雪深い室蘭本線沼ノ端駅。そこにC57牽引の旅客列車が滑り込みます。時に昭和46年1月。

番号をよく見ると「135」と読めますので、現在でも大宮の鉄道博物館に保存展示されているC57 135号機の現役時代の姿ということになります。

 

戦後、急速に幹線の電化が進むと、貨物用のEF15と旅客用のEF58(新)といった電気機関車が台頭し、モハ80系の成功で電車での長距離輸送が可能になり、一方、非電化区間では液体変速機と信頼性の高い標準エンジンの開発によってディーゼルエンジンを動力とした車両が堰を切ったように量産されるようになると、それまで鉄道の主役だった蒸気機関車の立場は微妙に危ういものになっています。そして昭和33年3月に「無煙化計画」とも呼ばれる「動力近代化構想」が立ち上がると、15年を目処に蒸気機関車の全廃を本格的に着手することになります。最初はあまり感じられないものでしたが、昭和40年を過ぎると、誰の目にも蒸気機関車が数を減らしていることが明らかになっていきます。既に東海道本線では旅客貨物問わず、蒸気機関車牽引による列車は消え(支線から乗り入れてくる列車は別)、山陽本線も昭和39年に全線電化が完成しているので、呉線からの乗り入れを除いて蒸機牽引の列車は電気機関車に置き換わっています。

 

終戦後間もない昭和20年には6,000両に近い蒸気機関車がいましたが、たった10年で5,000両を割り、昭和44年になると2,000両を割るまでに減っていきました。それも基本的には支線での運用が殆どで、この段階で幹線で蒸気機関車が見られたのは函館本線、室蘭本線、宗谷本線、石北本線、中央本線(中央西線)、関西本線、山陰本線、日豊本線・・辺りでしたが、昭和46年までにC62やC59といった幹線用大型旅客機の運用は終えています。そして鉄道開業100年を迎えた昭和47年にはついに1,000両を割り、運用も限られたものになっていきます。この数は廃車前提の休車扱いも含まれていますので、実際に本線上で走れる機関車の数はもっと少ないと思われます。

 

こうした中、消えゆく蒸気機関車を追いかける輩が彼方此方から出没し、駅や沿線だけでなく、機関区を始めとした現業機関まで押しかけてその姿形を写真に収めたり、走行音を録音したり、形式プレートを拓本したりするようになります。そして鉄道愛好者だけでなく、鉄道に関してそんなに詳しくない人も巻き込みまして一大ムーヴメントを巻き起こす事になりますが、これが世に言う「SLブーム」です。

 

残存数が1,000両を割った昭和47年度、線路上で見られた蒸機は8620、9600、C11、C55、C56、C57、C58、D51・・といったポピュラーなものばかりでしたが、どの機関車も使い勝手が良く扱いやすいという点から、最後まで残したものと思われます。

 

動力近代化計画の最終年である昭和50年になると、国内で蒸機が見られたのは九州と北海道だけになってしまいましたが、3月には九州での運用を終え、北海道が最後のステージになり、この段階で残っていたのは広尾線、宗谷本線、名寄本線、石北本線、室蘭本線、そして夕張線でしたが、同年末になると、室蘭本線と夕張線だけになってしまっています。

 

同じ時期、NHKが消えゆく蒸気機関車を取り上げた特番を放映しましたが、番組担当ディレクターのたっての希望ということで、その番組の “主役” に起用されたのがC57 135号機でした。C57 135はそれまで特別な列車を牽引したというわけではなく、どこにでもいるような「普通の機関車」でしたが、この番組が全国放送されたのがきっかけで、C57 135の運命を大きく変える事になります。

同年12月14日、室蘭発岩見沢行きの225列車が国鉄最後の蒸気機関車牽引による旅客列車となり、本来の運用はD51が牽引する事になっていましたが、特例措置でC57 135が牽引する事になりました。

 

225列車は行く先々で鉄道ファンや沿線住民から手厚い祝福を受け、終着の岩見沢駅には1時間半近く遅延で到着しました。
225列車を牽引し終えた135号機は程なくして用途廃止の憂き目に遭いますが、解体を免れて東京へ運ばれた後、当時神田にあった交通博物館に収蔵される事になります。交通博物館閉館後は大宮の鉄道博物館に収蔵先が変わりましたが、C57 135のために転車台を敢えて設置し、通常はここで来場者を迎え入れています。時には汽笛吹聴のサービスも行われています。廃車時の状態が頗る良く、JR東日本で蒸気機関車を復活させるに当たってこのC57 135号機も候補に挙がったそうです。

 

JR九州の8620が昨今、老朽化を理由に運用から外れましたが、あらためて言うのもなんなんですけど、蒸気機関車は後期高齢機関車です。いくら「ボイラーを直しました」とか、「台枠を修繕しました」と言っても、未来永劫使えるわけではありません。そこんところを、鉄道ファンやSLを運行する鉄道会社は考えるべきですね。

 

 

【画像提供】

ウ様

【参考文献・引用】

鉄道ファンNo.438、483 (いずれも交友社 刊)

ウィキペディア(国鉄C57形蒸気機関車)