1両からでも運転が可能な気動車。他形式との混血も可能で、カオスな編成もあるけど、そこがまた魅力だったりします。

急行用のキハ58系は基幹形式が片運転台のため、1両での運転は不可能ですが、2両から14両までフレキシブルに対応できるのが最大のセックスアピール。2~3両で「あたいは急行でござい」と我が物顔で走る列車もありましたが、10両以上になると、さすがに「おおっ!」と唸ります。

 

ところで画像ですが、撮影地は東北本線の南福島-金谷川間で昭和53年に撮ったものだそうです。同じアングルで「ひばり」の画像も提供していただきましたが、「ひばり」はイラスト入りのヘッドマークだったので、双方、10月改正以降に撮ったものと判断します。

南福島-金谷川間といえば、東北本線でも屈指の撮影地ですが、架線の下を走るディーゼル急行といえばその数も知れています。調べてみたらいくつか該当がありました。上野-山形間の「ざおう」、上野-新潟間の「いいで」、そして上野-酒田間の「出羽」、そして上野-秋田間の「おが」。

「「いいで」は新潟行きなのに何でキハを使うの?」と疑念に思うかもしれません。上越線回りなら電車で事足りますし、それに「佐渡」という絶対的な存在がいます。この「いいで」は郡山まで東北本線を走り、郡山から先は磐越西線を経由します。磐越西線といえば喜多方から先は非電化区間なので、必然的に気動車を用いることになります。この「いいで」にくっついて走るのが「ざおう(下り1号、上り4号)」。そのため、この1往復だけキハが用いられます。

「出羽」は奥羽本線の新庄から陸羽西線を経由して酒田へ行きますので、これも気動車が必須。解らないのが「おが」。

当時「おが」は2往復設定されていまして、昼行運転の秋田発着便が気動車で定期列車、男鹿まで足を延ばす夜行便が客車(季節臨)でしたが、定期便は全線架線の下を走るのに何故気動車だったんですかねぇ~?

 

12両編成の堂々とした列車ですが、一つ疑問が。

列車が最後まで判りませんでした。

当初、「いいで・ざおう」だと思いました。でもね、12両で運転されるのは上野-郡山間で、郡山で「いいで」と「ざおう」は分割されてそれぞれの目的地に向かいますから、郡山以北も12両というのはあり得ません。よって、「いいで・ざおう」説は限りなく薄くなります。

となると、「出羽」かなとも思うのですが、夜行の「出羽」は下りも上りもこの辺を通過するのは深夜帯ですので、明るくなってからの走行は考えられません。もっとも、何かしらのトラブルで「出羽」に大幅な遅れが生じたらそれも無くはないんですが、因みに上り「出羽」の福島駅発車が0時25分ですので、夏至の頃の朝に撮影したとしても相当な遅れですよね。しかし、実際の撮影は10月以降と思われるので、当然、日の出は遅くなるから、「出羽」説は却下。

「おが」説については、上りの「おが4号」が福島駅を出発するのが17時16分。夏なら可能性はゼロではありませんが、「出羽」同様、10月以降なら夕暮れも早まるでしょうし、しかも9両編成。よって、「おが」説も薄いです。

 

もう一つ、有力視されるのが仙台・福島-新潟・平(現、いわき)間を結んだ「いわき・あがの」説。

仙台を「あがの」単独で出発して、福島で「いわき」を併結、郡山で切り離して「いわき」は磐越東線経由で平らへ、「あがの」は磐越西線経由で新潟へ結ぶ列車なんですが、「いわき」と「あがの」は10両編成なんですよ。もしかすると、これに郡山工場への入場回送関連で2両を増結したとも考えれば、何となく辻褄は合います

 

まぁ、あとは時刻表に載っていない団体臨時列車か、多客時に運転される臨時急行か、そういう説も捨てられません。

「いいで・ざおう」か、「出羽」か、「おが」か、はたまた「いわき・あがの」か・・考えるだけで夜も眠れませんが、今の時代にはない長編成の優等列車。まさに「醍醐味」です。

 

 

【画像提供】

ウ様

【参考文献・引用】

国鉄監修・交通公社の時刻表 1978年8月号、1979年12月号 (日本交通公社 刊)