山手線とともに、首都圏における103系優先投入線区であった京浜東北線。

必要に迫られてとにかく造られまくった103系ですが、一部の例外を除いて発注目的が山手線と京浜東北線以外の線区でも、メーカーから納入された新製車両はまず山手線と京浜東北線に投入して、炙れた車両を他線区に持って行くというフローが連綿と受け継がれました。顕著な例が冷房車。最初期こそ山手線と中央線快速に投入され、大阪環状線にも冷房車が投入されましたけど、昭和50年代初頭に新製された冷房付き103系の投入先は8割以上が山手線と京浜東北線でした。そして炙れた非冷房の103系を他線区に異動させました。中には冷房改造して送り込んだものもありましたけど、請け負った工場が追いつかず、やむなく非冷房のままというのが定説です。

 

そんな感じで冷房車が大量に投入された山手線と京浜東北線ですが、皮肉なことに、全車両が冷房付きで組成されているのはそんなにありませんでした。

昭和60年4月現在で見てみると、山手線で10両編成全てが冷房車というのは51編成中15編成(約30%)、京浜東北線に至っては82編成中僅か4編成(約5%)のみで、残りは多かれ少なかれ冷房+非冷房の混結ということになります。両線とも大多数のフォーメーションが両端の6両が冷房車で中間の4両が非冷房というパターンで、次いで多いのが中間2両だけが非冷房でサハを含めた両端8両が冷房車というパターン。凄いのになると、10両編成中9両が冷房車で、1両だけ非冷房というのもありました。京浜東北線の場合はこの当時、クモハ入りの6+4という編成がありましたので、冷房+非冷房の混結の割合がさらに高くなるわけですが、これも皮肉なことに全車冷房車の編成の中に、そのクモハ入りの編成が含まれています。

 

高校通学時は京浜東北線を使っていましたが、それこそ昭和60年くらいまでは6+4の編成が多数いまして、その中で冷房クモハ入りの編成を見ると興奮しました。二度と先頭に立つことはないと思っていましたが、京葉線開業でクモハが必要になり、翌年には京浜東北線からクモハがいなくなりました。

 

画像は昭和54年に撮られたということで、運行番号に “C” が付されていることから、浦和電車区(北ウラ)配置の車両であることが判ります。

下十条や蒲田が狭隘な場所に設置されたことから分割しないと収容出来ないので、クモハ103が製造されたというのは有名な史実ですが、浦和は比較的広大な土地を確保出来たので、10両貫通編成でも余裕を持って収容出来ます。浦和に10両貫通が多いのもそのためです。

山手線でも存在しましたが、京浜東北線にもクハだけ冷房車で残りの9両は非冷房という編成があったようです。キチンと編成番号があるので、冷房改造の過程で予備車両をかき集めた編成ではないことが判りますが、非冷房のモハ102にはMGは付いていないので、夏季に冷房を作動させることが出来たのかどうか・・・? クハが非冷房で中間車が冷房車の場合はクハに冷房作動用のスイッチだけ付ければ動かすことは出来ましたが、クハの冷房はお飾りだったのかな?

 

 

【画像提供】

ヤ様

【参考文献・引用】

復刻・増補国鉄電車編成表1985年版 (交通新聞社 刊)

鉄道ファンNo.541 (交友社 刊)