埼玉県の熊谷市と妻沼町を結んでいた東武熊谷線。

弊愚ブログでは度々、東武熊谷線及び同線の主力ディーゼルカーを取り上げてきたので、歴史と路線と車両についてはここでは割愛しますが、画像に関してはいずれも1983年のラストラン時の模様を撮影したのをお届けしていました。今回は熊谷線の “日常” を取り上げます。広い関東平野をトコトコと走る姿は今になって思えば絵になる光景のような気がします。

沿線に日光や鬼怒川レベルの観光資源があればもう少し延命できたかもしれない東武熊谷線。でも、実際の沿線は恐るべき何もない。予定通り、小泉まで延ばしたとしても、小泉に何がある?

 

以前にもお話ししたことがありますが、平成令和の考え、21世紀の考えを踏襲するならば、鬼怒川線や日光線(下今市-東武日光)に転じて観光列車として転用出来たかもしれませんよね。「SL大樹」との二枚看板も夢じゃない。また、女子鉄にもウケるかもしれないし、東武を離れて小湊鐵道やいすみ鉄道での再就職も有り得たかもしれません。

 

でも、よくよく考えたら、今からでも遅くはないんですよね。

THE ALFEEのメンバー同様、今年古稀を迎える熊谷線のキハ2000。1両だけ妻沼町に保存されているというのは、知ってる人は知っていますが、屋外だけど屋内展示のようにしっかりと囲いがしてある中での保存なので、外観はそれほど草臥れてはいません。廃止から41年が経っていますので、エンジンは完全に死んでいるでしょうが、そこを直せるのが日本の “匠” 。やってやれないことはありません。日光線でも鬼怒川線でも小湊鐵道でもいいから、「カメ」の走る姿を見たいと思っている人は少なくないと思います。

 

 

【画像提供】

デ様

【参考文献・引用】

ウィキペディア(東武熊谷線)