5月2日(木曜日) 晴れ

 

昨日とは打って変わって、見事な五月晴れでした。そして明日からゴールデンウィークの後半戦。別に休まなくても良いんだけど、せっかく「休め」って言っているんだから、休みましょう。

 

昨日の記事をうPして間もなく、「そういえば、5月1日は大事なネタがあったじゃないか」と書き込むべき記事のネタのことをすっかり忘れていました。

 

 

1994年5月1日、F1グランプリの第3戦、サンマリノGPで起こった悲劇から30年が経ちました。

 

この年のサンマリノGPは予選1日目から荒れました。

まず、ジョーダンのルーベンス・バリチェロが大クラッシュ、そしてその翌日にはシムテックのローランド・ラッツェンバーガーによる死亡事故が発生し、GP開催そのものが危ぶまれました。しかし、決勝は予定通り行われますが、スタート時に多重クラッシュが発生してフェラーリとロータスのメカニックが負傷するアクシデントが発生。この場で赤旗中断すべきところを、セーフティーカーでマシンを誘導させてレースは続行扱いとなります。そして、セーフティーカーが除けてレース再開になった矢先、サンマリノGP最大の悲劇が発生します。トップで走っていたウィリアムズのアイルトン・セナにベネトンのミハエル・シューマッハーが追撃、コントロールラインを通過し、高速コーナーで知られるタンブレロ差し掛かったその時です。セナの乗るウィリアムズFW16がコントロールを失ってそのままコンクリートウォールに激突、医師による懸命な治療も効果無く、アイルトン・セナは絶命します。

 

セナの事故死に関しては様々な報道(憶測含む)が飛び交いましたが、1994年のシーズンは前年に比べてレギュレーションが大きく変化し、とりわけマシンに関してはアクティブサスペンションやトラクションコントロールといったハイテク機能は一切禁止となり、早い段階から次年シーズンに向けた開発を進めていたチームは波に乗れましたが、そうでないチームは藻掻くことになります。マクラーレンのようにエンジンで失敗するケースもありましたが、ウィリアムズFW16はハイテク機能を削がれた、いわば両翼を捥がれた鳥の如く、極めて神経質なマシンになってしまいました。それでもセナは自身の “腕” で開幕戦のブラジル、第2戦のパシフィックGP(岡山・TIサーキット)、そしてサンマリノと3戦連続でポールポジションを獲得しますが、セナの心は晴れませんでした。そのサンマリノで同郷のバリチェロが大クラッシュし、さらに死亡事故まで起これば、平常心でいろというのがどだい、無理な話です。

 

ただでさえ、1994年シーズンは前述のレギュレーション変更でチームの士気は下降気味になってて、サンマリノ以降は付け刃的なレギュレーションの小変更を繰り返し、マシンもサーキット場もその場その場で変更せざるを得ませんでした。

 

今のF1は全く観ていないので、どのチームが、どのドライバーが強いのかは全然判りませんけど、「F1が面白かったのは1993年まで」という説や論が正しいという人は少なくないと思います。