機  番:93号機

新  製:昭和31年7月9日

製  造:東芝

製造番号:No.302300-3

新製配置:東京機関区

最終配置:新鶴見機関区

廃  車:昭和60年7月26日

 

 

【廃車時の形態】

パンタグラフ:PS14

前照灯:原型(ハチマキ状ケース無し)

尾灯:原型内バメ式

正面窓:小窓+Hゴム支持

Hゴム色:黒色

正面ヒサシ:小型

デフロスタ:無し

正面飾り帯継ぎ目:タイプ〈

列車電話:無し

電源車制御装置:無し

元空気ダメ引き通し管:無し

スノープラウ:無し

ステップ:スノープラウ台座取り付けタイプ

汽笛カバー:無し

常磐線用列車無線:無し

乗務員ドア:原型

側面ハシゴ:改造切り欠きタイプ

側面エアフィルター:改造鎧戸タイプ

側面ナンバープレート:板状タイプ

暖房装置:SG

 

 

【改造履歴(抜粋)】

昭和34年 2月20日:塩害対策工事

            (施工は鷹取工場で入場名目と出場日は不詳)

昭和35年 3月 2日:車警(A)の取り付け

            (施工は鷹取工場で入場名目と出場日は不詳)

昭和48年 2月 9日:避雷器をLA15に交換

            (施工は鷹取工場で入場名目と出場日は不詳)

昭和55年 7月23日:正面窓のHゴム化

            運転席側ワイパーをWP50に交換

            (施工は大宮工場で入場名目と出場日は不詳)

 

【転配履歴】

昭和31年 8月19日:宮原機関区

昭和54年 7月 4日:浜松機関区

昭和59年 2月 1日:東京機関区

昭和60年 3月14日:新鶴見機関区

 

 

東海道本線全線電化用の名目で製造された93号機は、新製配置こそ東京機関区ですが、すぐに宮原機関区へ転配されます。

兄弟機の92号機がPS15を載せて落成したのに対し、93号機はPS14を載せての落成になり、廃車までそれは変わることはありませんでした。

昭和54年、慣れ親しんだ宮原を離れて浜松に異動し、59.2改正では大多数のゴハチが下関に集められたのに対して、93号機は160号機とともに古巣の東京機関区へ異動して、同改正後も生き延びるラッキーな機関車になりました。

 

昭和60年3月の改正で東京機関区が廃止になり、書類上の転配として新鶴見機関区に移りますが、同年7月に廃車されます。

普通ならここで解体の憂き目に遭うのですが、当時、国鉄の現業機関では増収対策の一環で様々なイベントが行われており、その中でも特に人気が高かったのが機関車の体験運転。大宮工場でもこの体験運転を実施することになり、選ばれたのが93号機でした。その際、外板塗色を標準の青15号+クリーム1号から「青大将」と呼ばれる淡緑+黄色に塗り替えられまして、さらにHゴムも外されました(現役時代の93号機は「青大将」色に塗り替えられた記録はない)。

 

民営化後は体験運転のイベントは終わりますが、その後も93号機は生き続け、大宮工場でイベントが行われる際は大体顔を出して、時にはパンタグラフを上げる姿も見せました。平成23年には鉄道博物館での展示も実施し、「このまま鉄博で保存か」と思わせましたが、平成28年11月に解体されてしまいました。

 

 

宮原時代の93号機。

Hゴム化されていないので、昭和54年以前の撮影と思われます。

東海道本線内での撮影だと思うんですが、撮影場所は不詳です。

既に東海道・山陽本線では客車による旅客列車は設定されてないので、団体臨時列車だと思われます。

 

 

昭和52年4月23日、東海道本線岸辺-千里丘間にて。

14系座席車に荷物車1両という編成は、大阪対九州の夜行急行ですね。

「阿蘇」か「くにさき」か「雲仙」か「西海」かは知らんけど、運転時は「阿蘇」と「くにさき」、そして「雲仙」と「西海」がペアでした。ただ、53.10改正以前は「阿蘇」と「くにさき」は単独運転で、「雲仙」と「西海」が併結運転を実施していました。また、「くにさき」に荷物車は連結されていなかったみたいなので、これは「阿蘇」が向日町運転所に回送されるシーンじゃないかと思われます(「雲仙・西海」の新大阪到着はもうちょっと遅い)。

