圧転換器も装備していました。

M車にパンタグラフを2基装備したのは、複巻電動機による回生ブレーキを装備していた関係で、2基装備して母線で結び、離線を防ぐためです。

 

素人には何が何だかさっぱりチンプンカンプンなんですけど、この機能は当時最先端で、「オートカー」、あるいは「人工頭脳車」とも呼ばれました。

 

車体は2000系、2100系と同じ、直線スタイルの簡素なデザインになっていますが、6000系(2200系)登場までの新しい “阪急顔” を確立しました。

そして側窓が一段下降を採用したユニット窓を初めて採用したことが洗練されたデザインを助長することになります。窓枠はアルミ製で、これがマルーン1色と上手く噛み合っており、以降、半世紀に渡って受け継がれることになります。側面には電照式の列車種別表示灯と車外放送装置が取り付けられています。

 

優れたデザインと未来を意識したであろう、新機軸を盛り込んだことが評価されて、鉄道友の会の第1回ローレル賞受賞車両になりました。

 

通常、阪急車両のシリアルナンバーは “0” スタートなんですけど、2300系は “1” からの付番になっており、トップナンバーは “2300” ではなくて、 “2301” になります。因みに、2000系と2100系は “0” スタートで、トップナンバーはそれぞれ “2000” 、 “2100” です。

どうも、京都線用の車両は “0” スタートではなくて、 “1” スタートっぽいですね。2800系、3300系・・・いや、5300系と6300系、8300系、そして9300系辺りは “0” スタートだな。やっぱり “0” スタートが基本なんですかねぇ~?この辺は識者の見解を待つしかないかな。

 

2300系は、Mc+Tcの2両固定で製造が開始され、運転時にはこれを2つ組み合わせた4両編成を基本としていました。

1962年製造の3次車から中間電動車(2330形)が新たにラインナップされて3両編成が登場し、1963年の京都線大宮-河原町延伸と千里山線の延伸に伴って、5両編成(3+2)と2両固定を増備しました。当時、2300系は特急運用にも就きましたが、サービス合戦を展開していたライバルの京阪や国鉄と比べると、些か見劣りする部分があったため、2300系の特急用バージョン(2扉転換クロスシート)とも言える2800系を新造し、2300系は特急運用から外れることになります。

1966年には中間車ユニットを増備し、この時初めて中間付随車(2380形)が登場しています。

 

2300系は1967年までに78両が製造されて、京都線における一大勢力を築くことになりますが、1969年に大阪市営地下鉄(→大阪メトロ)堺筋線が開業して阪急千里線と相互直通運転が開始されると、専用の車両として3300系が新造されます。そうすると、京都線の車両が飽和状態になり、神戸線の輸送力増強の助っ人として神戸線に転属した車両がありました。既に神戸線は1500Vに昇圧されておりましたので、神戸線への乗り入れは特に問題が無く、1969年の日本万国博覧会開催時には「EXPO直通」として神戸線⇔京都線・千里線の運転も実現しました。

神宝線の車両増備が完了すると、今度は京都線の輸送力増強で1971年までに京都線に呼び戻されています。

 

1978年には冷房装置が取り付けられた他、2000系グループのアイデンティティでもあった制御機器の経年劣化が目立つようになり、部品の確保が難しくなったのを受けて、7300系と同じ界磁チョッパ制御に換装されたりしました。

1986年から1989年にかけて、前面に種別表示器と行く先表示器が設置され、これに伴って尾灯と標識灯(種別灯)が窓下に移されまして、いわゆる「6000系顔」に近い前面形状となりました。

その他、台車の換装や保安装置の更新などが随時行われ、オリジナルを堅持する車両は少なくなりました。

この頃になると、京都線での運用も少なくなり、嵐山線にも進出するようになりますが、後進の9300系の増備が進むと、初期ロット車を中心に置き換えが始まります。画像の2301Fは2005年に運用を離脱し、嵐山線に6300系が入線すると、追われるように嵐山線用の車両も働き場所が無くなります。そして2300系の置き換え用という位置付けで1300系が登場すると、2015年3月に2300系は “卒業” していきました。

 

2000系と2100系は能勢電鉄に転籍しましたが、車格の違いから、2300系が能勢電に移籍することは無く、2016年に廃形式になっています。

なお、2301-2352は今もなお、正雀工場に動態で保存されており、イベント時に顔を出すことがあるそうです。

以前、伊丹線や甲陽線で最後まで方向板を用いた車両、最後の “2000系顔” を持つ車両が消えるというニュースを聞いたので、関西外遊時にそれを狙って塚口駅で待ち伏せしていましたが、既に方向板を用いた車両は “卒業済み” であることが判り、ちょっと愕然としました。ただ、 “2000系顔” については、能勢電でまだ活躍していることを知り、乗りに行きました。

 

今夏から運用を開始する “シン2300系” も期待したいですし、前評判はなかなかな「PRiVACE」にも是非、乗ってみたいですね。

 

 

【画像提供】

ウ様

【参考文献・引用】

キャンブックス「阪急電車」 (JTBパブリッシング社 刊)

ウィキペディア(阪急電鉄2300系電車)