今回の今昔対比は自宅から程近い場所を選びました。

まずは “Then” から。

 

 

都電が写っています。昭和41年撮影とのことです。

画像左側に電停が記された支柱が見えますが、「えっ!? 江戸川区に都電が走っていたの?」と驚かれるかもしれません。

この辺は大化けしました。

 

 

そしておよそ60年後。

電停の位置とカーブしている線路配置からこの辺だろうと判断しました。

今も昔もここは江戸川区小松川3丁目になります。画像奥が荒川です。

この辺は戦後復興した際に町工場が多く建ち並びましたが、再開発の煽りで町工場は立ち退き、 “Now” のような巨大な団地が建ちました。追われた町工場の受け皿として区が設営した「テクノタウン」という集合施設に一部が移りましたが、昔日の面影は何処にもありません。

 

都電25系統は江戸川区内唯一の都電になります。

厳密に言うと、1952年まで荒川の対岸、現在の西小松川町・小松川橋の袂から今井街道を南下して今井(都営新宿線一之江駅の近く)まで結んでいた26系統という路線がありましたが、置き換わったトロリーバスのイメージが強く、ほぼほぼ忘れ去られた系統になります。26系統、トロリーバス101系統のDNAは都バスの亀26系統と上26系統が受け継いでいます。

25系統の起点は西荒川といい、戦前までは荒川に鉄橋を架けて25、26双方を直通させる計画もありましたが戦争で断念しました。

ここから亀戸9丁目まで専用軌道が敷かれており、旧中川は独立した鉄橋で渡っていました。廃止後は自動車も通れる「逆小橋」として、架け替えられてはいますが現存しています。亀戸9丁目からは京葉道路との併用軌道となり、水神森(現在の亀戸クロック)からは砂町を北上してきた29、38系統と合流、38は錦糸堀(錦糸町駅前)までですが、25と29はそのまま京葉道路を西進します。29の終点は須田町ですが、25はそのまま西進して小川町で左折、現在の本郷通りや日比谷通りを南下して日比谷公園までを結んでいました。小松川四丁目(停)と西荒川(停)までの一部は首都高速7号線の用地に転用されています。

 

 

【「Then」の画像提供】

コ様