昭和国鉄における紀勢本線の “二大スター” といえば、エル特急「くろしお」とブルートレイン「紀伊」。

「くろしお」は昭和53年10月の改正から381系で電車化と同時に、一気に3往復増発されてエル特急への “昇格” する基準を満たしたことから、晴れてスター列車の仲間入りを果たしました。改正前もキハ81系を使用する最後の列車ということで、その分野ではスターでしたけど、キハ81は当時の鼻たれ小僧の琴線には触れず、コアなマニア(よく言えば “玄人好み” )にしか支持されない車両でした。それだけ電車特急と気動車特急との人気差は歴然としていたということになります。

 

一方、「紀伊」も東京駅発着のブルートレインで、本来だったらスポットライトを浴びても良さそうなものなのに、「さくら」や「富士」などの人気には到底及びません。

その理由はいくつかあります。

 

① 東京駅発着の寝台特急で唯一、EF58が牽引していた。

② 東京-名古屋間は「いなば(→出雲)」との併結運転だったため、

  ヘッドマークが付かない列車だった。

③ 14系客車を使っていたけど、A寝台は「いなば」にだけ連結され、

  食堂車は非営業だった。

etc・・

 

今となっては贅沢な話ですが、EF58はキハ81同様、コアなマニアは追っかけていましたけど、59.2以降の大ブレイク時とは比較にならない不人気機関車であったのは確か。鼻たれ小僧がレンズを向けていたのはヘッドマークを付けたEF65牽引の列車でしたしね。それに撮影可能な時間帯に運行していないのも(東海道線東京口基準で深夜出発、早朝到着)、人気が今ひとつだった一因ではなかったかと思います。唯一、「紀伊」の周辺がザワついたのは、時折、非電化区間を牽引するDF50やDD51にヘッドマークが取り付けられた時ぐらいかな。

 

そんな「くろしお」と「紀伊」がひとときの休憩を取っているシーンですが、ここは新宮駅の構内。現在の線路配線に変更が無ければ、画像奥に新宮駅があります。撮影時期はおそらくではありますが、「紀伊」のテールマークが文字のみで、「くろしお」のヘッドマークがイラスト入りなので、昭和53年10月からブルートレインのテールマークがイラスト化される昭和54年7月までの間と思われます。

「くろしお」は新宮発着がメインですが、「紀伊」は紀伊勝浦までの運転。であるなら紀伊勝浦で休めば良いのに何故、新宮へ?

この解答は単純明快で、紀伊勝浦駅に車両を留めとく施設とスペースが無いから。だから、「紀伊」は紀伊勝浦で乗客を降ろした後、留置先である新宮まで回送することになります。乗客を降ろしている間に機関車を機回しして、新宮への回送に備えるわけですが、ここが数少ない撮影のチャンスかもしれませんね。

紀伊勝浦-新宮間は約15km。上野・尾久⇔東大宮間や大阪・新大阪⇔向日町間ほどではないにせよ、回送列車の運転区間としては比較的長距離になるのかな?

 

令和の昨今、紀勢本線のスター列車って何・・・?

 

 

【画像提供】

タ様

【参考文献・引用】

国鉄監修・交通公社の時刻表 1979年12月号 (日本交通公社 刊)

日本鉄道旅行歴史地図帳第8号「近畿」 (新潮社 刊)