 

 

これは何か、名古屋駅っぽい。京都とか大阪とかという感じではないですよね。

であるならば、浜松機関区転配後ではないかと思われますが、転配した翌年にHゴム化が実施されていますので、原型窓晩年の姿ということになります。

SGの蒸気をブッ放しているということは冬場なので、昭和54年12月~昭和55年3月くらいまでに撮影したものだと予想します。

 

 

Hゴム化された後の93号機。

これも撮影地は不明ですが、東海道本線三島-函南間の風景と被ります。

 

 

東海道本線品川駅にて。

今、リニア中央新幹線の工事で大化けしつつある品川駅ですが、国鉄時代の品川駅といえば、東京機関区、品川客車区、田町電車区、そして品川機関区と、国鉄の車両基地が犇めき合う一大操車場があり、品川駅寄りにある品川客車区の高輪群線は長旅で汚れた車体を洗ってもらうブルートレイン客車が間近で見られるということで、当時の鼻たれ小僧には人気が高かったスポットでした。

その中に割って入るEF58は日常的な光景でしたが、以前にもお話ししたように、EF58はコアなマニアには支持されていましたが、お子ちゃまには不人気でした。

 

 

区名札が「東」になっていますので、東京機関区転配後になります。

この頃のEF58は定期列車の運用が激減し、団体列車の牽引が主な仕事になりますが、ちょくちょく見かけたのは行く先不明の「ミステリー列車」。画像の列車もそれに該当しますが、調べたら、「ミステリー320」というのは、3月20日に運転されたようです。

撮影地は品川駅のようですが、東京地方は雪だったんですね。

 

 

その「ミステリー320」が目的地に到着した模様。

最初、御殿場線かなと思ったんですが、これも調べたら、どうも伊東線らしいです。

広い構内から、伊東駅であるとは思うんですが、伊東駅って熱海を背にして右に曲がってなかったかな?

 

 

東海道本線根府川-真鶴間にて。

今は撮影不可能となってしまった、東海道本線東京口屈指の名撮影地である白糸川橋梁。

東京南鉄道管理局のスロ81系和式客車を牽引していますが、東京時代か浜松時代かは不明です。

 

 

東京機関区時代最大の “華” は何と言っても特急「踊り子」の牽引でしょう。

185系電車を使用して颯爽とデビューを果たした「踊り子」ですが、あまりの人気ぶりに「踊り子」の切符が取れない状況が続きまして、その救済として設定されたのが客車による「踊り子」。

東海道本線の昼行客車特急といえば、「つばめ」「はと」を連想しますが、昭和35年5月限りで電車に置き換わっており、それ以来になります。

久々の昼行客車特急、そして少しずつ数を減らしている関係で、じわじわと人気が出始めたEF58が牽引するということで、客車の「踊り子」が設定される時は、沿線に撮り鉄が集まりました。

 

 

客車「踊り子」とともに “華” だった運用が欧風客車「サロンエクスプレス東京」の牽引。

昭和58年8月に鮮烈なデビューを果たした「サロンエクスプレス東京」ですが、その後、全国各地に出没する「ジョイフルトレイン」の嚆矢です。私はあまり好きじゃなかったけど、一度は乗ってみたかった気がします。

撮影地は大井町かな?

 

 

 

平成28年5月8日撮影。

JR東日本大宮総合車両センターで保管されていた93号機は、普段は東北新幹線高架下、通称「裏大宮工場」で眠っていました。

撮影の半年後に解体されました。

他にもEF80 36、EF60 510、EF15 196、クモハ300-4などがこの高架下にいましたが、全て解体されているみたいです。EF60 510なんかは綺麗に塗り替えられたので、本格的にレストアして本線復帰かと期待が高まっただけに残念でなりません。

 

【画像提供】

2枚目:ウ様

4枚目:オ様

5枚目:ヤ様

それ以外:タ様